「がんに苦しむ人々を経済的苦難から救いたい」という創業の想いを脈々と受け継ぐアフラック生命保険。2005年には「『生きる』を創る。」というブランドプロミスを策定した。村尾さんは当時、入社3年目の社員として、このブランドプロミスの策定を含むブランド戦略立案のプロジェクトに参加した。それ以来、育児休職や介護休職によるブランクがありながらも、ブランディングとコミュニケーションという分野を中核に、着々とキャリアアップを重ねてきた村尾さんに、自らの足跡を振り返りつつ、働く女性たちへのアドバイスを聞いた。
25年1月よりCMO(マーケティング統括役員)のもと、マーケティング戦略の策定や、「がん」「医療」「資産形成/介護」の3つのブランド間の総合調整等を担うCMO室長に就任。
入社3年目にブランド戦略立案プロジェクトに参加
村尾さんは大学在学中に叔母がくも膜下出血で寝たきり状態になったことや、「死の哲学」という講義を受講したことをきっかけに、「健康なうちに、生死や病ときちんと向き合うきっかけが作れる仕事がしたい」と考えるようになった。そして、就職活動期にたまたま手にとったアフラックの広報誌に惹かれた。広報誌の内容が保険商品の紹介ではなく、がんをはじめとした病気の啓発に特化したものだったからだ。採用面接で「広報部で制作している広報誌をいつか作りたい」と希望を伝えた。2001年4月、入社後に配属されたのは希望通りの広報部だった。
広報部では、念願だった広報誌の制作をはじめ、社内広報、対外広報、がん啓発イベントなど様々な仕事を経験することができた。特に、全社横断的に組成された「アフラックブランドプロジェクト」に、入社3年目で参加した経験は、その後の村尾さんのキャリアに大きな影響を与えたという。部署や社歴の異なる9人のメンバーを中心に、アフラックの存在意義やお客様に提供できる価値について、約2年間の調査と議論、経営陣へのインタビュー等を重ね、誕生したのが「『生きる』を創る。」というブランドプロミスだった。「この活動を通じて『お客様が自分らしく生きるためのお役に立ちたい』という強い使命感、仕事をする上で軸となる価値観を得ることができました。策定から20年経った現在まで、『「生きる」を創る。』がアフラックのコアバリュー(基本的価値観)であり続け、浸透していることを誇りに思うとともに、コアバリューを実践することの意義を、若いころに深く考える機会を得たことは大変貴重でした」と振り返る。プロジェクト終了後、広告宣伝部(当時)に異動。6年4カ月間の在籍中にはテレビCMなどのマス広告やデジタルプロモーションに携わった。入社から10年が経ち、自身が力を発揮できる領域として「ブランディング」と「コミュニケーション」という2軸を意識するようになったという。
子育ての経験は管理職としてのマネジメントに活きる
その後、マーケティング戦略と中長期的な商品計画を立案するマーケティング企画部(当時)、具体的な商品設計を手掛ける商品開発部などでキャリアを積んだ。その間にはプライベートでも大きな変化があった。2012年1月にマーケティング企画部に異動してわずか1カ月後に産前産後休業・育児休職を取得。「異動直後に産育休に入ったため、復帰後のことが不安でした」と当時の心境を語る。当初は早めに職場復帰したいと考えていたが、いざ出産すると気持ちに変化が生じた。抱っこしていないと眠れない我が子の愛しい姿を見ていると、今は子育てに専念したいと考えるようになった。結局、子どもが9カ月になるまで育児休職を取得し、復職後も半年間は時短勤務を利用した。いま思い起こすと、この産育休取得を契機に働き方に対する意識が変わったという。「いかに時間当たりの生産性を高めて質の高い仕事をするか、という点を意識するようになりました」。時間ではなくアウトプットで仕事の評価をするという方針を明確に示してくれた上司の存在も大きな後押しとなった。
現在、一人娘は中学1年生になったが「最近は、子育てを通じて得た学びが管理職としての仕事に役立っているのを実感しています」という。上司が部下の主体性を育み、自ら考えて行動し達成感を味わえる環境を作ることの大切さは、子育てと共通すると実感したためだ。「娘が、自律的に行動できるようになるためにはどのような働きかけが必要か、日々試行錯誤です。寛容さも身についたように思います」と笑う。仕事においても、「メンバーが自分なりのやり方で成果を出すことで、自信と新たなチャレンジへの意欲を持てるような支援を心がけています」。
子育てを通じて得た学びが、日々のマネジメントにも活きている。
介護休職で得た、がん患者家族の当事者としての経験
村尾さんのブランクは、もう一度ある。商品開発部に在籍している時、2017年4月から1年2カ月ほど介護休職を取得したのだ。父親の脳梗塞に伴う両手麻痺とがんの発覚が理由だった。育休から復帰した際に苦労した経験もあったが、「乗り越えてしまえば(ブランクによる)マイナスは何もなかった」という自信がついていた。「実際、がん保険や医療保険、介護保険を扱うアフラックで商品開発を担う私が、家族のがんや介護に直面して得た当事者としての経験は、何物にも代えがたいものでした」と回顧する。介護休職から戻った翌年には、広報部の「課長」という村尾さんにとって初めての管理職ポストに昇進した。
二度の長期ブランクを経験した村尾さんは、「職場に戻った後が重要」と言う。自らも育休からの復帰直後、今まで経験したことのない業務で、パフォーマンスを発揮する術が見出せず戸惑った。「誰かのサポートに専念して勉強しよう」と思った時もあったが、「それでは自分に期待されている役割は果たせない」と思い直した。自分が直面している様々な制約を言い訳にして、新たな機会に対して消極的な姿勢でいては自分も成長できず、会社にも貢献できない。それよりも「目の前の仕事に真摯に向き合い、少しでも期待を超える価値を発揮できるように取り組もう」と決めた。今は「1つでも2つでも、この仕事はあの人に任せれば安心と思ってもらえるような得意分野を持つことがキャリアアップにつながる」と考えている。そして「自分なりの価値を発揮し、周囲や社会の役に立てていると感じられれば、仕事も楽しくなるはず」と強調する。
不安を解消してくれた上司に感謝
村尾さんは「キャリアの折々に尊敬できる上司に巡り会えて幸運だった」と振り返る。育休からの復帰直後で、日々、目の前の仕事に追われていた村尾さんに、女性の活躍推進を目的とした社外の女性とのネットワーキンググループへの参加の声がかかった。最初は上司に「手一杯なので辞退したい」と申し出たが、上司は「視野を広げる活動に参加するのは有意義だ。社内での仕事を調整するから挑戦してみなさい」と言ってくれた。
また、ロールモデルとなる先輩とすべて同じような働き方をする必要はないとも思っているという。「身近な先輩や上司の習慣や言動の中から、自分が実践できることを取り入れるだけでも、自身の幅を広げることにつながる」と感じているそうだ。
自身も後輩の身近なロールモデルになれるよう心掛けている。
既存ポストだけに視野を限定せず、自由な発想を
「この理論は結構当たっていると思うのです」。村尾さんがそう言って説明するのは、米スタンフォード大学のクランボルツ教授が1999年に提唱した「プランド・ハップンスタンス理論=計画された偶発性理論」だ。この理論は、①キャリアの8割は偶然の出来事によって形成される、②偶然の出来事を利用してキャリア形成に役立てる、③自ら偶然の出来事を引き寄せようと働きかけ、積極的にキャリア形成の機会を創出する――という3つの要素で構成されている。自らのキャリアの軌跡を振り返ると、この考え方にうなずける点が多いという。若い時は将来を明確に見通すような展望は描きづらく、思い描いたキャリアアップのルートを歩める人は珍しい。それであれば、その時々に偶発的に巡り会ったポストや仕事でベストを尽くす。その結果がキャリアアップの道を拓くというわけだ。
キャリアアップに関する村尾さんの考え方は興味深い。ただ単にポジションが上がることに特段の関心はない。しかし、キャリアアップによって一定の影響力が生まれ、自分がやりたいことが実現できることはとても魅力的だと感じているという。ゆえに「自分の目標について、既に社内に存在する組織やポストに限定する必要はないのでは」と考えているそうだ。「こういう価値を社会に提供したい、そのためにはこんな組織や体制が必要で、その仕事に責任を持つこんなポストが必要。だから、必要な組織とポストの新設を働きかけ、自分自身がそのポストに就いてみたい、といった考え方でキャリアを描くとワクワクする」と語る。自らの強みをブランディングやコミュニケーションと位置付ける村尾さんも、心秘かに「就いてみたいポスト」のアイデアを温めているようだ。
PROFILE
村尾 直子(むらお・なおこ)
大学卒業後、アフラックに新卒で入社し、広報部に配属。その後、広告宣伝部、マーケティング企画部、商品開発部で勤務し、その間に育児休職、介護休職を取得。広報部課長時には、現在の長期経営ビジョン「“『生きる』を創る”ことで新たな共有価値を創造する」の策定にも従事。23年に広告宣伝部長。25年1月より現職。
