NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ代表理事の宇田川健氏に聞く
ニューロダイバーシティ&インクルージョンフォーラムは、精神疾患の診断の有無にかかわらず、お互いを尊重するダイバーシティ&インクルージョンを企業内に定着させることを目指しています。その際、何よりも大切になるのは、精神疾患のある人たちを差別せず、人として尊重する姿勢ではないでしょうか。2007年に設立され精神疾患(精神障がい)をもつ人たちが主体的に生きていくことができる社会づくりを目指す、NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ代表理事で、統合失調感情障害の当事者でもある宇田川健氏に話を聞きました(聞き手:日経BP 総合研究所小板橋律子)。
まず、コンボについて説明いただけますか?
宇田川健氏(以下、宇田川):コンボは、2007年に設立され、精神疾患(精神障がい)の当事者が主体的に生きていく社会を目指した団体です。当事者とその家族は全国で約5000人、加えて医療や福祉の専門団体なども参加し、様々な立場の人たちが協働でこの目標のために活動しています。我々は、当事者側がどのような精神疾患を持っているかは注目していませんし、プライバシーがあるので調べていませんが、統合失調症、双極症、神経発達症(発達障害)、うつ病など、様々な精神疾患を有する方が参加しています。
活動の主な柱は、「こころの元気+」というメンタルヘルスマガジンの発行、「リカバリー全国フォーラム」という全国集会の開催、メンタルヘルス講座である「こんぼ亭月例会」の3つとなっています。
コンボは、設立当時、重い精神障がいをもった人であっても、地域社会の中で自分らしい生活を実現・維持できるよう包括的な訪問型支援を提供するケアマネジメントモデルACT(Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援プログラム)の普及活動と並行して誕生しました。そのため、どちらかというと重症の方に重きを置いている団体です。
「当事者が主体的に生きていく社会を目指す」というメッセージを出して活動を続けてきたということは、逆に、精神疾患があると主体的に生きにくいわけですね。
宇田川:残念ながら、今でもそうですね。精神疾患を有する場合、症状が悪化しないようにと、腫物に触るように扱われます。例えば、「無理しなくていいよ」というように。このように言われ続けると、なんだか何かのベールに包まれているような感覚に陥ります。何か新しいことをチャレンジしたいと思っても、「無理して再発したら大変」と周囲に言われ続けるわけです。そうなると、チャレンジしてはいけないと思い込んでしまいます。そして最終的に、何のために生きているのか分からなくなるのです。
そのため、われわれは、「自分のことは自分で決めるという生き方があっていいんだ。ただし、その責任は自分で取る」とずっと言っています。これは人間であれば当たり前のことなのですが、精神疾患の診断が付くと途端に難しくなるのはおかしいですよね。しかし、精神疾患があると、その当たり前がなかなか当たり前にならないのです。
障がい者雇用においても同様の傾向を感じられますか。
宇田川:企業に就職しようと思う際、頑張ろうとやる気満々で挑むんですよ。しかし、「障がい者枠の人はできることは非常に限られ、かつ、仕事で無理をさせてはいけない」と思われていると感じます。中には福祉の一貫として仕事を提供していると考えている企業もあり、驚かされます。福祉系で就労したい場合は、就労継続支援事業B型事業所を選べばいいわけです。敢えてB型事業所を選ばずに企業に就職しようと考える人は、仕事を頑張りたいと決意しているわけです。しかし、いざ職探しをしてみると、ハローワークに出されている障がい者雇用の求人は最低賃金ばかりです。障がい者にできる仕事は限定されると思い込まれていることで、障がい者雇用では職業選択の自由すら保障されていないと感じます。
精神疾患があるというだけで人権がないとすら感じるお話ですね。ただし、企業側の担当者に悪気はなく「良かれと思って」というのが根底にありますよね。
宇田川:そうなんです。やはり企業においても障がい者枠なのだからと遠慮のベールで包み、良かれと思って保護しようとします。専門家から聞きかじった知識を基に、「こうなんだよね」と先入観から入ってくる。目の前にいるのだから、ちゃんと聞いてくれればそれで済むはずなのに、なぜか対話しようとしてくれません。
本来の合理的配慮というのは、個人と向き合って話し合いの中で落としどころを見つけるべきものです。必要な配慮は同じ疾患であっても個人によって異なりますし、また、同じ人でも時期によって異なります。そのため、定期的な面談で個別に対応してほしいのに、障がい者は一律に扱われてしまいます。「人間の型は1つしかない」という前提が社会の中に色濃いような印象です。
おっしゃる通りですよね。「人間は皆違うんだ。それを前提にして、尊重した社会にしよう」というのは我々がニューロダイバーシティとして普及啓発したい点です。ただ、例えば、骨折などの身体の疾患の場合、骨折で苦労している本人というのは分かりやすいですよね。一方、精神疾患の場合は脳の一部の病気で、その脳に人格も宿るため、周囲がその人と病気を切り離して見ることが難しいとも思うのですが、いかがですか。
宇田川:そうですね。脳の病気なので、どうしても切り離せませんが、精神疾患を持っていたとしても、まずは人間があって、そこにちょっと精神疾患がくっついている、と理解していただきたいです。笑えない話ですが、以前、認知症介護施設の職員向けに講演をしたことがありますが、その感想として「宇田川さんが笑っていたのでびっくりした」と言われたことがあります。教科書的には感情が平板化するとあるので、そう思ったのかもしれませんが、人間扱いされていないなとその時も思いました。失礼なことを言っているという自覚もないのですから・・・・・・。
また、ケアの現場では、精神疾患は段階的に良くなるものという前提が強く、「家事ができるようになったら仕事に就くことも考えましょう」的な発想が強いのも課題と考えています。そんな悠長なことをしていたら我々の人生の半分は終わってしまうのです。頑張って転んだとしたらそれは自己責任だし、ダメだったら我々だってそれを認めることができます。人間扱いするということは、責任を持たせることだとも思っています。我々に自分の人生の責任を取らせてほしい、それがコンボがずっと主張していることです。
「心が弱いから精神疾患になる」的な誤解もまだ色濃いですよね。
宇田川:そこも大きな問題です。そんな考え方が一般的だと、精神疾患になった際、「自分が悪い」「精神疾患だから、社会から排除されて当たり前」と思い込んでしまいます。だから、精神疾患があるということを恥ずかしくて周囲に打ち明けられず、さらに、隠していることで罪悪感を覚えてしまう。しかし、「メンタルが弱いから病気になる」なんでことはありませんよ。病気は病気でしかなく、なる時にはなるものです。病気になってもなんとかなるし、生活できる社会にしていった方が生産的ではないでしょうか。
また、「精神疾患がある人=周囲に迷惑をかける人」という思い込みがある人もいますが、周囲の言動に相当我慢し、我慢の限界に達して言動が生じているのです。精神疾患がある場合でも、言動にはもちろん何らかの理由があるということも理解してほしいです。
世界保健機構(WHO)によると、5人に1人は、一生の中で一度はメンタルヘルス不調に陥るといわれていますので、自分のためにも精神疾患への偏見を捨てた方がいいですよね。
宇田川:その通りです。精神疾患は病気を受け入れた方がコントロールしやすくなります。しかし、精神疾患への偏見が強い人が精神疾患になると、その偏見が自分に向き、病気を受け入れられずにさらに苦しんでしまいます。精神疾患があってもいいんです。病気と共存しながら、もっと元気に生活できる世の中にしていけばそれで大丈夫なのです。
コンボは、昨年、『生きづらさをひも解く 私たちの精神疾患』を発行されました。私自身、とても勇気をもらえた書籍ですが、書籍の紹介も一言お願いします。

宇田川:この書籍は、精神疾患を体験した当事者のみで執筆したもので、当事者にとって病気や周囲がどう見えているかがよく分かります。執筆者は様々な精神疾患を持っているので、精神疾患一般への理解が深まる書籍とも言えると思います。また、当事者には責任を自分で持つ前提で自己決定していこうとも呼びかけており、その言葉に元気をもらったという当事者もとても多いです。コンボの活動の中でずっと繰り返し言ってきたことを集約した書籍というのが我々の中での位置付けですが、医療や福祉の専門家にも大きな影響をもたらしており、当事者を見る目が変わるきっかけにもなっていると感じています。