極めて持続性の高い農業である「水田」
稲垣 ご著書である『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』では、日本の水田の素晴らしさを指摘されていました。また、藤井先生が出演されていた、小山薫堂さんのラジオ番組も先日拝聴しました。水田のことをもっと研究したいとおっしゃっておられましたね。
藤井 私の前職は森林総合研究所の研究員でしたが、水田の研究がしたいとわざわざ研究所を移動したほど、水田に対する思い入れは強いです。
私たちのような「土」の研究者から見ると、水田というのはよくできているんです。畑作の場合は、堆肥や肥料分の補給を怠れば、数十年~数百年で土が悲鳴を上げると言いますか、耕作が困難になるほど土壌が劣化するのが一般的です。しかし、日本の水田は、山から出てきた栄養分を海に流す前に捕捉するので、土壌の劣化がなく生産性も上がります。
アジアに集中する水田の面積は世界の耕地面積の約10%しかないにもかかわらず、そこで収穫されるお米を主食とする人口は世界の半分を占めている。つまり水田の食料生産性は桁違いに高いということですね。
水田に水が入ることによって土に酸素が届かなくなり、微生物がどんどん太古の時代のものにシフトしていくんですね。そうした太古の地球のメカニズムを利用して、稲は栄養を取り込んでいく。日本では、2000年かけて開墾されてきた水田向けの用水路の総延長が40万キロメートルと推計されており、それは地球から月までの距離に相当します。この景観をすべて守っていけるかと言えば、予算や労働力の観点からはかなり難しい現状にあります。
水田という生産システムとしては持続的で、よくできた仕組みであるにもかかわらず、社会的には持続的ではない状況にある。どうすれば持続的な稲作を実現できるのかという思いが私の問題意識になっています。
稲垣 読者の理解を助ける上で少し補足しますと、畑作物には「連作障害」というものがあります。意外とご存じない方も多いのですが、水田の米と違って、畑作物は毎年同じものを同じ場所で作り続けることができません。植物の生育には、17種類の元素が栄養源として必要だと考えられており、特に重要なのが、窒素、カリウム、リンなどの多量必須要素です。現在の慣行農業では、一般にこの3つの要素は肥料で供給しています。しかしながら、ホウ素、鉄、モリブデン、マンガン、亜鉛、銅、塩素、ニッケルの8つの微量必須要素などについては、肥料で供給することが難しい。畑では、土の養分としてこれらの要素を吸収するわけですが、1年、2年と同じ場所で連作すると、必要元素が枯渇してしまうわけです。
しかし、水田は違います。日本では、同じ水田で2000年にわたって、毎年休むことなく米を作り続けてきた歴史があります。特に、日本の水田は、自然に山から流れてくる水を使って、森林からの栄養を捉えることで生育します。そして、必要のないものは水田の水に流していく。米国やオーストラリアの米作りは、東南アジアの米作りとは違って、灌漑(かんがい)によって水を供給する農業が主流です。地下から水を吸い上げて水を供給する。こうした農業では水資源の枯渇が大きな問題になっています。自然の地形を利用して水が流れるような環境・地形で実現できている日本の水田農業は、極めて持続性の高い農業だと思います。
健全な農業経営が水田維持の鍵
藤井 学生時代、タイによく出張しました。焼畑を行っている農村を調査するためです。森を切り開いて燃やした畑での耕作は5年に1回しかできないので、翌年からは別の畑に移って、また5年後に戻ってきます。また、その畑の同一面積での収穫量は、日本の水田と比べて3分の1です。つまり土地面積当たりの生産性が日本の水田の15分の1しかない。
また、インドネシアで森が近くにない水田を調査したときは、栄養分の不足によって稲穂の実が空っぽの状態でした。日本では当たり前のように毎年お米が取れますが、外国ではそれが必ずしも当たり前ではないということですね。
稲垣 先日、群馬県沼田市にある金井農園の話を聞きました。金井農園では60キログラムのお米を12万円という高額で販売しているんですよね。なぜそんなに高いのかというと、ブランド化に成功したからです。戦国時代に現れた沼田城主・真田信之が水田の水不足を解消するために「真田用水」を引いて、石高を3~4倍に改善したという歴史があります。その提案をしたのが信之の正室、小松姫だったという言い伝えがあり、金井農園では400年も前の真田用水を今でもそのまま使っていて、「真田のコシヒカリ小松姫」として、ブランド化したのです。
藤井 昔の人は水源を大切にする意識が本当に高かったですね。現代はポンプを使ったり、蛇口をひねったりすれば、すぐに水が出るので、森林の価値を意識しにくい。産業として評価すれば、木材の価値を木1本当たりいくらと見積もりますが、山があって、森があって、水が維持されることによって、初めて水田の仕組みもできる。そう考えると、森林の価値はプライスレスと分かります。
林業も農業もちゃんと産業として成立していかなければなりません。私は土の研究者ですから「土のことを大事にしよう」と言いますが、「土」だけが持続的であっても仕方ありません。農家も経営をしっかり持続して耕作放棄地にしないようにする必要がある。水田から一度水が抜けてしまうと、稲作ができる状態に戻すのは結構大変ですから。
稲垣 そうですね。日本の農地はピーク時に約600万ヘクタール、うち水田が約330万ヘクタールありましたが、いま地目水田で残っているのは約220万ヘクタール、実際に水稲を作っているのは約155万ヘクタールにまで減っています。
高度経済成長期から2000年代にかけての農地減少の主たる要因は宅地化など、他用途への農地の転用でした。それはそれで、問題ですが、近年は、耕作放棄地の増加など、耕作ができなくなっている、しなくなっていることによる減少が増加しています。
それでも、この15年ぐらいは、専業農家でやっていけるような20ヘクタール以上の大規模農家が増えて、離農する農家の農地を吸収してくれたので、水田の減少は10%程度で収まっていました。今後は、零細農家の離農のスピードが上がる一方で、大規模農家にも吸収余力が低下していくことが懸念されます。特に条件が悪い農地は事業の継続が非常に難しくなる可能性があります。例えば、10年後には集落全体が耕作放棄地になるような事態も出てくるかもしれません。
藤井 どのくらいの規模が農業経営に適しているかについては、いろいろな研究や考えがあるようですが、数人で農業経営にあたる場合には、収量を落としても仕事の労力を減らす方向になりますね。今、水田にあまり水を張らない「節水型」と呼ばれる手法が話題になっています。土の研究者の立場からすると、心配もあります。水田では水を張るから栄養分が回復するわけですから。
しかし、経営が成り立たなければ意味がありません。水田の良い部分を人工的に再現しようとしたら、どうすればいいのか、コストはどうなるのか。そうした研究をやっているところです。福島県のように灌漑用水が復旧していない地域などでは、水を張らない農法もニーズがあります。また、衛星情報を活用してドローンで除草剤をまく手法などもあります。多様なニーズに応えていきたいと思います。
温室効果ガスの発生抑制が重要課題に
稲垣 藤井先生は土の専門家ですが、農業全般で新しい方法にチャレンジしておられるんですね。
藤井 基本的には土の研究者ですけれども、農業や社会のビジョンがないと話になりません。
例えば、もうすぐ福島に牧場ができるのですが、そうすると家畜排せつ物もたくさん出ます。外国から輸入した飼料を食べた牛のふん便が大量に残り、その堆肥化の工程で温室効果ガスが発生する問題が酪農地帯では悩みの種でした。地域内で多くの飼料を作り、家畜ふんの堆肥を土に返す「完全循環型」のビジョンは土だけでは描けません。牛が食べる飼料のための牧草だとか、飼料のトウモロコシ畑だとか、村全体の景観を考えることになります。土の問題から始まるとしても、システム全体を考えていく必要があるんですよね。
もちろん技術的なイノベーションも取り組んでいきます。例えば、有機農業は化学肥料を使う農業と比べて、温室効果が非常に高い亜酸化窒素ガスが発生しないメリットがあります。でも有機肥料を作る堆肥化の段階では、土壌を酸性化し、大気や水の汚染をもたらす、大量のアンモニアが出ますし、一部は温室効果の大きい亜酸化窒素にもなります。堆肥化のところから含めて、トータルの環境汚染物質を減らしていければ、「環境負荷が低い有機農業だ」と胸を張って言えるので、その技術の検証を進めています。
鳥取県の節水・不耕起栽培による稲作の実践例では、温暖化ガスの発生を抑えつつ稲を育てる研究にも取り組んでいます。過剰に水を張らないことでメタンの発生を、土を耕さないことで二酸化炭素の発生を抑制する効果があります。アルゼンチンにも成功事例があるので、それも参考にしたりしながらも、日本の土、品種にあった肥料のやり方を調べています。
稲垣 農業分野だけでなく、あらゆる業種で温室効果ガスの抑制が課題になっています。例えば、土壌における炭素貯留技術についてはどうお考えですか。
藤井 国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)が15年に採択したパリ協定では、土の中にある炭素を毎年0.4%ずつ増やすことができたら、工業セクターから排出される二酸化炭素の影響をすべて解消できると公表しています。0.4%ずつ増やすのは簡単なことではありません。今はどちらかというと、土壌自体が二酸化炭素の放出源になっています。米国では100年間で黒い土が半分になってしまったのですが、それは黒い土に含まれていた有機炭素は耕起によって分解し、二酸化炭素として大気中に放出されたためと見られています。
本来の土が持っている炭素を有機物として固定する働きを取り戻すには、やはり人間が積極的に働きかける必要があります。例えば、化石燃料の燃焼によって生じた二酸化炭素を土に閉じ込めて、その認証された量を炭素クレジットとして石炭会社などに販売するビジネスもあります。米国では二酸化炭素が1トン当たり2万~3万円で取引されています。
国によって相場が結構違うのですが、米国では1000ヘクタールの農地を持つ農家も多いので、1ヘクタール当たり1トンの二酸化炭素を固定すれば3000万円の収入になります。土壌の研究よりはそのような事業のほうがもうかるので、買い取り企業と農家をつなぐビジネスを手がけるベンチャー企業に就職する方もいますね。
私自身は土壌の炭素を毎年0.4%増やすという目標の実現には懐疑的です。今まで炭素の放出源だった土壌を吸収源に変えるのはそんなに簡単なことではないと思います。その疑問を提唱者にぶつけたら、「0.1%でもいいんだ。0.4%と掲げて頑張っていくことが大事なんだ」とかわされてしまいました。でも確かにそれも必要な考え方ですね。
稲垣 土壌への炭素貯留はなかなか困難ということですね。厳しい状況は理解できましたが、新たな可能性は見えてきているのでしょうか。
藤井 畑の不耕起栽培や水田稲作が持続的にできれば、土壌に有機炭素をためることができて、農家が副収入を得られるようになるかもしれない。それで経営を改善できるなら悪いことではないと思いますね。ただ、不耕起栽培でも炭素がたまらないケースもあります。土壌中の二酸化炭素量の変動をしっかり追跡しないと、「グリーンウォッシュ」ならぬ「ブラックウォッシュ」のリスクがあります。
土壌炭素貯留技術の1つとして、木材、作物残渣(ざんさ)、家畜ふん尿などの有機物を高温で燃焼して炭化した「バイオチャー」を貯留する方策もあります。バイオチャーを使えば、土が黒くなっていき視覚的に炭素の貯留増加を認識しやすいので、検証しやすいと思います。バイオチャーは土壌への悪い作用もないので、比較的信頼できる炭素貯留物質です。
不耕起栽培用の土
環境・エネルギー問題も土壌改善が鍵に
稲垣 業種を問わない課題としては、温暖化ガスを抑制すること以前に、産業廃棄物による土壌汚染の解決も避けては通れない重要な課題ですね。産業界と土壌改善の取り組みを組み合わせ、エコシステム(生態系)として共生することは可能でしょうか。
藤井 多くの産業界では、生産プロセスの中から発生する二酸化炭素を減らす、「脱炭素」の取り組みが中心です。しかし土壌改善の分野では、廃棄物などを土に戻して黒く肥沃にする「再炭素」と呼ぶ取り組みが中心になります。再炭素の技術が確立すれば、土から育った生産物から発生するゴミをまた土に戻す、サーキュラーエコノミーの核になる可能性があります。
しかし、再炭素の取り組みを産業として成立させるには、産業廃棄物を分別して堆肥化するステップをきっちり行うことが重要です。そこがいい加減だと、農地はただのゴミ捨て場になってしまう。例えば、私の知人がいるレコテックという会社は「GOMiCO」というアプリを作って、利用企業に店舗から発生したゴミの排出情報を入力してもらい、それを回収して堆肥を作る企業とマッチングするサービスを提供しています。このように廃棄と回収の連携が整理される仕組みが整っていけば、再炭素も絵に描いた餅ではなくなるかなと思います。(続きは『フロネシス No.26』でお読みください)






