従業員の潜在能力を引き出す企業はこれまでも、従業員の労働環境、労働時間や心身の健康に気を配ってきた。だが、それらの施策や制度が本当に従業員の幸せにつながっているのか、疑問が生まれている。その答えにつながるものとして「ウェルビーイング」という考え方が登場した。今回は、ウェルビーイングにおいて先進的な取り組みを進める楽天で、CWO(チーフウェルビーイングオフィサー)を務める小林正忠氏を迎え、アクセンチュアでインクルージョン&ダイバーシティのウェルビーイング日本統括を務める海津恵氏、メディア・エンタテインメント業界およびインターネット業界などを統括する古嶋雅史氏と共に、これからの企業に求められるウェルビーイングの形を議論した。
今、社員のウェルビーイングに注目する企業が増えています。その背景には何があるのでしょうか。
小林私は2019年から楽天グループのCWOを務めていますが、最近の状況を見ると、いよいよウェルビーイングに対して社会的な要請が強くなっていると感じます。
20世紀からの社会は、国が「GDP(国内総生産)」という尺度を設定して、それを幸せの尺度として成長を追い求めてきました。人々は長い間、経済的に豊かで華やかな世界を目指し、GDP向上の下で、幸せを感じる人は増えました。
小林正忠氏
楽天グループ株式会社
常務執行役員
Chief Well-being Officer
1994年、慶應義塾大学卒業。97年の(当時:エム・ディー・エム、現:楽天グループ)創業から参加し、ショッピングモール事業の責任者として営業本部やマーケティング部門、国際事業などの立ち上げをしてきた。2012年4月米州本社社長、14年9月アジア本社社長に就任。19年夏CWO就任。
ところが、情報化社会が急速に発展し、万人があらゆる情報に触れることができるようになり、それまで知らなかった格差に気づくことになりました。その結果、多くの人がGDPという物差しで幸せを測れるのか、疑問を持つようになっています。
そこで登場した考え方が、経済的な尺度の先にある物差しとしてのウェルビーイングだと思います。
古嶋ウェルビーイングを考えるとき、物質的な豊かさだけでない、新しい資本主義の議論と密接に関係していると思います。これは単に労働時間を減らしてプライベートの時間を増やせばいいというような単純な話ではなく、仕事にやりがいを持つことでも幸せを感じることができるし、プライベートが充実していれば幸せであるという単純な話でもない。多様性のある幸せを許容し、追求することで社会全体が発展していくことを目指すものです。
海津ウェルビーイングは、昔からあった概念ですが、私がちょっともやもやしているのは、個人は何をしたらいいのか分からない、ということです。これまで、企業から与えられた尺度で働いてきたことで、幸福感を感じられなくなり、個人はバランスを失っていると思います。その揺り返しが、ウェルビーイングとは何かという問いになっていると感じています。
小林その通りだと思います。ウェルビーイングとは、「一人ひとりが自分らしい人生を生きること」だと思いますが、GDPという尺度が機能していたかつての社会と比べて、自分らしさも多様化しています。すべてを企業だけで提供することはできません。そのことが、ウェルビーイングの取り組みを難しいと感じる企業を増やしていると思います。
古嶋雅史氏
アクセンチュア
通信・メディア・ハイテク本部
ソフトウェア&プラットフォーム業界日本統括
マネジング・ディレクター
京都大学工学部卒。1999年にトーマツ コンサルティング(現デロイト トーマツ コンサルティング)入社。2011年に通信・メディア・ハイテク本部におけるエグゼクティブ・パートナーとしてアクセンチュアに入社。メディア・エンタテインメント業界およびインターネット業界の事業責任者を兼任し、さらに同事業本部におけるデジタルビジネス統括として通信やハイテク企業に対するデジタル変革やデジタル関連事業の立ち上げも幅広く手掛ける。
古嶋ただ、価値観が多様化し、経済的な尺度に代わる方向性が求められる一方で、自分らしさと仕事とのバランスを考えるときには、経済的な下支えが不可欠だというのもまた事実です。副業という概念が昨今出てきていますが、まだ多くの収入を所属している企業から得ているという現実もある。そのあたりをトータルで考えなければいけません。
海津そうですね。ウェルビーイングは統合的な概念ですが、企業側には誤解も見られます。例えば瞑想の時間を設けるとか、メンタルヘルスのケアだけをすればいいといった、断片的な取り組みで終わってしまう企業も少なくありません。様々な要素をバランスよく解決し、本当のウェルビーイングを実現することが求められています。
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従業員がウェルビーイングになることは、企業が成長することにつながるのでしょうか。
小林まさにそう思います。当社の社内調査では、仕事で達成感を味わっている人のうち、ウェルビーイングに満点を付けた人は29.3%でした。一方、この質問をひっくり返して、ウェルビーイングに満点を付けた人に業務の達成感を聞くと、85.5%が達成度満点でした。つまり、成功した人が幸せになれるのでなく、幸せな人が成功できるという因果関係だということが分かりました。
古嶋この結果は、重要なポイントですね。一般的に企業が人を大事にすると言っている場合、雇用を守るとか福利厚生を手厚くするとか形式的なものであることが多く、また最近で言うと株式市場からの要請で人的資本の開示項目に定められていることを最低限満たそうとすることにとどまる場合もありそうです。しかし、楽天さんの調査にもあるように幸せな状態にある社員がビジネスを成功に導くという根幹を理解し、人材戦略は経営戦略を実現するためにあるものだと認識しなければいけません。
小林当社が17年からウェルビーイングの活動を本格化させたのも、発端はそこです。社長の三木谷が米国のスタートアップを訪問したときに、企業の成長のためには企業文化の浸透が大切であることを実感し、すぐに自社にもコーポレートカルチャー部門を立ち上げると決断しました。そして、私が初代のCPO(チーフピープルオフィサー)に任命されたのです。ただ、私の役割は企業文化を徹底させることで、人事部門とは違うため、19年にCWO(チーフウェルビーイングオフィサー)に改めました。
楽天ではなぜ、企業文化とウェルビーイングを結びつけたのでしょうか。
小林10年後、20年後も企業が成長していくためには、将来幹部になっていく人が当社の価値観を理解して体現していく必要があります。当社には「楽天主義」という企業理念体系があり、「ブランドコンセプト」と「成功のコンセプト」の2つで構成され、それぞれ5個の価値観を定義しています。企業の未来の人材を育てるために、このカルチャーの浸透を図っています。
同時に、ビジネスアスリートである社員が、ゼロからプラスを生み出し、何倍にもしていくための環境、コンディションづくりが、ウェルビーイング部門の活動になります。
ここで重要なのが、個人のウェルビーイングと会社としてのウェルビーイングを接続することです。
それがないと、「目の前のこの仕事は、本来何のためにしているのか」が分からなくなり、目先の目標数値がゴールになってしまいます。そうではなくて、企業のビジョンを具現化するための仕事だということが分かるから、意欲的に取り組むことができ、いいパフォーマンスが発揮されるのです。
海津 恵氏
アクセンチュア
マネジング・ディレクター
ビジネス コンサルティング本部ストラテジーグループ
人材・組織プラクティス 兼
インクルージョン&ダイバーシティ
ウェルビーイング日本統括
2006年アクセンチュア株式会社入社。様々な業界、企業に対し、コンサルティングを通じ経営課題の解消を支援。現在は、組織・人材テーマのスペシャリストとして、多くの企業で経営上の最重要課題である「人・組織」の改革において、経営戦略の実現に向けた変革を包括的に支援。社内においては所属組織のInclusion & Diversityリーダーとして、長年にわたりI&D活動をけん引。2020年よりアクセンチュア・ジャパンにおいてI&D ウェルビーイング領域の日本統括として、活動の立ち上げ構想からその後の活動運営をリード。
海津まさにそうですね。ただ、このような活動を企業の人事部門が担当すると、どうしても守りに回ってしまう企業が多いように見受けられます。日々の人事労務対応や直近の採用・リテンション対応に追われ、中長期な目線に立ち切れないのが理由です。本来、人材戦略は攻めの考え方がベースです。楽天さんのように企業文化、ウェルビーイングの取り組みを人事と切り離した組織は、理にかなっていると思います。