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プラチナフォーラム2023 Autumn 開催レポートプラチナフォーラム2023 Autumn 開催レポートPICK UP

去る11月6日、日経トップリーダー主催のプラチナフォーラム2023 Autumnが開催された。新型コロナウイルスの鎮静化、インバウンドの復活もあって経済活動は回復基調にありますが、人手不足、円安、資源高など中堅・中小企業が事業を続けていく上での問題は今だに山積しています。今こそ企業の真価が問われるときです。様々なリスク要因と隣り合わせの時代に、中堅・中小企業はどのように対応をしていくべきか、豪華講師陣の講演の一部をレポートする。
主催 日経トップリーダー
協賛 M&Aベストパートナーズ、NTT東日本、SB C&S(ABC順)

PICK UP

1973年の創業から一代で「日高屋」を中心に直営店舗数440店舗※1、売上高381.6億円※2の一大中華食堂チェーンを築き上げたハイデイ日高。今も第一線で経営に当たるハイデイ日高 代表取締役 会長 神田 正氏がこれまでの歩みを振り返り、現在の思いを語る。
※1:2023年2月末、※2:2023年2月期

キャッシュフローの良さに感動してラーメンの道に

神田 正 氏
ハイデイ日高 代表取締役 会長
神田 正

神田正氏は1941年生まれの82歳。現在の埼玉県日高町で生まれた。中学を出て15歳で社会に出るが、世は就職難。小さな町工場に勤めたが、何をやってもつまらない。たまたまホンダの工場の臨時工に採用されたが、1年ほどして自分のやりたいことと合わないと感じ、退社してしまう。
 21歳のとき、友人から浦和の小さなラーメン屋の職を紹介された。仕事は出前と買い出し。そこで気づきがあった。
「買い出しに行くと、みんなツケで買って、月末に支払っていました。一方、ラーメン店は毎日現金が入ってくる。今風に言えばキャッシュフローが非常に良い。これはすごいと思い」ラーメン店を将来の仕事にしようと決意する。

本格的に大宮のラーメン屋で働き出したある日、常連客から「ラーメン屋を開くので、君に店を任せたい」とスカウトされる。場所は岩槻市の名店街とはいえ、人通りが少なく、10カ月ほどで店を畳むことになる。しかし、ビルのオーナーが、そのまま引き継ぎたいなら応援すると、近くの金融機関で100万円を用立ててくれたという。これが初めての自分の店だった。28歳のときである。すぐに客が増えてきた。岩槻は人形の町で、夜中まで働いた職人が夜な夜な来店したのだ。つい調子に乗ってスナックも開いたが失敗。そのショックもあってラーメン店も閉めてしまった。ある日、大宮の歓楽街に飲みにいった帰り、5坪の空き店舗があることに気づく。さっそく契約し、ここで再起をかける覚悟を決めた。

立地は歓楽街の一角とあって、客や従業員が次々に来店する。多忙になり、弟や妹の夫にも助けを求めた。やがて弟は腕を上げ、義弟も商売に慣れてきて自分の店を出して独立しようとしていた。そこで神田氏は2人にこんな話をする。
「それぞれ店を持って競うのもいいが、3人で協力すれば、10店舗くらいの会社になるよ」
 神田氏は、ある朝、2人を大宮駅前に連れて行った。駅から出てくる会社員は、3割ほどが手に弁当をぶらさげていた。「時代が変われば、あの人たちも外食をするようになる」と予想してみせた。また、2人の信頼を得るため、経理をガラス張りにして、お金の流れをすべて2人に公開し、会社としての活動が徐々に軌道に乗っていく。

経営計画発表会は成長エンジン

ある日、銀行に資金を借りに行くと、まともな帳簿がなければ貸せないと断られ、税理士を紹介された。その税理士が経営の助言に熱心で、経営計画発表会をやれという。神田氏は言われるままに、アルバイトまで集めて発表会を開催する。
「私が力を入れたのは福利厚生です。当時の飲食店は月に1日休めるかどうか。必ず週休二日制にすると約束しました。従業員がやる気になるし、取引先も信用してくれる。何よりも自分がやる気になるし、家族にも安心感を与えられます。夢は夜寝て見るものではなく、語るものなんです」

戦略面でも、神田氏の読みは見事に的中する。飲食業界の流れはロードサイド出店にあったが、神田氏は逆に駅前にこだわった。
「どの駅前にもラーメンとおでんの屋台がありましたが、道路交通法違反でいつかは屋台がなくなる。その客の受け皿が絶対に必要になると予想したんです」

その読みどおり、“屋台難民”が続々と押し寄せた。また、駅前の一等地の牛丼店やハンバーガー店と並ぶように出店して、ハンバーガーセットや牛丼並と同等の390円に設定した。これは自社の既存店のラーメン価格を下回る設定で、社内の反対の声を押し切っての英断だった。
「こうすることで、ランチの客は3つの店を順に回ってくれる」と踏んだのだ。

人手の確保はいつの時代も大変だったが、ここでも神田氏のアイデアが功を奏する。以前から、親を亡くした子供などを預かる児童養護施設の出身者が就職に苦労しているという話を耳にしていた神田氏は、こうした施設に出向き、出身者を毎年社員として積極的に採りたいと申し出た。自社の人材確保と社会課題の解決の両方につながったと神田氏は言う。

コロナ禍のピンチをチャンスに変えた決断

その後も順調に業績を伸ばしていくが、コロナ禍によるアルコール規制や営業自粛で、“ラーメン居酒屋”の日高屋は売り上げが激減。テレワークで街に人がいなくなったことも、駅前出店中心の戦略には大きな痛手となった。
 しかし、神田氏は「ピンチはチャンス」と捉え、ロードサイド出店に大きく舵を切り、幹線道路だけでなく、一本入った裏通りにも出店した。「うちは、昼はランチ、夜は近所の居酒屋的な存在。だから裏通りでも出せるんです」。

このように地方の裏道に出店する「ぽつんと一軒家」(神田氏)戦略は、ライバルがいないうえ、地域の人にも喜ばれる。半数ほどの店舗では、お昼の時間帯の厨房を主婦のパートが担っている。
「地方は店舗の家賃が安いですから、その分を時給に上乗せして、スーパーより50円ほど余計に払えば、採用力も高まる。地元の雇用創出につながり、夜は辺り一帯が明るくなって治安が良くなるなど地域貢献にもなる」と神田氏は説明する。

その一方、活気が戻ってきた都心では、歓楽街を中心に24時間営業の深夜食堂の展開に注力している。「コロナ禍以降、深夜営業の店が激減したため、うちの店は深夜3時でもお客が途切れない。ただし、安全のため、なるべく交番の近くに出店している」(神田氏)。

82歳になる今も経営の最前線に立つ神田氏は何を思うのか。
「かつては売上げが伸びれば自分の生活が良くなるといった私利私欲もあったが、今はない。利益が出たら、そのまま社員の給与のベースアップになるだけですから、私も後ろめたさを感じることなく、生産性を上げろと言えます。今の経営の目標は、従業員が幸せになること、出店先地域に喜んでもらえること、ステークホルダーに取引してよかったと言ってもらうこと、そして株主に満足してもらうことです。本当に貧しいところからスタートした会社なので、お客さんに感謝する気持ちはどこにも負けません。この気持ちを大切に、まだまだ大きくできると思っています。経営の打ち手は無限にありますから」

プラチナフォーラム 2023 Autumn
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