東京海上ディーアール
代表取締役社長
グロービス
ファカルティ本部長
マネジング・ディレクター
グロービス経営大学院
経営研究科 副研究科長
データを新事業創出の要とみて、多くの企業が態勢強化を図る。なかでも重要なのが、既存の枠組みを超えたビジネスの仕組みを設計できる人材の確保。こうした「人材」問題を巡り、新たなデータビジネス創出に取り組む東京海上ディーアール(TdR)の嶋倉泰造氏と、技術者比率を大胆に上げ、デジタルプラットフォームを駆使した教育プログラムを、いち早く展開するグロービスの君島朋子氏がその処方箋を探る。
嶋倉もっと人材が欲しい。これが目下の悩みです。東京海上グループのデータ戦略中核会社であるTdRは、2021年7月の立ち上げ以来、既存事業のデジタル化と業容の変革に向けた様々な取り組みを全速力で進めてきたつもりです。実際、それらの一部は、事業化の段階を迎えています。ですが、この先も同じスピード感で事業創出を進めるには、どうにも人材が足りない。ここまで進められたからこそ痛感することだとは思うのですが。
君島御社の取り組みについてはインターネットの記事で拝見しました。そのために世界の保険会社の動向を、かなり詳しく研究されたそうですね。ビジネススクールの講義で海外の保険会社の事例をケーススタディーで採り上げることがありますが、その内容を聞くと、データを基に業容変革を図るというのが本当に世界の大きな流れなのだなというのを実感します。
嶋倉TdRは、これまでに自然災害、モビリティ、中小製造業、ESG(環境・社会・ガバナンス)、サプライチェーンなど幅広い分野で、データを活用した新事業を開発してきました。まだ公開していないプロジェクトも多数あります。その中には、既存事業を起点にしたビジネスと、全く新規なビジネスの両方があります。
君島相当なテンポで進めておられますが、新規事業が次々と生まれると、既存事業への影響が心配になりませんか。当社が、新規事業を立ち上げたとき、社内でそのようなことがありました。創業者で代表取締役社長を務める堀義人が、「テクノベート(Technovate)」というキーワードと共に「デジタル化」の方針を打ち出し、2016年中にオンライン動画学習サービス「GLOBIS 学び放題」を立ち上げることになりました。そのとき「大学院の入学者が減ってしまうのでは」という心配の声が多かったのです。動画配信では効果的な教育はできないと考える講師も少なくありませんでした。最後は経営の判断でサービスを始めたのですが、結論から言えば大学院の入学者数は、サービス開始前より増えています。
嶋倉確かに新しい事業を立ち上げる過程で、既存事業への影響について議論することはあります。例えば、社内外のデータを使って簡易的にリスク調査ができるサービスを開発する話が持ち上がったときです。これまでのリスク調査は、経験や知識が豊富なコンサルタントが提供する高度なサービスです。簡易的なサービスでは、十分にお客様のニーズに応えられないのではないかという声が上がりました。ただ、既存事業を気にし過ぎると業容変革の動きは止まってしまいかねません。経営判断で、思い切って開発を始めることにしました。
君島経営主導でTdRさんは次々と新規事業を立ち上げておられますが、冒頭の人材不足とは、どういうことでしょうか。順風満帆に見えますが。
嶋倉やはり前に進めば見える景色も変わってきます。そこでいま痛感しているのは、ビジネスモデルを理解した上でシステム全体を俯瞰設計できる、「アーキテクト」と呼ばれる技術系人材が足りないということです。TdRは、技術系人材が多い企業なのですが、ほとんどが数学、物理、化学とそれらの応用領域の専門家です。「アーキテクト」ではありません。
私たちの究極的な目標は社会課題の解決に寄与するデータビジネスの創出です。その規模になると、既存のビジネスの枠を超えているので、システムの設計には「アーキテクト」が欠かせません。こうした人材を社内に抱えて、ビジネスモデルを実現するシステムを内製化できるチカラが、データビジネスを進める上での競争力の源泉になると思っています。
君島「アーキテクト」の重要性に対する認識は同じですね。「テクノベート」の方針を受けて、動画学習サービスをはじめ、大学院の講義のオンライン化、「ラーニング・プラットフォーム」と呼ぶ、個別研修の設定や募集、教材提供や課題の提出、学びの振り返りといった研修に必要な機能を包括的に提供するITシステムの開発などが相次いで決まり、これに向けてITエンジニアを採用することになりました。技術者の採用はトップの方針だったのですが、このおかげで、今では欲しいと思ったシステムを社内ですぐに開発できる環境が整っています。
嶋倉それは賢明でしたね。新規事業の場合は、ある規模を超えると、それを支える仕組みの設計が格段に難しくなる。分からないことや、予想できないことが、たくさんあるからです。
この場合、どうしても開発は「アジャイル」というスタイルを採らざるを得ません。そうなるとビジネスの領域まで踏み込んで、システム全体の妥当性や合理性を評価できる人材が、どうしても必要になります。
君島そうですね。今では業務委託の方を含めて約860人の社員のうち、約15%がITエンジニアやデータサイエンティスト、デザイナーです。「テクノベート」にかじを切る前には、ほとんどいませんでした。
嶋倉それはすごいですね。技術者との接点が少なかった企業が、それだけの数の技術者を採用できたのもさることながら、その多くが定着している点は注目すべきだと思います。最近は優秀な技術者に、良い採用条件を提示する企業はいくらでもあると聞きます。
君島まさに引っ張りだこですから、社内に定着する環境を整えないと、すぐに転職してしまいます。
嶋倉確かに人材を定着させるために工夫は必要です。
君島当社の取り組みの1つですが、独自の評価制度やフルリモート型の勤務形態など、人事制度を含む新たな仕組みをつくり、より働きやすい環境を整えました。
技術者を巡る争奪戦は、今や国境をまたいでいますから、海外のIT企業を意識して報酬体系も見直し、重要な役割を担う技術系人材は、市場価値に見合うだけの報酬を受け取れるようにしています。
嶋倉TdRも、人材が定着する環境づくりは、もっと進めていくつもりです。新規事業開発が進展するとともに、こうした具体的な課題が見えてきますが、その一方で、社内が本質的に変わり始めていることを実感するようになりました。例えば、専門分野の枠を超えて活動する融合型の人材が増えてきました。
TdRの新規事業開発リーダーは、前述のアジャイルスタイルで進めるプロジェクトの中で必要に迫られて、自身の専門分野を超えた未知の分野にまたがって活動しています。その結果、個人の中で専門分野の融合が進んだということです。実際に技術領域で活躍するビジネスの専門家もいます。
例えば、あるプロジェクトでは、これまで特許と縁のなかった者がリーダーを務めていましたが、その人から優れた技術特許のアイデアが出てきました。
君島同じようなことを経験しています。経営教育におけるAI(人工知能)の活用を研究するために2017年に「グロービスAI経営教育研究所」を設立したところ、他部門からも活動に賛同する人が出てきて、そこから特許が生まれました。これは意外でした。
嶋倉そのように会社全体が変わるとき、問題が浮上するのは当然です。それを乗り越えるために、できることは、どんどん進めるつもりです。
本日は、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
撮影:菊池くらげ