

2013年10月22日・23日、社員総出で別府に飛び、APUにお邪魔して2日間研修をさせてもらったんです。
大学のキャンパスを皆で探検したり、学生たちとトークセッションをしたり、授業に混ぜてもらったり。授業も、先生が一方的に話すのではなく、ティーチング・アシスタントと呼ばれる先輩の学生がついている。学生同士がお互いにインタビューをするワークショップなんかもある。
僕の覚えている大学の授業は、先生が大教室の教壇で一方的に話すだけで、生徒は居眠りしているって感じだったんだけど、まったく違った。
こんな大学だったら、僕が行きたいよ。
「ほぼ日」の社員たちからも同じ声が上がりました。
APUがうまくいったのは、大学がある別府という町にも秘密がある。現地に行ってそれを感じました。研修1日目の夜に、地元の方に、別府の路地裏を案内してもらった。湯けむりがあちこちから立ち上る温泉街、別府。昔から温泉街って、傷ついた人やよそ者なんかが逃げ込む場所でもあった。異端な人をまるごと受け入れて、かくまってくれる。いまでもきっちり怪しさと懐の深さが町から伝わってくる。
別府という町だからこそ、80ヵ国以上から集まった留学生がひしめくAPUという大学がぬくぬくと育つことができたんですね。普通、地方の小都市にいきなりいろんな外国人がどかっとやってきたら、普通だともっと色めき立っちゃったり、摩擦があったり、となってもおかしくない。事務方の皆さんが地域住民にこまめに説明してアフターフォローもしていた経緯はあったんだろうけど、APUというグローバルな大学が受け入れられたのは、別府という温泉街が、ある種のアジール(聖域、避難所)だからじゃないでしょうか。
つまり、アジールとグローバルが1つになったわけです。アジールとグローバル、実は相性いいですよね。異質であることをお互い認めあう。誰もが異質だからこそ、誰もが同じ目線で一緒にいられる。
この研修をきっかけに、「ほぼ日」ではAPUと大阪でイベントを一緒にやったり、今年の2月には「活きる場所のつくりかた。」という半日がかりのトークイベントを一緒に開催しました。この6月には、福島の原発問題を科学的に誠実に分析し続け、僕と共著で『知ろうとすること。』を出した物理学者の早野龍五先生が授業をやるんですね。僕も遊びに行きます。
開学から15年たって、たぶんAPUは外からいろいろ言われる時期に来ているかもしれない。そもそもこういう特集をやるってことを含めて。
もっと学問的な研究を強化したほうがいい、とか、もっと偏差値を伸ばそうとか。でも、そういう外の人が言う「価値」って、僕が好きじゃなかった、昔の大学のものさしで計った価値じゃないかなあ。
APUがすでに体現している成果って、そっちのものさしでは計れない、別の「頭の良さ」を磨いた学生たちが育っているってことだと思うんです。
勉強ができる、というのは、すでにある問題の答えを出す、テストでいい点数がとれるってことですよね。こういう"頭の良さ"だけでは、多分これからの仕事は面白くできないんじゃないか。要するに情報処理が速いってだけですから。そういう能力は、コンピュータに置き換えられちゃう。
本当に"頭の働き"が良くないとできない仕事ってあるんです。
例えば「接客業」です。
接客業って、本当に頭の働きが良くないとできないんですよ。答えの分かっている問題を解いてきただけの人には無理。接客業って人間関係を解くこと。脳内のブドウ糖を一番消費するのは人間関係の処理です。それくらい頭を使う。
人間って、それぞれがいろいろなことを考え、絶えず動いているわけです。そんな複雑な動きをする人間という存在に対して、目的を持ってつながり、サービスするのが接客業です。
「接客業がすごいぞ」と僕に気付かせてくれたのは、渋谷の109です。
109の中に入っているお店では、学歴があるわけでも資格を持っているわけでもない若い女の子が、洋服大好き!ってだけで仕事を始めて、気が付いたら店長になっている。20代の女子店長が、店長会議に出たり、仕入れをやったり、アルバイトの子の人事管理をしたり、お客さんのトラブルを処理したり、とまさに現場であらゆる仕事をこなす。つまり経営をやっている。大学出てサラリーマンになってという日本の企業社会に足りなくなった、一番面白くって、一番力のある物語です。
「ほぼ日」でも、欲しい人材って「お店を任せられる人」です。お店を任せられるって、すごい能力ですよ。学歴だの資格だのじゃ計れない。
「お店を任せられる人」は、視界に入らないところまで、ぼんやりすべてを把握してる。動物はみんなできるけど、人間はなかなかできない。店長さんで言うと、お客さんが何をしているか、店員がどう動いているか、すべてが分かってる。マネジメントの理論なんか知らなくても、すごくいいリーダーです。突発的なトラブルがあっても対応できる。人を好きになる力、人に好かれる力がある。偏差値より、いま重要なのはこういう力なんじゃないかな。
APUって、まさに「お店を任せられる人」たちが育ってるところじゃないですか。
「ほぼ日」とAPUとで企画したイベント『活きる場所のつくりかた。』では、3組のAPU卒業生に登壇してもらいました。
震災で大変なネパールで、子供たちのために学校を作ろうとしているジョシ君とライ君。大阪で将来が見えない高校生のためのNPOを立ち上げた今井紀明君と朴基浩君。インドネシアで貧しい子供たちのために里親制度を作ろうとしているメガさん。みんな、自分のすごい「お店」を作ろうとしている。どれも小さな意味での「ビジネス」じゃなくて、自分の国の恵まれない「お客さん=子供たち」を幸せにする仕事で。
APUでなぜ、そういう人たちが育つんだろう。
理由の1つは、「お前、変わってるな」とお互い言う必要がない環境だからです。だって、お互いみんな「変わっている」のが前提ですからね。学生も先生も、国籍も違えば、肌の色も違えば、母国語も違うわけで。日本人って、どこかに"普通"があると思い込んでますよね。真ん中がある、と思い込んでいる。お勉強でもそうです。偏差値って、まず偏差値50っていう真ん中があるわけでしょ。でも、個人個人を見てみたら、普通の人なんて、どこにもいないんですよ。
むしろ、いろいろな国の人が混じり合って一緒にいろいろやっているAPUの「みんな変わってる、僕も変わってる」という前提で、お互い付き合っていく、という感覚のほうが人間として自然だし、本当なんじゃないか?接客をするというのは、人のことを我がことのように考えられないと駄目なわけで、これは結局ものを作ったり、マーケティングをしたり、だってお客さんとしての自分を徹底的に想像できないと、ろくなものはできないというのと一緒です。
APUって最初の理想をかたちにした時点で、もうすでに1回成功しているんです。
50%が留学生で、50%の先生が外国人で、50ヵ国以上の人を集める。
異質な人同士が、一緒に顔を合わせて、人間としてお互いぶつかって、勝手に学んでいける。偏差値で輪切りにされた日本人の学生しかいない大学では、どんな教育を持ってきてもできないことが実現できている。
もちろん、留学生を50%以上にする、とか、一からルールを決めて大学をつくるのは、すごく大変なことだったと思います。すでにある書類に書き込むだけだったらすごく楽なんですよ。ホテルのプランで結婚式をやるのって、自分たちの手間はかからないでしょう? ゼロから自前でレストランを貸し切って自分たちでやろうとすると大変。さらに、小豆島でレストランウェディングを自前でやろうなんていったら、もっと大変です。なんで、小豆島で結婚式をやるかは置いておいて(笑)。
でも、大分県の別府の郊外にゼロから留学生が5割を超える国際大学をつくろうっていうのは、そういうとんでもない手間を厭わないとできないってことだから、無茶なんです。無茶だからこそ、その無茶が実現した時点である意味成功してるんですね。
留学生の子たちは、日本にたどり着いただけですでに物語を持っている。「自分はなぜこの大学に来たのか」を、本当に考えて来た子たちは、何を学ぶべきかもう分かっています。恐らく、日本人の学生たちはそういう「物語」を持ってないから、留学生たちに圧倒されるかもしれない。いいですよ、それで。どうせ混ざるから。混ざる、というのはAPUの特徴ですよね。
職員や教員と学生との距離が近い、というか混ざっているのも面白い。APUに行くと、副学長の今村さんがどんどん面白い学生を連れて来てくれるんだけど、よその大学で「うちの学生です」ってエラい人が連れてくるのは、野球部主将とか、ピアノコンクールで優勝した子とか、なんかの研究で成果を上げたとか、そういう学生でしょう。APUだと「ただ面白い子」を連れてくる。副学長と学生が同じ高さの目線なんですよね。
こういう空気が自然なのは、外国語が混ざってる、ということもあるでしょうね。先生も学生も、みんな名前で呼び合ったりできる。
言語って、1つの体系ですよね。利口な人ほど、体系を守りたがる。APUでは、基本的に英語と日本語という2つの言語が公用語で、それが混ざり合うと、日本語だけの体系が壊されて、新しい体系が否が応にもできてくる。コミュニケーションのルールも新しくできる。だから、より混ざりやすいんでしょう。