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激動の世を生きるブランド術 激動の世を生きるブランド術

不確実性と危機の時代、
企業とビジネスパーソンは
どうサバイブしていくべきか。
この困難な問いの最前線に立ち、
手探りで世界と渡り合う企業がある。
福島県二本松市で
270年以上続く酒蔵・大七酒造だ。
一地方の地酒を海外王室晩餐会で
供されるまでに育て上げた
十代目当主・太田英晴氏への
インタビューから見えてきたのは、
強靭な哲学に貫かれた
ブランド戦略である。
日経クロストレンド発行人の
佐藤央明をナビゲーターに、
“哲学でこそ飯を食う”
ブランドの姿を解明する。

「哲学」というととかく経営やビジネスから遠いものとして扱われるきらいがある。しかし、唯一無二のブランドを築いてきた「大七酒造」ではこの哲学こそが経営の羅針盤であり、時に大胆な投資実行のエンジンにもなる。連載2回目では、大七酒造の哲学とブランドを「時間への投資」という観点から深掘りする。

2024年12月、うれしいニュースが飛び込んできた。日本の“伝統的酒造り”がユネスコの無形文化遺産に登録されたのだ。2013年に和食が登録されていたが、今回は酒単体がクローズアップされた形だ。伝統的酒造りとは、麹を用い、職人の手で仕込まれる日本酒や焼酎等を指す。今回の登録について、大七酒造10代目蔵元・太田英晴社長は次のように評する。

「世界の酒造りを見渡しても、日本の麹はかなり特殊です。わずか48時間で、一粒一粒の米に狙った通りに麹菌を育て上げていく。まさに日本の風土や職人気質のたまものです。私は今回の登録を、麹への注目であり、麹が生み出す“うま味”への評価だと考えています」

一般に、日本酒のうま味はビールの8倍、ワインの3倍とも言われる。多種多様な世界の酒のなかに日本酒を位置付けるなら、うま味こそが個性として最も際立つはずだ。海外には「UMAMIとは何かを日本酒によって知った」と話すソムリエもいるという。

そのうま味で、国内外から高い評価を得ているのが大七だ。江戸時代から変わらぬ伝統製法「生酛造り」で醸される酒は芳醇なうま味を特長とするが、大七はこれをさらに深化させた。

緻密で繊細な職人の手により仕込まれた酒をさらにその先、人智を超えた領域へと引き上げる─そのために大七が選んだ投資先は、最先端の設備でも開発研究でもなく、なんと「時間」であった。

時間に投資し、世界一を目指す

多くの日本酒は、秋に収穫した新米で冬に仕込み、翌年夏から秋にかけて出荷される。新酒ともなれば仕込み年の12月から出回ることも。しかし国内でもごくまれな、伝統的生酛造りを貫く大七は、酒造りとその後の熟成、2つの地点でこの「通常ペース」から大きく遅れている。なかでも特筆すべきは熟成期間の長さだ。平均でも1年半から2年、時には10年近く貯蔵してようやく出荷に至るというから驚く。

「酒造りは本来“複雑系”そのもので、人間の設計通りには進みません。それを制御すべく開発されたのが、現在主流の速醸酛です。合目的的に『こんな酒を造りたい』と設計図を描き、最短コースで到達するのに適した酒造りですね。ただ、設計通りでは少し味気ないでしょう。生酛造りの酒は微生物の生存競争を生き抜いてこそ生まれる味わいです。さらに熟成を重ねれば、人間の意図を超えて酒が成長していく。我々は時間の試練に耐えうる強い酒を仕込みますが、その種を花開かせてくれるのは唯一、時間なのです」

こうした「時間」にコストをかける姿勢に自信を深めた出来事がある。2000年代始め、ドイツのワイナリーを見学した時だ。

「多くのつくり手が『うちの白ワインは30年の熟成に耐えられる』と言うけれど、実際に30年熟成後の白ワインを飲ませてくれるシャトーは数少ない。そう語る知人が、ここでなら味わえるというシャトーに連れて行ってくれたのです」

そこで出合った1970年代の白ワインは、鮮烈な印象を残した。

「時間だけが醸し出せる味わいでした。白ワインのまま変質せず、ただ円熟していたのです。30年もの時を経たワインを、実際にシャトーで飲むことができる。この得難い体験こそ、何より雄弁に酒の価値を伝えてくれると実感しました」

大七でも以前から、品質確認用サンプルとして十数年にわたり自社の酒を貯蔵していたが、販売目的ではなかった。そもそも当時、業界では熟成という概念は希薄で販売先もない。ごくわずかに速醸酛の蔵で古酒がつくられていたものの、それは琥珀色でシェリー酒のような風味のもの。日本酒とは味も香りも全く違っていた。微生物の力を最大限引き出す生酛造りなら、時間に対しても並外れた強度を持つ。日本酒の味わいのまま、長期熟成を経て円熟味を増した酒を生み出すことができるのではないか。やってみたい、という意欲が湧いた。

その意欲を増幅させる出来事が同時期にもう一つあった。ワインの最高峰として知られるロマネ・コンティのシャトーの見学だ。

それまでにもワイナリーの見学を重ねていた太田社長は、圧倒的な設備を前に「これは真似できない」と感じたこともたびたびあった。ピカピカ光るステンレスタンク、コンピュータによる隙のない温湿度の制御。そんな時に訪れたロマネ・コンティの蔵はしかし、最先端とは対極に位置するものだった。

小さな村にたたずむ石蔵には空調設備も見当たらず、ワインは木桶で醸されている。発酵中の温度管理は基本的には自然任せで、あまりに温度が上がり過ぎたときは冷水をつかって温度を下げる。そこにあったのは、自然と人の力だけで行う昔ながらの酒造り、ただそれだけだった。

「財力がありそれを惜しみなく設備投資しているからロマネ・コンティが世界一になれたわけではなかったのです。それを目の当たりにした以上、もう自分には出来ないと言う訳にはいかないと思いました」

二度の体験を経て、大七の酒造りへの思想はますます研ぎ澄まされていく。伝統的な生酛造りで、世界に冠たる日本酒を生み出すために欠かせないのは「時間」だ。時間こそが、人智を超えた場所へと酒を花開かせる。そして、その母胎は酒蔵だ。自然環境に限りなく近く、複雑な微生物相を永続的に保持できる環境でこそ、理想の酒が造られる。

こうして大七の哲学は、時間への投資─つまり、新蔵建設への大規模投資という形で立ち現れることとなる。

母胎としての設備で、種を造り、時で花開かせる

以前の大七の酒蔵は、自然の力を最大限引き出す構造にはなっていなかった。江戸時代以来の土蔵に鉄筋コンクリート造りの建物を増設し、蔵と蔵の行き来にも不便をきたしていた。そこで太田社長は1990年代半ばごろから、創業250年の節目となる2002年を目処に一度リセットし、蔵と社屋を新造することを考えていた。シャトーで得た気づきは、その方向性を確かなものにしたのだ。

新しい蔵を作るうえで絶対に譲れなかったものがある。微生物と水の維持、そして永続性だ。200年以上かけて今に至る蔵付きの乳酸菌を始めとする微生物相を、遠い将来にわたり維持できることを前提にした。

「最先端の食品工場なら、衛生のために無菌状態を選ぶでしょう。しかし大七の酒造りには、微生物こそが欠かせません。建築素材も珪藻土と木、そして二本松の地層を特徴づける御影石です。細やかな手入れが必要だけれど自然に近い環境で、微生物が通年居心地よく棲み着き、外から来た雑菌を跳ね返す。自力で衛生を保てる強い蔵を目指しました」

社屋と蔵の新造・移転に10年もの時間をかけたのも、微生物相をしっかりと引っ越しさせ、酒の母胎として変わらず機能させるためだ。旧蔵の壁を持ち込むなど、考えうるすべての工夫を凝らした引っ越し後、新蔵では微生物の関わりの少ない工程から取り掛かり始め、徐々に本丸へ。生酛室(酒母室)は最初の数ヶ月間、旧蔵で開始しては、順調に生育しているのを見定めてからタンクを新蔵に運び込むことを続けた。旧仕込蔵から酒造作業を移動させるのに要した月日は、丸3年にも及んだ。

水の維持にあたっては、敷地内にある4つの井戸について水脈調査から始めた。

「4つの井戸すべて異なる水脈に属しており、仕込み水用の井戸は地層内の尾根のような場所から独立して湧き出していました。非常に優れた水環境なのですが、いずれも水位が浅いことがネックでした」

それら水脈を決して傷つけるわけには行かない。杭の一本も打たず、しかし堅牢な蔵にするために工法から徹底的に検証し、工事は慎重に慎重を重ねて進めた。それでも移転後しばらくしてから、一本しかない仕込み水用の井戸が突然濁った。工事のストレスで井戸の土管の継ぎ目がわずかに欠け、土砂が混じりこんだのだ。土管は、江戸時代に作られたものだった。

応急処置もできたが「水は酒蔵の生命線です。250年前の土管が今後、どこまで保つか。そう考えると、徹底的に補強をすべきだと判断しました」

土管より一回り小さなステンレス管を入れ、隙間を真砂で埋めた。特殊な材と溶接を要し、コストは1千万以上上振れした。決断の基準はただ一つ、「この材料は100年もつか」否か、だ。そうして補強した井戸は、後の東日本大震災の揺れも耐え切った。

今、新しい蔵には、和釜で米を蒸すために新造した大きなかまどが2基並ぶ。ほとんどの酒蔵は今、ボイラー設備で米を蒸す。築炉工事を手掛けられる職人探しにも難儀した。

「職人の技を生かせば、伝統的なかまどで十分どころか、ボイラーよりもぐっとよく蒸し上がる。であれば、どんなに手間やコストがかかろうと伝承するのが我々の役割です。もし大七が安易に便利な機械を導入すれば、最初から最後まで一貫して伝統的酒造りをしている蔵が日本から消えてしまう。それは江戸から続く文化の損失であろうと思うのです」

そこには経営者としての冷静な判断もある。

「これを買ってきて使えばいい、というような選択はしません。それでは資金力のある大手にすぐ追随されてしまう。独自性を保つには、匠の技や熟成など“時間のかかる部分”への投資が必要です。それが結果として参入障壁にもなるのです」

過剰投資ではなく世代間分業

2005年に完成した酒蔵は、安達太良山の麓でひときわ存在感を放つ。レトロモダンな近代建築を思わせる蔵は、訪日外国人を含む多くの観光客が二本松市を訪れるきっかけにもなっている。

「建設前は、過剰投資ではないかという指摘も受けました。築年数の浅い箇所もありましたし、必要に応じて都度改修すればいいというのも頷ける話です。しかし、それではまた十数年の間、中途半端な状態が続く。そこで生まれる酒も同様でしょう。世界の一流に肩を並べる、という目標が遠ざかるばかりだと考えたのです」

思いを曲げずに実現できたのには、志の他にもいくつか理由がある。

「地元で景観を重視したまちづくりへの機運が高まっていたことや、超低金利時代だったことも背中を押してくれました。この決断は、先代である父が資産を貯めていてくれたからこそ実現したものです」

時代ごとに果たす役割の違いを太田社長は“世代間分業”と表現する。以前、信用調査会社から指摘されて腑に落ちた。

「新蔵は、私の代のためだけのものだと考えれば、確かに過剰投資かもしれません。しかし、これは以後数世代にわたって生きる資産です。豊かな微生物相やお客さまとの信頼関係など、先代までに蓄積してきてくれた資産があるからこそ、私自身チャレンジできる機会に恵まれました。こうした世代間分業こそが、規模では決して勝てない中小企業が大企業に勝つ数少ない方法の一つではないでしょうか」

なぜ、大七は時間に投資をするのか。それは、そうすることでしか生み出せない価値があり、その価値こそが大七に不可欠だからだ。

こうした時間への向き合い方は、商品開発にも通底している。2020年の正月を前に、大七は新商品としてお屠蘇(とそ)の販売を始めた。お屠蘇は日本酒とみりんからつくられ、みりんは焼酎からつくられる。お屠蘇のために焼酎の蒸留に着手したのは2015年で、漬け込む生薬は高野山から取り寄せ、1年間かけて吟味して配合を決めたというから、ずいぶんと気の長い話である。しかもお屠蘇の出番は通常、1年のうちたった1日、元旦だけにもかかわらず、だ。

販売までかけた約5年という歳月も、270年を超える大七の歴史の流れの中では、ほんの一瞬に過ぎない、ということかもしれない。