東北大学 国際集積エレクトロニクス研究開発センター(CIES)は、AIチップの未来を見据えた技術開発を進めている。磁気トンネル接合(MTJ)素子の特長を生かし、AIチップの理想的な回路やシステムの構成を追求。目先のニーズに応えるだけにとどまらない、将来のニーズを先取りする基軸技術の確立を目指す野心的な取り組みだ。研究開発を指揮する遠藤哲郎氏に、CIESが目指すAIチップがもたらすインパクトについて聞いた。
――CIESで開発しているAIチップには、どのような特徴があるのでしょうか。
遠藤:CIESでは、記憶・学習処理に適したMTJと、判断処理に向いたCMOS、それぞれの特徴を融合させたAIチップを開発しています。
人間の脳は、過去の記憶に基づく学習成果の中から今直面している状況に似た体験を掘り起こし、適切な判断を下します。記憶と学習、判断は脳の基本的な機能であり、それらを電子回路化するうえで、メモリー素子の基本特性を大幅に底上げできるMTJと、ロジック素子として比類ない特性を持つCMOSの組み合わせは、AIチップの構成要素として極めて自然です。
――MTJは、なぜAIチップ向きのメモリー素子と言えるのでしょうか。
遠藤:AIチップの低消費電力化では、電源を切っても記憶が消えない不揮発性メモリーを内蔵することが絶対条件です。不揮発性メモリー素子には、NAND型フラッシュ、抵抗変化型、相変化型など様々な方式があります。こうした中でMTJは、読み出し/書き込み速度、最大書き換え回数、CMOSとの動作電圧の整合性といった、すべての基本特性が、前者に比べ優れています。
例えば、MTJの書き込み速度は0.5~10ナノ秒と他方式の素子より2ケタ以上高速です。この点が、学習内容をアップデートする時間の短縮や、エッジ側に学習機能を組み込むうえでとても有利になります。また、MTJの最大書き換え回数は、抵抗変化型の106回よりも9ケタも高い、1015回です。学習回数が多ければより的確な判断を下すAIチップをつくれます。さらにMTJは、最先端のCMOSの駆動電圧よりも低い0.3~0.4Vでデータを書き込むことができます。他方式のメモリー素子では、チップの電源電圧をDC-DCコンバーターで2~7Vまで昇圧しないとデータを書き込めません。この昇圧がチップの高速化と低消費電力化の足かせになります。
――どのようなAIチップが実現できているのでしょうか。
遠藤:記憶と学習、判断の実現アプローチが異なる2種類のAIチップを開発しました。
1つは、脳の中で行われている情報処理の手順や方法を模倣する、トップダウンアプローチのAIチップです。搭載したMTJの0.05%だけを起動することで、モノの素材の違いを画像から認識する高度な処理を600μWで実行できます。このAIチップのメリットは、汎用性が高いことです。ただし、記憶・学習向けMTJと判断向けCMOSを分離し、I/Oでつなぐため、そこは高性能化と低消費電力化を阻む要因として残ります。
もう1つは、ニューロン(神経細胞)の構造や機能を忠実に再現した、ボトムアップアプローチのAIチップです。MTJとCMOSを組み合わせて、記憶・学習・判断が融合した新しいニューロン回路を開発しました。これまでに企業が開発したAIチップよりも、さらに2ケタ高い電力効率、2ケタ高い集積度を見込めます。ただし、現状では汎用性の高い脳の構造が完全には解明されていないため、言語処理、ディープラーニング、予測などの用途に応じて、ニューロン同士のつなぎ方を個別に変える必要があります。
――それらのAIチップが実用化すると、何ができるようになるのでしょうか。
遠藤:エッジ側で学習できるAIシステムが実現できます。自動車や工場の製造装置のような、長期間使い続ける工業製品では、出荷後に陳腐化したり、不具合が修正できなかったり、変化する状況に対応できないAIシステムは使えません。もちろん出荷時には一定品質の製品に仕上げるため、膨大なデータを基にしてクラウド上で初期学習させる必要があります。そのうえで、エッジ側で追加学習できる必要もあるのです。
特に、個々のユーザーの嗜好や利用環境に合わせられる機能は、自動運転車を単なる公共交通機関ではなく、個人が所有したくなるような商品にするためには欠かせません。来るべきAI時代では、共有データを扱う集中管理型のAIと個別データを扱う分散管理型のAIは常に併用することを前提に、AIチップをはじめとして、様々な技術開発を進める必要があると考えています。