日経ビジネスオンラインスペシャル

TOPICS2020.06.16

ファクトに訊け! - 数字を見れば時計がわかる

アップルウォッチは時計業界を破壊するのか?

「かっこいいから好き」。「あのブランドが人気らしい」。時計を選ぶにはそんな理由でも十分だが、それでもやはりデータを基に世界を正しく理解したい。そんなファクトフルネス時代のビジネスパーソンに向けて、外資系コンサルティングファームに勤める現役コンサルタント、村山公一氏が、腕時計業界をデータで解析。今回はしている人を見ない日がないほど人気のアップルウォッチと、腕時計業界との関係を考える。果たして、アップルウォッチは時計業界を破壊するのか? その答えはファクトに訊け!

2019年にアップルウォッチの出荷台数がスイス全体の時計の輸出台数を上回ったことが、時計業界関係者の間で話題になっている。これを、時計業界がイノベーションにより破壊されていることを示す何よりの証拠、と解釈する業界関係者も少なくないが、実際はどうなのだろうか。本稿では一般に公開されているデータを整理しながら、筆者なりにその真実を探っていこうと思う。

まずは世界の主要腕時計輸出国であるスイスの時計輸出台数と、アップルウォッチの販売台数を比較してみよう[図1]。図の左側はスイス時計の価格帯別の輸出台数とアップルウォッチの販売台数の推移を示している。右側はそれぞれの年平均成長率だ。ちなみにスイス時計の輸出額は日本の時計の国内出荷額+輸出額の約8倍と、世界的に見ても圧倒的な規模を誇る。その動きが時計業界全体を反映していると仮定しても、大きな問題はないだろう。

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図1(クリックで拡大)

2015年にアップルウォッチが登場してから、同製品と同じ価格帯200-500スイスフラン(CHF)のスイス時計の輸出台数は年率3%のペースで減少している。2010年から2015年までは年率7%のペースで増加していたことを考慮すれば、このマイナスこそアップルウォッチの販売増による影響と捉えることもできる。しかし、そもそもアップルウォッチの販売台数は2019年には3,100万台であり、これは200-500スイスフランの価格帯の時計の輸出台数の7.7倍に及ぶ。もしもアップルウォッチが時計業界の需要を奪っているとするならば、この価格帯の腕時計の台数の減少は年率3%では済まないはずである。

このことは、金額ベースでの推移を見るとさらに顕著である[図2]。スイスの腕時計輸出額の90%は500スイスフラン以上の時計が占め、特に3,000スイスフラン以上の価格帯の時計が全体の69%を占めている。アップルウォッチと競合する200-500スイスフランの価格帯は全体のわずか6%に過ぎない。そのためこの価格帯の製品の成長率が数パーセント影響を受けたところで全体への影響は軽微であるといえる。

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図2(クリックで拡大)

もし、この価格帯の2016年以降の成長率が2010年から2015年までと同じプラス6~7%で推移しつづけたと仮定しよう。理論上は、このときの輸出台数および輸出額と、実際のそれとの差分がアップルウォッチの影響となるが、これですら、台数ベースで190万台、金額ベースでは6億400万スイスフラン(約660億円)にとどまる。これはスイスの時計輸出全体のそれぞれ9%、3%となり影響はそこまで大きくない。少なくとも破壊的とはいえないだろう[図3]。

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図3(クリックで拡大)

目線をアップルウォッチサイドに移せば、この190万台という数字は、2019年時点のアップルウォッチの販売台数3,100万台に対してわずか6%。つまり、アップルウォッチの販売台数のうちスイス時計からの移行はわずか6%に過ぎないとも言える。こうした事実から判断して、アップルウォッチと腕時計は、ほとんど競合関係にない、全く違う種類の製品であると考えてよさそうだ。

アップルウォッチは、むしろ時計業界の守護者となりうる?

結論としては、アップルウォッチの登場によって、時計業界が破壊されているという事実は全くない。むしろ、筆者はこの登場が時計業界にとってはプラスであるとすら考えている。理由はアップルウォッチの一部のユーザーが長期的には新規ユーザーとして腕時計に流れてくる可能性があるからである。

ここまでの分析から、アップルウォッチを購入した3,100万人は、従来の時計とはほとんど競合しないと考えられる。つまり、アップルウォッチユーザーの多くは、これまで腕時計を日常的にはしてこなかったと推定できる(もちろん、アップルウォッチを手に入れた後も、スイス時計を買い続けている併用者も存在するわけだが)。

こうした腕時計をこれまでしてこなかった層は、アップルウォッチによって初めて「腕にデバイスを巻く」という習慣を身につけるだろう。そして、そのうちの一部がアップルウォッチをきっかけに腕時計に興味を持つようになる可能性は十分にある。実際に腕時計を購入し併用するようになる層も一定数いたとするならば、アップルウォッチが奪った需要を補うにあまりあるのではないだろうか。

例えば平日仕事やワークアウトにはアップルウォッチを着けるが、週末の外出やパーティーシーンではスポーツウォッチやドレスウォッチをするようなパターンである。もしも3,100万人のうちにそのようなユーザーが190万人以上、つまり6%以上いれば、それは腕時計業界にとってプラスになる。このような購買行動が生じるには一定の時間が必要となるため、今後、統計に表れることが期待できるだろう。

アップルウォッチの登場は衝撃的であり、アップルのようなテクノロジー企業が伝統的な産業を壊すといったストーリーはプロレス的な面白さがあるが、ファクトを見る限り、現時点での影響は限定的なものである。もちろん、アップルウォッチに満足したユーザーが、腕時計を手にすることをやめてしまう可能性もゼロではないが、少なくとも現時点では統計を見る限りアップルウォッチと腕時計は別物であり、その影響は軽微であると言っていい。

ちなみに、筆者は時計愛好家ではあるものの、アップルウォッチを買うことはないだろう。時計愛好家には大きく分けて2つのタイプが存在する。好きな時計がどんどんと増えていくタイプと、究極の時計を追求するタイプだ。筆者は典型的な後者である。残りの人生において左腕に時計を着けられる日数は計算では1万~2万日程度。その限られた貴重な回数においては、妥協せずに常に自分にとっての「究極の時計」を着けていたいと考えている。そしてアップルウォッチはやはり筆者にとっては機械式時計を上回る「究極の時計」にはならないのである。

アップルウォッチの実用性は、機械式時計とは比べ物にならないくらい高い。ただ機械式時計はスマホが普及した現代において、「機能価値」ではなく「情緒価値」を満たすものである。もちろん、アップルウォッチはモノとしても素晴らしいことは認める。ケースの仕上げは美しくいつまでも触っていたくなるし、ベルトの種類も豊富で遊び心をくすぐられる。しかし、機械式時計の「情緒価値」はアップルウォッチを凌駕していると筆者は思っている。

アップルウォッチは「機能価値」、機械式時計は「情緒価値」と捉えると、両者には共存の道があるのではないだろうか。ファクトはそれを示唆している。

村山 公一(むらやま・こういち)

投資銀行を経て、現在は外資系コンサルティング会社に勤務。企業の戦略立案支援に従事しつつ、プライベートでは機械式時計愛好家としての一面を持つ。普段はグランドセイコー、ロレックスのオイスター パーペチュアル、ジャガー・ルクルトのマスター・ウルトラスリムなどシンプルな三針実用時計を愛用。最近はオメガのデ・ヴィル トレゾアなど、シリコン製ヒゲゼンマイを搭載した時計に関心を持っている。

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