なぜAPUの試みは軌道に乗ったのだろうか?
「APUは常識的にありえない国際大学の実現を成功させる条件がきれいにそろっていた」と近藤さんは言う。なかでも大きかったのが、キャンパスが「ど」のつく田舎、別府市の郊外の山の中腹にあることである。
APUのキャンパスは、別府湾と別府市街の絶景を見下ろす標高300メートル以上の山の中腹にあるが……。
別府市街から見上げると、街から離れた山のてっぺんに大学が位置するのがよくわかります。
仮にAPUのキャンパスが、東京や大阪、京都などの大都市にあったらどうなったか。
キャンパス外には刺激や誘惑がたくさんある。日本の学生はもちろん留学生は大学によりつかず、あるいは同じ国籍の者同士でコミュニティをつくって固まってしまい、勉強の面でも生活の面でも、現在のAPUが果したようなグローバルな環境は実現しなかったかもしれない。
大分県別府市郊外にあるAPUのキャンパスは、最寄りのJR亀川駅から徒歩だと2時間近くかかる。別府の中心街からは徒歩4時間。標高300m以上で東京タワーと同じぐらいの高さの急峻な山の中腹にあるため、自転車で通うのは物理的に不可能。このため、大半の学生はバスで通学する。そのバスでも別府の中心街から40分はかかる。
というわけで、日本に来たばかりの留学生たちの全員と日本人学生の一部は、大学に併設されたAPハウスという学生寮に入学と同時に入寮する。
近藤さんは言う。
「結果、ほとんどの学生は必然的に授業をさぼることがありません。各国の留学生と日本人学生が同じ場所で暮らし、同じ場所で勉強し、同じ時間を過ごしますから、人種と国籍が混ざって、グローバルな"空気"が醸成されます」
APUの学生寮「APハウス」では留学生と日本人学生が一緒に入居する。
シェアルームでは、日本人と留学生がペアになる。
フィジー(左)と日本の新入生の男子同士、香港(左)と日本の新入生の女子同士が生活をスタート。
部屋には間仕切りもあるので個室として利用することも可能だ。
2回生3回生になって、APハウスを出た後も、学生たちの下宿先は別府市内。APUが開学し、世界中の若者が集まったことで、温泉で知られる地方都市別府は、欧米のカレッジタウンをも凌駕するようなインターナショナルな街に変わった。
「留学生を集めるために海外の高校に出向いて、APUの広報をするとき、『皆さんが暮らすのは、残念ながら東京ではありません。大阪でも京都でもありません。APUに来て皆さんにできること、友だちをつくること、そして勉強することだけです』と言います。親御さんは喜びますが、当の高校生はどの国でもたいがい不満気な表情を見せますね(笑)。でも、実際に入学するとあらゆる国の学生が、別府を第2の故郷=セカンドホームと呼ぶようになります」と近藤さんは解説する。
およそ80の国と地域から学生が集まる多国籍、多文化環境のこの大学では、学生たちはどんなキャラクターに育つのか。APの卒業生を採用した企業からは、冗談めかしてこう言われることがある。
「APUの卒業生は、どこに行っても死なないね」
まさに『ダイ・ハード』=絶対死なないタフな人間が育つというのだ。
「ストレス耐性が高く、ピンチでも踏ん張る。アイデアをひねり出して状況を変える。学生たちは、4年間、人種のるつぼのようなキャンパスと、日本語と英語とが入り交じった授業と、積極的に発言が求められるプレゼン重視のカリキュラムで、意図的に鍛えられるんです」(近藤さん)
世界中から来た留学生同士と日本人とが、時にはぶつかりながらも友情を育んだ結果、世界のどこにいっても「友達」がいる、APUファミリーともいうべきネットワークができあがる。日本のどこの大学に行っても、いや世界のどこの大学に行っても、決して得ることのできない「財産」だ。
APUの教育の大きな特徴のひとつが、冒頭でも説明したように、日英二言語による授業だ。
多くの科目が、日本語授業と英語授業の両方を用意している。
APUでは、日本語と英語、両方の言語で授業を行っている科目が多数ある。
経済学もそのひとつ。使用する教科書も、日本語と英語、両方が用意されている。
日本の大学に留学生が少ない、つまり日本の大学がグローバル化するのが難しい大きな原因のひとつに、英語による授業がきわめて少ないことが挙げられる。いくら英語に堪能であろうと、大学教育に足る学力があろうと、日本語ができないと多くの日本の大学の場合、勉強に制限がある。
「だから、日本の大学に入りたい海外の学生は、まず日本語学校に通う必要があるんです。日本語習得が、大前提となるわけです。結果、日本の大学に留学する海外の学生の人数は必然的に絞られてしまう。これでは、なかなか日本の大学の国際化はすすみません」(近藤さん)
APUは、日本の大学教育におけるこの構造的な「穴」を埋めようと考えていた。
そこで、開学当時から留学生50%の目標を達成するため、最初から英語での授業も用意したのである。
当初から、英語での授業も用意した結果、APU では、「入学時に英語はできるけど日本語はできない」留学生を受け入れることができた。
日本語と英語のダブルリンガルの教育を実現するために、APUでは日本語でも英語でも教えられる教員をそろえてきた。語学自体を学ぶ授業も充実しており、日本語基準の学生は英語を、英語基準の学生は日本語を懸命に学ぶ。
近藤さんは言う。
「2年もたてば、留学生の多くは立派な日本語のレポートを提出するまでになります」
実際、今回の取材で多くの留学生を取材したが、2回生になると普通に日本語会話ができるようになり、卒業生ともなるとビジネスレベルでの日本語を難なくこなすようになっている。
とはいうものの、日本語と英語の授業を両方用意するのは、二重三重の手間とコストがかかる。
「多言語、多人数、多文化の授業をマネージするのって、すごく難しいんですよ」
近藤さんは、その苦労を振り返る。
「ほうっておくと、日本人同士、ベトナム人同士、ウズベキスタン人同士、という具合についつい同質な集団で固まってしまう。そこで80ヵ国の学生たちが徹底的にシャッフルされ、お互い学び合い、刺激し合う状況を作ろうと腐心してきました」
具体的には、言葉も満足に通じない時点で、一緒にグループ学習する環境を授業に用意する。
「1回生の秋学期の初年次教育の授業では、日本人学生と留学生とで6人ほどのグループをつくります。日本人学生のほとんどはまだ英語を自由に扱えるほどではないし、留学生の大半は『あいうえお』を習い始めている状況です。そのままで授業が成り立つわけがない。でも、とにかくプロジェクトを進めてもらい、グループで一緒にレポートをつくってもらい、発表してもらう」
APUの図書館「APUライブラリー」では、多くの日本人学生と留学生が一緒にグループ学習を行っている。
意思の疎通もあやういチームだ。当然、衝突も起きるし、空中分解しかかるチームも出てくる。
「それでも授業ですから、なんとかしなければならない。そんな苦労を乗り越えると、お互いの理解がぐんと深まるんです。言語力もアップするし、多文化への理解も進む。それはもう見てわかるほど変わります」
APUでは、1回生の早い時期に各国の学生たちが混じり合って勉強し、学びのモチベーションが上がり、多文化コミュニケーションができるようなカリキュラムを、こんな具合にいくつも組み込んでいる。