農林中金が現在取り組んでいる「デジタル変革」には、大きく2つのテーマがある。1つは勘定系など金融事業を支える基幹系システムのモダナイゼーション(現代化)。もう1つは、職員が使用する業務システムのデジタル化だ。
「他の大手金融機関と同様に、農林中金も長らくメインフレームを基盤にスクラッチで開発した勘定系システムを使い続けてきました。運用・保守に多大な手間とコストがかかるレガシーシステムの刷新は避けて通れないと考え、20年ごろにオープンパッケージのシステムに切り替えました」と半場氏は説明する。
基幹系システムの刷新を図ったのには、他の業務システムとの円滑な連携を実現する狙いもある。もう1つのテーマである「業務システムのデジタル化」を進めようにも、基幹系システムがレガシーのままでは、連携が取りにくく“足かせ”となってしまうからだ。
つまり、基幹系のモダナイゼーションは、職員の業務効率化や生産性向上のための環境整備でもあったと言える。
基幹系の整備がある程度進んだところで、農林中金は「業務システムのデジタル化」に本格着手する。21年のグループウェアの導入を皮切りに、22年4月、半場氏が管掌するIT統括部内に「DXチーム」を設置し、オンラインストレージ等新たなソリューションの導入を加速させた。
「従来、業務に利用してきたシステムを最新のSaaS製品群に置き換え、その組み合わせによって、業務そのもののあり方や、ワークスタイルの変革を促していくために専門チームを設けたのです」と語るのは、IT統括部 IT戦略グループ部長代理の柏原将飛氏である。
当チームが最初に手掛けたのは、社内稟議や各種申請書の申請・承認などを行う「汎用ワークフロー」の刷新であった。
農林中金は、2010年代後半に稟議書の処理を電子化する汎用ワークフローを導入していた。これによって、従来は紙でやり取りしていた稟議書の申請・承認はペーパーレス化されたが、稟議書を上げる過程で複数のシステムに同じ内容を何度も入力しなければならず、差し戻されるとまた新たな入力が発生するなど、プロセス間の分断による業務負荷が大きな課題となっていた。
この課題を解決するため、当チームは業務プロセスをエンド・トゥ・エンドで連携させ、申請から承認、文書保存に至るまで処理できる仕組みの構築を検討。そのためのソリューションとしてServiceNowを導入した。
ServiceNowは、業務ごとにバラバラに利用されているシステムをワンプラットフォーム上で構築し、ワークフローが完了すると、データやタスクの指示などを配布する仕組みを構築することができる。
これを使えば、稟議書の申請・承認プロセスで、同じ内容のデータを別々のシステムに何度も入力したり、システムが連携していない箇所を紙のやり取りやエクセル処理などで補ったりする面倒もなくなる。
農林中金のIT戦略グループは、そのメリットを生かして、稟議書の申請・承認・文書保存のプロセスをより簡素に、なおかつスピーディに回せる「汎用ワークフロー」を実現したいと考えた。
「従来使用していた『汎用ワークフロー』の更改期限が迫っていたので、そのまま更改するか、全面刷新するかの選択を迫られました。せっかくなら、業務上の課題が一気に解決できる全面刷新に踏み切るべきだと考え、ServiceNowの導入を決定しました」と柏原氏は振り返る。
ただし、導入にあたっては事前に検討すべき項目もあった。当チームは、新たな「汎用ワークフロー」の構築にあたって、承認が完了した稟議書を自動で保存できる文書管理ソリューションと連携させたいと考えていた。
具体的には、すでに導入済みのオンラインストレージを使って稟議書を保存・管理する構想を描いたが、ServiceNowとオンラインストレージがスムーズに連携しなければ、この仕組みは実現しない。そこで当チームは、導入に先駆けてServiceNow側とのワークショップを通じた議論を重ね、オンラインストレージへの自動保存や各種設定項目の連携、細やかな権限設定が可能かどうかを慎重に見極めた上で導入を最終決定した。
「どちらもグローバルでメジャーに利用されているソリューションなので、互いに連携しやすい構造なっていることがよく分かりました。グループウェアにも柔軟に連携するので、稟議書の申請や承認依頼の通知などはグループウェアのチャット機能を使って担当者のパソコンやスマートフォンに送られ、承認済みの稟議書はオンラインストレージに自動保存される仕組みを構築することにしました」(柏原氏)
ServiceNowを導入後、当チームは「汎用ワークフロー」の開発に取りかかる前に、異動手続きの問い合わせや申請などを行うワークフローの開発を行った。
「ServiceNowに触れるのは全く初めてなので、手始めに“小さなワークフロー”の開発から経験を積んでみることにしたのです。いろいろ失敗を重ねながら、開発の仕方を1つずつ学んでいきました」と柏原氏は語る。