2023年4月、東京海上ディーアール(TdR)の新たなデータビジネス、「サプライチェーンコミュニケーションプラットフォームサービス」が本格稼働する。サプライチェーンにおける企業間のコミュニケーションを支援する様々な機能を提供する先進的なサービスである。直接の取り引きがない企業も含めてサプライチェーンのどこかで問題が発生したときに、それをユーザーに瞬時に知らせる機能も提供している。実はこの事業、数年前にはビジネスモデルの原型ができあがっていたが、事業化は見送られていた。それが復活した背景には、東京海上グループの大きな方針転換があった。
コロナ禍やウクライナ侵攻など、世界を巻き込む重大事件の続発が産業界に激震をもたらしている。その1つがサプライチェーンの問題。特定の国や地域からの製品や原料などの供給が滞り、多くの国で産業が機能不全に陥る事態が続出した。ここでサプライチェーンの脆弱性を強く認識した企業の多くが、その対策を講じる必要に迫られている。
では具体的に何をすべきか。TdRが用意した答えの1つが「サプライチェーンコミュニケーションプラットフォームサービス」である。サプライチェーンにおける企業間の情報共有を平時から有事まで一貫して支援する様々なサービスを提供する。
その中の1つが、サプライチェーンのどこかで問題が発生すると、即座に通知が届くサービスである。これを利用すればサプライチェーンで発生した機能不全の原因を素早く特定し、対応できる。最大の利点は、直接取り引きしている企業の先にある企業で発生した問題も知らせることだ。
一般には取引先の企業が、その先に連なる協力企業の情報を開示しないケースが多いため、自社のサプライチェーンであってもその全体像を把握するのは至難である。このサービスはこうした問題の解消を目指すものといえる。現在TdRは、特定の企業と組んで同サービスの試験運用中である。2023年4月には、幅広い企業を対象にした本格的なサービスを始める計画だ。
実は同社にはよく似たシステムを運用してきた実績があった。
今回のサービスを提案したTdRの工藤智宏氏は、「RINGS(Risk Information Network for Global Solution)」と呼ぶシステムの開発・運用にかつて携わっていた。その発端は、2009年ごろのことだ。米国の保険ブローカーが、顧客の拠点に関する災害リスクの情報を地図上に集約するシステムをビジネスに活用しており、それが周囲で話題になり始めたことだった。東京海上日動火災保険の営業現場などから同様のシステムの必要性を訴える声が挙がり、それを耳にした東京海上日動リスクコンサルティング(TdRの前身)が、自社開発を決断した。そのとき担当者として選ばれた1人が、大学で人工知能(AI)を学んでいた若手社員の工藤氏だった。
RINGSでは、顧客の拠点に関する位置情報を、世界全体のハザードマップや、自治体が提供する浸水想定区域図などと連携させ、災害リスクを見積もることができた。しかも、顧客の取引先でも同様の情報が得られる仕組みを盛り込んでいた。さらにその先につながる企業の状況までは把握していないが、今回のサービスとよく似た情報提供事業を構想していた。
ところが2013年、この事業開発は中止となる。
「万一、データが漏洩すると大きな問題につながる。その対策として万全のセキュリティー対策を施すには数億円単位の投資が必要です。それがネックになりました。しかも、リスクに関わるデータを集める目的はあくまでも保険業務の支援です。データ自体が大きな付加価値を生むとは、当時は考えていなかった」(工藤氏)
その後、工藤氏は海外勤務でシステム関連の業務を離れるが、数年後に帰国した同氏は社内の風向きの変化を感じ取っていた。節目は、2021年の「東京海上ディーアール」への社名変更である。東京海上グループ全体で、データを活用した新事業創出に積極的に取り組む方針を打ち出し、その先導役を東京海上日動リスクコンサルティングが担うことが決まった。これに合わせて社名を変えた。
機は熟した。そう考えた工藤氏は、今回のサービスの基礎となる事業プランを提案する。上司の協力を得てビジネスモデルを練り上げ、最終的に数億円に上る投資の許可を取り付けた。その成果が今回の商用サービスの開始というわけだ。
開発に際しては、優先順位が高い機能を素早く作るアジャイル方式を採用した。そのうえで、インターネット経由でアクセスするSaaS(Software as a Service)として提供することで、新機能を追加しやすくした。「プラットフォーム上で様々な情報をやり取りできるよう順次システムを改良する」(工藤氏)という。ユーザーが日常的に利用する機会が増えるように、今後も継続してコンテンツの拡充を図る考えだ。
「ネットワークを介した企業のマッチングや、部品の在庫や価格の情報を調査、提供する企業と組んで展開する新しいサービスなど、やるべきことはたくさんあるはず。それを効果的なタイミングで形にするためには、ユーザーの声をたくさん集める必要があります」(工藤氏)
そのために社内のリスクコンサルタントは、「社会課題」という観点で問題を捉え、あらゆるリスクを視野に入れた支援ができる「フルスタック」のスキルが求められるという。
このサービスが花開くためには前提がある。なるべく多くの企業にTdRのプラットフォームに参加してもらうことだ。幸いなことに、同様のサービスは国内外にまだないと工藤氏は見る。だが、このサービスがうまくいけば必ず追随者は現れる。「ただ、準備にかけた数年間に多岐にわたる膨大な検討を重ねてきました。その成果がサービスに盛り込まれています。同程度に作り込まれたサービスを他社は、すぐには提供できないでしょう。2年程度のアドバンテージがあるはず」と工藤氏は言う。それまでに、どこまで顧客を増やすことができるか。
多くのユーザーを獲得することは、TdRがデータビジネス創出を目指した当初から意識してきた成長の大原則である。ユーザーが増えると価値と費用の両面でサービスの質が高まり、あるレベルを超えると、爆発的にビジネスが拡大するからだ。その局面に向けたアプローチがいよいよ始まる。ここで、どこまで思い切った手が打てるか。工藤氏の挑戦が飛躍できるかは、すべてそこにかかっている。
撮影:栗原克己