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東京海上グループが作業着で
「町工場」を訪ねて回るわけ

東京海上ディーアール(TdR)のコンサルタントが、近ごろ日本各地の「町工場」によく出没しているらしい。行く先々で工場の現場を巡り、そこに潜む課題やニーズを掘り出そうと、熱心に聞き込みをしているという。東京海上グループのデータ戦略をリードするTdRが、そこで何を見つけ、何をしようとしているのか。

「いやぁ、熊本県庁の職員の方が来られているかと思いました」

作業着姿の犬塚俊之氏を会議室で迎えた九州オルガン針(本社:熊本県玉名郡)代表取締役の江藤怜氏は、開口一番にこう言った。

その犬塚氏は、TdRの社員で「チーフリスクエンジニア」の肩書を持つ。工場を対象にしたリスクコンサルティングを手掛けており、年間に約50回以上も工場の現場に足を運んでいる。だから、作業着は欠かせない。

現場で聞き込みをする犬塚氏(左)

現場で聞き込みをする犬塚氏(左)

犬塚氏は最近、精力的に日本各地の「町工場」を訪ねて回っている。中小製造業に向けた新しいサービスにつながるニーズを発掘するためだ。

同氏は、現場における安全・防災や自然災害リスクのマネジメントに関するコンサルティングに15年以上にわたって携わっており、大企業から中小企業まで多くの現場を訪問し、アドバイスを提供してきた。ただし、本格的なコンサルティング・サービスは中小企業にはハードルが高いことから、主な顧客は大企業に偏っていた。2020年から中小製造業に向けた新事業開発の糸口を求めて「町工場」へのヒアリングを始めたところ、大企業とは異なるニーズが見えてきた。

「当初、大企業に展開していた作業現場の安全性向上支援サービスを、一部デジタル化して中小製造業に提供することを考えた。ところが『町工場』では、設備運用や作業管理といった現場のオペレーションを中心に、安全性だけでなく、生産性向上に関する要求が多かった」(犬塚氏) ここで方針を変えてから犬塚氏が、「町工場」を訪問する頻度が増えた。

中小だがデータ分析先進企業

新サービスにつながるニーズを求めて特徴ある「町工場」に目を光らせている犬塚氏が訪れたのが、九州オルガン針である。実はこの企業、従業員数100人強という中小企業でありながら、「格好のお手本」ともされる有名企業なのである。本業は、工業用ミシン針の製造と、精密金属部品の加工。注目を浴びているのはその「やり方」だ。ディープラーニングなどの先進技術を駆使して手作業を自動化する装置を自ら開発する「データ分析先進企業」なのである。人的、資金的リソースが限られる中小企業にあって、同社のような企業は珍しい。

「やはりキッカケは高齢化による人手不足でしょうか」(犬塚氏)

この問題によって、これまでなかった事故やトラブルが発生している現場が多いことを知っていた犬塚氏は問いかけた。

「創業時から働いていたベテランさんが高齢化で次々と辞められていくわけですよ。人手不足もさることながら、継承が難しい技術やノウハウがどんどん失われていくのにはまいった。やはり自動化するしかないと」(江藤氏)

地域のつながりがチカラに

実は、多くの中小企業が同じ危機感を抱え、同じ解決策を考えているものの、できる人がいない、技術も資金の余裕もない。こうした中で九州オルガン針はどうやって問題を乗り越えているのか。犬塚氏が同社を訪問した狙いは、それを探ることだった。

同社が注目を集めるキッカケとなった自動化装置は、針の外観検査に用いるもの。画像データから針表面の傷や汚れなどを検出する。この仕組みにディープラーニングが使われている。同社の場合、生産設備は自社で開発していたのだが、ディープラーニングは扱ったことはなかった。

右に見えるのが自動外観検査装置

右に見えるのが自動外観検査装置

「目視検査ができる人を育てるのに10年はかかる。人がいなくなると、その穴はすぐに埋められない。このため、かねてから自動化したかったが、目視に代わる判別プログラムの開発は難しい。画像認識の精度を高める技術としてディープラーニングが業界で話題になったとき、これだと思ったが、扱える人材が社内にいなかった」(同社 技術開発部 次長 菰田賢人氏)

解決の道を開いたのは、ディープラーニングの活用事例を共有しようと近隣のITベンダーなどが立ち上げた「熊本AIコミュニティ」だった。このコミュニティが開催した技術セミナーに参加した九州オルガン針の前社長らが、メンバーに悩みを相談したところ、その中にいたITベンダーがほぼ無償での支援を買って出た。ディープラーニングの技術が欲しい九州オルガン針と、成長が期待されている製造業向けディープラーニングの分野に進出する足掛かりを作りたかったITベンダーの狙いがうまく重なった。

経緯を聞いた犬塚氏はAI(人工知能)を利用して自ら問題解決に取り組む中小企業にとって、コミュニティのような「気軽に相談できる場」が大きなチカラになると感じたという。

「端から無縁なものと決めつけてAIと距離を置く『町工場』は多い。大がかりな投資を前提とせずに相談できる場があれば、AIは『町工場』に身近になる。必要な技術を獲得する機会も生まれる」(犬塚氏)

デジタルで「町工場」を魅力的に

犬塚氏は帰り際に、ユーザーの反応を確かめようと、これから市場に展開する新サービスを江藤氏らに紹介した。現場で使う作業手順書の内容を、モバイル端末を使って動画と共に提供できるようにするサービスだ。仕組みを用意するだけでなく、コンテンツ制作や現場で活用するためのコンサルティング、生産性や安全の向上に向けたアドバイスなど幅広く支援する。

敷地内に点在する工場を全て回った

敷地内に点在する工場を全て回った

「そこはまさに今うちの現場も困っているところ。動画は、いいですね。作業するときの動き方や勢いとか、文字だけでは説明しにくいことも多いですから。それに作業手順書は使い勝手を良くしておかないと現場で利用されません」(江藤氏)

「これはいけそうだ」という手ごたえを得た犬塚氏は、翌日からまた新たな「町工場」を訪問する。こうした犬塚氏には、近い将来に向けた一つの思いがあるという。

「現状のままでは魅力的な『町工場』が途絶えてしまう。これから産業の主な担い手になるのは、生まれた時からインターネットやスマートフォンがあった『デジタルネイティブ』な人たち。デジタル技術の利活用によって『町工場』が、そういう人たちに選ばれる職場になってほしい。そうなれば中小製造業は大きく発展する」(犬塚氏)

撮影:栗原克己

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