人的資本経営の重要性に対する認識の定着とともに、経営戦略と連動した人事戦略を描き、推進するCHRO(最高人事責任者)への期待が高まっている。CHROに求められる役割や、備えるべきスキル、マインドとは何か? 外資系2社で人事領域のキャリアを積み、メルカリのCHROを経てパナソニック ホールディングスのグループCHROになった木下達夫氏と、グロービスの内田圭亮氏が語り合った。
――木下さんは、P&GとGEで人事領域のマネジメントをご経験された後、メルカリのCHROになられ、2024年7月からはパナソニック ホールディングスのグループCHROとしてご活躍されています。外資系、テック系、大手企業と、業種も事業規模も異なる様々な企業で人事に携わってこられたわけですが、そんな木下さんが考えるCHROの役割とは何でしょうか。
よく、「CHROと人事部長は何が違うのですか?」と聞かれることがあります。ひと言で言えば、肩書きに「C」(Chief、最高職)が付く重みに違いがあると考えています。
CEO(最高経営責任者)やCFO(最高財務責任者)のように、「C」が付く役職は経営者の1人です。経営者の仕事とは、「会社のあるべき未来」から逆算して、そのために必要な経営戦略を立て、推進していくことです。
CEOはそれを経営全体の観点から、CFOは財務の観点から行っていることと同じように、CHROも人的資本経営の観点から、経営戦略作りや推進に関与する役割を果たすことが使命であると考えています。
これに対し、人事部長や人事本部長の役割は、どちらかと言えばオペレーショナルな要素が強いように感じます。企業によって異なりますが、一般的には戦略に沿った施策の推進、労務や福利厚生、給与などの管理ですね。人事の仕事に「攻め」と「守り」があるとすれば、「守り」の領域です。
もちろん、「守り」を固めるのは大切なことですが、「攻め」の領域にもしっかりと切り込んでいかなければなりません。
――「攻め」の人事とは、具体的にどのようなものでしょうか。
リーダー育成とか、組織開発、カルチャー変革といった、会社の未来を創っていくための仕事ですね。それを担うのがCHROの仕事だと思います。
――内田さんは、CHROと人事部長の違いは何だと思いますか。
木下さんがおっしゃったように、「経営者なのか?」「部長なのか?」という責務の違いが大きいと思います。経営者の1人であるCHROは、経営戦略作りにも当然意見を言っていくべきだと思いますし、会社の未来を創っていくために求められる人材や組織のあり方をデザインし、形にしていくのがCHROの役割だと思います。
それに対し、CHROが描き出す戦略や方針に沿って、具体的なオペレーションを回していくのが人事部長の役目だと言えるでしょう。
人事の領域でやるべきことは、本当に多い。ですから、「何を優先的にやるのか?」という明確なアジェンダを設定することもCHROの重要な仕事だと思います。
総花的に施策を繰り広げるのではなく、「ここに注力すれば、会社として成長できる」と社員が納得してくれるようなアジェンダを示せるかどうか。そこにCHROとしての力量が表れるのではないでしょうか。
――CHROは、どのようなスキルやマインドセットを備えるべきだと思いますか。
まず、事業に対する十分な理解が不可欠であることは言うまでもありません。経営者の1人として、新規事業にもっと取り組むべきなのか? 既存事業をどのように変えていったらいいのか?という経営戦略作りに対しても、人事の立場から積極的に意見が言えるような理解度が求められます。また、会社がこれまでどのような歴史を歩み、その間、何を大切にしてきたのか?という経緯をしっかり理解することも大切ですね。
とくに、私のように外部から招かれてCHROになった場合、その会社が積み重ねてきた歴史的背景をしっかり理解しないと、どんな戦略を打っても表層的なアプローチになってしまい、十分な効果が得られないこともあります。なので、パナソニック ホールディングスのグループCHROに着任してからは、様々な幹部と対話をしながらこれまでの経緯や現状を把握し、理解することを徹底しています。
私は、「会社のあるべき未来」から逆算して、その実現のために今やるべき戦略を打つことがCHROの仕事だと思っていますが、同時に過去の経緯も踏まえ、「これまで歩んできた道」と「これから歩むべき道」をしっかり擦り合わせることが、人事戦略作りにおいて大事な要素だと考えます。
木下さんは、事業と歴史への理解を徹底されていますね。木下さんのこれまでのご経験の中で、「過去」と「未来」を結びつけることで成果を上げた人事施策の例があれば教えていただけますか。
GEに勤めていたとき、栃木県の工場の人事責任者を任されたことがあります。何十年もの歴史を持つGEの重要なグローバル生産拠点の一つだったのですが、私が赴任した当時は、中国や東南アジアへの生産移管が進み、生産量が最盛期の半分以下にまで落ち込んでしまっていたんですね。工場内にも暗いムードが漂い、従業員のエンゲージメントスコアは100点満点で30点台まで下がっていました。
生産は海外に移ってしまったけど、その工場には何十年も培ってきた技術を持つ人材がいます。その「技術」の強みを生かして、顧客の新製品開発のパートナーとして難易度の高い新しい材料を、多品種・小ロット・短納期で生産する工場に進化するビジョンを掲げました。
最初は戸惑いもありましたが、成功事例が出てくることで、自信と誇りを取り戻し、2年でエンゲージメントスコアが80点台まで向上しました。自分たちが築き上げてきたものが未来を切り開く力になるということに気づいて、従業員の心に火が付いたのだと思います。
人間の可能性を信じて向き合っている木下さんだからこそ、従業員のやる気を引き出すことができたのではないでしょうか。
CFOが扱う財務や、CSO(最高戦略責任者)が扱う戦略と違って、人間の可能性は目に見えにくいものですが、それをいかに見極め、深い人間理解に基づいて組織を動かしていけるかどうかが、CHROに求められる重要な要素の一つだと思います。また、組織を動かすのは簡単ではありません。粘り強く向き合っていくこともCHROには必要だと感じました。