



不確実性と危機の時代、
企業とビジネスパーソンは
どうサバイブしていくべきか。
この困難な問いの最前線に立ち、
手探りで世界と渡り合う企業がある。
福島県二本松市で
270年以上続く酒蔵・大七酒造だ。
一地方の地酒を海外王室晩餐会で
供されるまでに育て上げた
十代目当主・太田英晴氏への
インタビューから見えてきたのは、
強靭な哲学に貫かれたブランド戦略である。
日経クロストレンド発行人の
佐藤央明をナビゲーターに、
“哲学でこそ飯を食う”
ブランドの姿を解明する。

2010年12月、史上初めて欧州王室主催の晩餐会に日本酒が登場した。オランダ王室晩餐会≪ガラ・ディナー≫で大七酒造の酒が振舞われたのだ。以降、フランスの有名ワイン誌で「飲むべき世界最高のアルコール飲料10選(2019年)」に選ばれ、パリ最高級ホテル「オテル・ドゥ・クリヨン」と初の日本酒コラボレーションを実施するなど、大七酒造は国内外で着実に地歩を固めてきた。
“日本酒のロマネ・コンティ”とも評される大七酒造の歴史はすなわち、長いものに巻かれない歴史だ。あえて他とは異なる困難な道を歩みつづけたのは、揺るがぬ哲学ゆえのこと。「力強く芳醇かつ、洗練されたきれいな酒」という、一見矛盾した長所が共存する大七の酒の味わいも、貫き通した哲学の賜物に他ならない。
連載初回は、“当たり前”に異を唱えた大七酒造の3エピソードをクローズアップ。哲学経営を象徴する逸話から、強いブランドの要件を探る。

日本酒は酵母によって米を発酵、熟成させることでつくられる。その酵母を、酒づくりに足るまでに増やす工程を「酛(もと)」と呼ぶ。元来、酛は生酛(きもと)造りと呼ばれる手法で行われてきた。
しかしこれが難しい。品質管理を徹底しなければ「腐造」を引き起こしかねないのだ。生酛には時間も手間もかかることが一因だった。そこで国は、発酵にかかる時間を大幅に短縮できる新技術「速醸酛」の開発と普及を進めた。明治の頃の話だ。

「江戸時代の酒造制限が廃止されると、明治初期には数万もの新規参入があったと聞いています。見様見真似で始める蔵も多く、腐造が続出し社会問題になりました。酒税は当時、国の重要な収入源であり“日清・日露は酒税で戦った”と言われたほど。腐造克服は喫緊の課題であり、国の主導で速醸酛は急速に普及します。私が業界入りした1980年代、生酛造りの蔵は数えるほどになっていました」
大七酒造でも大正時代に、速醸酛を初めて試みたという。しかし当時の当主・八代目 太田七右衛門貞一は「理想の酒を実現できない」と判断し、時間もコストもかかるが、力強い味わいを生み出す生酛造りへと回帰。昭和天皇即位式典の御用酒に選ばれるなど、名蔵として名を馳せた。
生酛造りとの決別を迫られるタイミングはもう一度来る。バブル期、淡麗辛口の日本酒が一世を風靡した頃だ。速醸酛の一般化は、日本酒に求められる味わいまでをも一変させた。

多くの酒蔵が競い合う全国新酒鑑評会で高評価を受けるのは軒並み「きれいな大吟醸」。雑誌の日本酒特集のページには「水のような」という誉め言葉が躍り、速醸酛の日本酒で埋め尽くされた。濃醇で力強い大七の酒は「囲炉裏端で老人が飲む昔風の酒」として申し訳程度に紹介されていればいいほうだった。個性の強い、複雑な味わいは「クセ」として敬遠された。
「不遇の時代でした。しかしフルボディの酒へのニーズは必ずあるから踏ん張ろうと。生酛は決して古臭い酒ではなく、王道を張れる酒だという矜持も胸にありました」
大七酒造の十代目・太田英晴は当時をそう振り返る。時を同じくして、追及を始めたのが「料理との相性」だ。
「当時、グルメがブーム化しましたが、西洋料理のフルコースに日本各地の純米大吟醸をずらりと取りそろえるだけで、料理とのマッチングといった概念はほぼありませんでした」
生酛造りの懐の深さに可能性を感じていた太田氏は、有名ソムリエとともに、フランス料理のフルコースと大七の酒のマリアージュを試みた。
「微発泡性の軽めの本醸造を添えたオードブルに始まり、魚料理には軽やかさのある純米吟醸、肉料理にはしっかり熟成させたフルボティの純米大吟醸、デザートには日本酒ベースの梅酒や貴醸酒、というように、時間軸にそって食事を演出するには酒にも幅が必要です。吟醸酒ばかりもてはやされるけれども、料理の中ではどの酒も生きる。ワインも実に多様ですよね。しかも、熟成に強い生酛造りなら、コースの最初から最後まで対応できる多様な酒造りが可能になる。食の西洋化が進む中、20年熟成の高級赤ワインに太刀打ちできる日本酒があるとすれば、生酛造りに違いないと実感したのです」
そうポテンシャルを確信しながらも、時流は無視できない。模索を続け、速醸酛に関するセミナーに参加したこともあった。百貨店への登竜門たる「金賞」獲得競争は激化し、セミナーでは鑑評会攻略法が滔々と語られた。福島県や東北地方では高い評価を得られても、全国では銀賞止まりが続き「ガラスの天井」を感じてもいた。今の時代に評価されるのは、やはり速醸酛なのか。金賞を取れる酒を目指すべきなのか。悩ましい日々が続いた。
しかし、セミナーから帰る電車の中で「違う」と改めて思った。
「千年前に源氏物語が書かれたとき、世界にこれほどの文学は存在してなかったのと同様に、300年前に生酛造りが確立したとき、世界のどこにもこれほど精緻なバイオテクノロジーは存在しませんでした。日本人が最も世界に誇るべき酒は、簡易製法の酒であるはずがない。生酛の酒こそ、世界に胸を張って出していける。私は時間をかけてでも、これが大七の考える最高の酒ですと言えるものを、生酛で追求しようと腹をくくったのです」



生酛造りの美点である「力強く芳醇」な味わいに加え、速醸酛の持つ「洗練されたきれいさ」も表現する。いまだかつて世に存在しなかったその味わいを実現するために選んだのは、精米方法の革新だった。
日本酒は差の出にくい米を原料とするため、数値面での競争に陥りやすい。それが「精米歩合」だ。精米して残った米の割合(=精米歩合)が低いほど“きれい”であるとか“雑味がない”、“繊細”であると評価される。酒となる部分が少ないので当然高額になり、ありがたがられもする。たとえば純米吟醸を名乗れるのは精米歩合60%以下、純米大吟醸は50%以下と定められており、「精米歩合35%」という数字は高級酒の枕詞にもなっている。
しかし大七酒造はこの精米歩合競争とは距離を置き、削る“量”ではなく“質”、つまり削るべきところを的確に削る技術に着目した。きっかけは、1993年に業界誌でみつけた1本の論文だ。

「当時の東京国税局鑑定官室長・齋藤富男先生が、『扁平精米』に関する論文を執筆されていたのです」
精米の目的は、米から雑味や異臭の要因となる部分(ぬか)を取り除くこと。従来の精米では、削ったあとの米はほぼ球状となる。短時間で米を割ることなく磨くためだ。しかし論文には「ぬかは表面から均等な厚さで存在しているので、皮をむくように精米したほうがいい」とあった。つまり従来の方法では、楕円形の米のうち長径方向は削りすぎ、短径方向は削り足りないということになる。たとえ35%にまで小さく削っていても、ぬかそのものは残存していたのだ。

しかし、米を均等に磨くと一回り薄く平たく、つまり“扁平”になるが、それは同時に割れリスクの急増も意味した。大七酒造は、一般的に機械任せだった精米過程に職人技を掛け合わせ、扁平精米方式の実用化に初めて成功。その技術に「超扁平精米」と名付けた。日本酒業界における大きな技術革新だった。
2001年、超扁平精米を用いた大七酒造の生酛純米大吟醸は「ガラスの天井」を突き抜け、全国新酒鑑評会で金賞を獲得。2003年に二度目の金賞を受賞したところで、大七酒造はまた驚くべき決断をする。全国新酒鑑評会への出品を取りやめたのだ。
「生酛造りでも、精米歩合50%でも、力強さと“きれいさ”を両立した日本酒をつくりベンチマークとしていた金賞受賞を果たせた。二度の受賞なのでまぐれでもないでしょう。それを示すことができたので、理想の酒を追求すべく新たなステージへ進もうと思ったのです」
なお、大七酒造の精米部長・尾形義雄氏はこの超扁平精米の技術によって、科学技術庁長官表彰(1999年)、福島県卓越技能者「福島の名工」表彰(2000年)、日本醸造協会醸造技能者表彰(2003年)、厚生労働省「現代の名工」表彰(2008年)を受けている。いずれも、精米技術者としては史上初のことだった。



世界の美食家の食卓には、どのような酒が並ぶのか。賞レースから離脱した太田英晴の関心はそこに集中していた。
「同じ醸造酒であるワインを見ても、評価されるのは新酒ではなく熟成を経たものです。うちのワインは水のようにきれい、などとPRするシャトーはどこにもないですよね。より力強く、深みがあり、時間だけが上乗せしてくれるおいしさを持つ。それこそが、普遍的な価値を持つ酒だと考えました」

もともと、熟成と生酛造りは相性が良い。生酛での発酵は、速醸酛でのそれに比べて時間がかかる。ゆえに、管理できなければ腐造を引き起こすが、うまく制御できれば時とともに劣化ではなく熟成が進み、人知を超えた領域へと成長していく。
「速醸酛では、調整された乳酸液で雑菌を死滅させ腐造を防ぎます。しかし、乳酸の分解が進んだ後に紛れ込んでくる雑菌には抵抗力を持ちません。一方、生酛の場合は濃糖、低温、乳酸発酵による酸性という複合的な仕組みで雑菌を淘汰します。また生酛では、過酷な生存競争によって弱い酵母は淘汰され、強い酵母だけが生き残ります。生命力の高い生酛の酵母は低温での長期の発酵が可能で、しかも熟成によって成長するポテンシャルを獲得します。つまり、世界の美食家が求める高級酒の製造に非常に適しているのです」

現在、大七酒造では新酒の販売をほぼ行っていない。貯蔵庫で寝かせ、ゆっくりと熟成させるのだ。市場に出るまでには、平均で2年間の月日を要する。大七の最高級純米大吟醸『妙花闌曲グランド・キュヴェ』には、28年間にもわたる貯蔵酒がブレンドされているというから驚く。
「酒造りでは、精米歩合を低く抑えることより、熟成のための貯蔵にこそコストがかかります。大七の場合その貯蔵・熟成のコストは理想に近づくための投資であり、お客様にはそこを納得して購入していただけるようになりたいと思っています」
今、大七酒造の日本酒はフランス・パリの最高級ホテル『オテル・ドゥ・クリヨン』でいつでも愉しむことができる。“大七は日本酒のロマネ・コンティ”とは、そのフランスのトップソムリエの一人、グザビエ・チュイザ氏の言葉だ。
「かつて、フランスの高級ショップに並ぶ素敵なワインを見て、『ここに日本酒を、そして大七を並べるにはどうしたらいいか』と思いを馳せたこともありました。私が生きている間にそうした時代が来るかどうか、確信はありませんでしたが、理想に対してマイナスになるような行動は取らず、わずかずつでも前に進んできたつもりです」
大七酒造の背中を追うように近年、一度は絶えかけた生酛造りをリバイバルさせる動きも活発化してきた。海を越え、時を超えて評価されるのは、当たり前にとらわれず己の信じる道を貫く酒蔵である。その証左と言えるのではないだろうか。

