デジタルガバメントが実現する豊かな未来

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Vol.12 インターネット、VR、メタバース
能の世界から見えるデジタル社会

能楽は600年以上にわたって受け継がれてきた日本の誇る伝統芸能である。1985年に能楽大倉流小鼓方十六世宗家を継いだ大倉源次郎氏は、2017年に人間国宝に認定された。そんな大倉氏はデジタルへの関心が高く、YouTubeには自身のチャンネルを開設している。能とデジタル。遠く離れた世界のようにも見えるが、意外な接点があるようだ。日経BP 総合研究所主席研究員の小林暢子が、大倉氏に能楽の持つ魅力、デジタル社会における可能性を聞いた。

大倉 源次郎

能楽小鼓方大倉流十六世宗家
公益社団法人能楽協会 副理事長
人間国宝

600年以上続く伝統芸能、能は米作りのようなもの

――室町時代に発展した能は、今日まで600年以上にわたって受け継がれてきました。これほど長い歴史の中で、能はどのように変化してきたのでしょうか。

大倉 「命には終わりあり、能には果てあるべきからず」(『花鏡』)と世阿弥はおっしゃっています。能に終わりはない、そして、よりよい能をつくり続けることが能の命だということです。能楽師はその言葉を今も大事にしています。現在も新作能、創作能がつくられていますし、様々な試みがなされています。能の歴史を振り返ると、こうした挑戦があった一方で、古典として生き続けるための努力が重ねられてきました。いずれも、とても重要なことだと思います。

 能には前史がありますが、いくつかの地域に根差した芸能の流れが観阿弥・世阿弥の時代に集大成されました。その後、さらに発展して多くのバリエーションが生まれます。能をもとにした文楽や歌舞伎、そして琉球芸能などの演目も多い。このような歴史を経ながら、豊かな芸能文化が育ってきました。

――長く受け継がれてきた古典は多くありますが、人びとの受け止め方は時代によって違ってくるように思います。

大倉 源次郎氏

大倉 能の古典のテキストは室町期のものです。テキストそのものは大きく変わりませんが、作品に向き合う観客は変わりますし、その味わい方も変わります。時代によって変わる観客に対して、よいものを届け続けなければなりません。

 例えていえば、米作りのようなものです。時代が変わり、日本人の味覚も変わったと思いますが、私たちはご飯を飽きることもなく食べ続けています。同じように、能という伝統芸能をこれからも素直に味わってもらいたい。そのために、私たちに課せられた責任は重いと思っています。

――前史があるとのことですが、少し解説していただけますでしょうか。

大倉 シリアスな能、コミカルな狂言があることは多くの方がご存じでしょう。同じように神事芸能と娯楽性の強いものという、2種類の前身芸能があります。神事としての芸能が「翁」であり、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈念して、全国各地で年頭などに演じられました。

 「翁は能にして能にあらず」ともいわれ、今も能楽師はこれを非常に大切にしています。翁に対し、神男女狂(雑)鬼に分類された能の演目は実に240曲を数えます。今でも翁を勤めるとき、私たちは精進潔斎し、朝には水垢離(みずごり)をして翁の舞台に臨みます。この伝統が700年続いています。

全国各地の人びとをつないだ、メディアとしての能楽師

――例えば、世阿弥が配流された佐渡には多くの能楽堂があり、地域の人たちに親しまれています。能の文化が今も全国に根づいているのは、素晴らしいことですね。

大倉 大和など近畿地方で生まれた物語を、様々な能楽師が全国各地で演じて広めました。また、逆の動きもありました。全国各地に伝わる伝説などをもとに能がつくられ、大和にもたらされる。現代風にいうと、芸能者は一種のメディアとしての役割を担いました。こうして、全国に能楽が広がりました。

――確かに、メディアですね。現代においては、能楽師はどのような形でメディアと関わっているのでしょうか。

大倉 私が若い時分、何百人分かのチケット売りさばくために、よく駅前で公演のチラシ配りをしたものです。できるだけ多くの方に観ていただきたい、そうでなければ次の公演が打てなくなると思って必死でした。それが私たちの世代です。前の世代は、もっと苦労したと思います。

 一期一会の興業形態なので、基本、1日公演の能には宣伝費をかけられません。しかし、新聞やラジオで、公演の予定を紹介してもらうと、50枚、100枚とチケットが売れたりする。1枚を売るのに苦労していた身にとっては、驚きでした。同時に、情報発信の大切さを思い知らされました。

 インターネットが普及してからは、Webで情報を求めている方に直接届けられるようになりました。画期的なことです。最近は、SNSを使いこなす能楽師も増えています。フォロワーに情報発信するだけでも、相当の効果があります。能楽のような細く長く続く深い芸能にとって、デジタルは救世主のようなものだと思っています。

――デジタルと伝統芸能。対極にある世界のように見えて、実は非常に相性がよかった。とても興味深いですね。

大倉 SDGsのお手本のような能楽は、インターネットやSNSのおかげで、情報を欲しがっている人たちに確実に情報を届けられるようになりました。そのため、曲目解説などが詳しく発信できるのです。

 今後、情報発信の方向を工夫すれば、ごく小さな地方公演でも十分成立するようになるでしょう。それは地域の文化やコミュニティの活性化にもつながります。デジタル社会の将来には、大きな可能性を感じています。

 デジタルについて付け加えれば、VRやメタバースとの相性もいい。能の舞台は、一種の仮想現実です。面をかぶって誰かになり切るという行為も、メタバースの中の活動するアバターに近いかもしれません。その中で本物の生の舞台の面白さが伝えられると、なぜ能が大切なのかが分かると思います。

大倉 源次郎氏

デジタルと伝統芸能は相性がいい。
デジタル社会の将来には
大きな可能性を感じる

能という文化が人びとの心をつなぐ

――YouTubeの「源次郎ちゃんねる~華通信~」を拝見しました。

大倉 新しいもの好き、なのかもしれません。私は1957年生まれで、1970年の大阪万博のときには中学生。未来の世界に触れて、世の中は進歩するのだと素直に思いました。30代にはワープロを持ち歩いていましたし、早い時期からパソコン通信も楽しんでいました。

――ご子息に稽古をつけている動画を見て、「芸はこういう風に継承されるのか」と感銘を受けました。次の世代への継承のために、デジタルは役立ちそうですか。

大倉 記録を残す上では有効ですが、稽古での活用というのはなかなか難しい。動画を公開したのは、継承することの難しさをみなさんに知ってもらいたいからです。1つの曲を伝えるには時間がかかります。種を蒔いたらすぐに果実ができるわけではない。土を育て、そこに種を蒔き、水をやり、辛抱強く待たなければなりません。動画の視聴者には、そんなことを感じてもらえればと思っています。

――人を育てることが簡単ではないこと、その背後には様々な積み重ねがあることが動画から伝わってきました。同時に、能を通じて心が通じ合う様を感じ取れたような気がします。

大倉 師匠と弟子の間だけでなく、能という文化は人びとの心をつないでいます。昔から、日本人は自然とともに生きてきました。自然災害が多い土地だけに、神仏に真摯な祈りを捧げ、収穫に感謝するお祭りを開きました。そんなコミュニティの中に能がありました。昔ながらの風習が残っている地域は少なくなったかもしれませんが、日本人の心の深いところで、自然への感謝や畏敬の念が受け継がれていると思います。

大倉 源次郎氏

――今、テクノロジーは目まぐるしくスピードで進化しています。そんな時代だからこそ、自然の素晴らしさが見直されている面があります。同時に、自分の心を見つめ直そうとする人も増えているのではないでしょうか。

大倉 近代以降、人間は自然をコントロールできると思い込み、物質文明を大変な勢いで発展させました。しかし、その思い込みは幻想だったと、多くの人が気づいています。物質的な豊かさを追求するだけでは、人間は心からの幸せを感じることはできないでしょう。自然や文化といったものの大切さが、今改めて見直されていると思います。やはり、バランスが大事ですね。

――そのバランスを整える上で、能にできることがあるように思います。

大倉 大いにあります。私はぜひ、子どもの教育に能を取り入れてもらいたいと思っています。そんな話をすると「能は難しい」とか、「大人でも分からないのに、子どもに分かるはずがない」などといわれますが、そんなことはありません。

 能には5つのジャンルがあります。「神(しん)」「男(なん)」「女(にょ)」「狂(きょう)」「鬼(き)」。シテ(主役)の役柄による分類です。例えば、神様や武将、乙女の役を演じるのは、子どもにとっても楽しいことでしょう。そういう演目を通じて、喜怒哀楽の感情を自分なりに考えるようになる。表現力も育ちます。そのような体験を通じて、豊かな人間性を備えたおとなに成長してくれるのではないか。日本の将来も明るくなると思いませんか(笑)。

大倉 源次郎氏

能楽小鼓方大倉流十六世宗家
公益社団法人能楽協会 副理事長
人間国宝
大倉 源次郎

1957年生まれ。父十五世宗家大倉長十郎に師事。64年「鮎之段」の独鼓で初舞台。85年、大倉流小鼓方十六世宗家を継承。2015年観世寿夫記念法政大学能楽賞を受賞。17年、重要無形文化財個人指定(人間国宝)に。海外公演にも数多く参加している。(写真:赤司 聡)

大倉源次郎氏 小林暢子

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