留学生50%、出身国80ヵ国、外国人教員50%の大学が生まれたわけ

いま、ビジネスや政治の世界では、日本の大学をどうすべきか、熱い議論が交わされている。

「即戦力となる実学志向の大学を増やすべきじゃないか」
「いやいや、海外のエリート養成校はみんなリベラルアーツ志向だ」

議論百出だが、共通するのは、未来の日本の大学に「グローバル」化を求めていることだ。少子高齢化が叫ばれ、国内市場が縮小する中、大学たるもの、世界で戦える人材を輩出してほしい、というわけである。

折しも、2014年、文部科学省が若い世代の「内向き志向」を克服し、国際的な産業競争力の向上や国と国の絆の強化の基盤として、グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる人材の育成を図るため、大学教育のグローバル化のための体制整備を推進する「スーパーグローバル大学創成支援」の対象となる大学を採択した。東京大学、京都大学をはじめとする国立大学、慶應義塾大学、早稲田大学など有名私立大学の中から、選ばれたのは全国でたった37校。

その1校に選ばれた、大分県別府市の温泉街の外れにある開学15年足らずの若き大学がある。
立命館アジア太平洋大学、通称APUである。

37校のスーパーグローバル大学=SGUに選ばれたAPUは、
2015年2月、在学生・卒業生・教職員が共同して未来のAPUについて話し合う
SGUキックオフイベントを行った。

2000年に開学したばかりのAPUがなぜスーパーグローバル大学に選ばれたのか?

理由は明白だ。APUは、文字通り、日本ではおそらく唯一といっていい「本当のグローバル大学」だからである。

日本の大学界では、慶應義塾大学が1990年、湘南藤沢キャンパスに2つの新学部を設立し、「SFC」ブランドが確立して以来、すでに国際関係の新学部を設置したり、新しい大学が誕生したり、という動きがずっと続いていた。その多くの大学でやっているのは、英語による授業を重視するという「日本の学生の英語力、国際性をアップする」ことである。

APUのグローバル教育は、こうしたやりかたとは一線を画す。英語による授業はもちろん多いのだが、この大学は、学生の陣容、教員の陣容そのものが「グローバル」なのだ。

2014年のAPUの外国人学生と教員の出身国は77カ国。学校創立以来134カ国の学生と教員がAPUに集まった。

在校生の約50%が海外からやってきた留学生である。出身地も約80ヵ国、これまでに134ヵ国の学生がAPUで学び、卒業した。日本人の学生も、九州出身者にとどまらない。日本人の学生の半数は首都圏や関西など九州以外出身者であり、全国から集まっている。教員も50%が外国人である。カリキュラムには、学生に課題を与え、自ら解かせる、自発的な能力を高める仕組みが多数取り入れられている。

APUは日本人学生に英語を教えるための大学ではない。

世界中から、日本中から、学生が集まって、別府の郊外の山の上で一緒に「学ぶ大学」なのだ。そこには、言葉や文化を学び合い、ともに問題解決に取り組む日常がある。まさに、海外の大学で学ぶ以上の国際的な教育環境とキャンパスライフが、APUで実現しているわけである。

世界各国から集まってきた学生たちは、別府の温泉街の郊外のキャンパスで濃密な4年間を過ごし、別府を第二の「ホームタウン」と呼ぶようになる。実際、APUとその学生、卒業生は、地元の大分県や別府市とも密接な関係を結び、大学を中心とした地域振興やグローバル化が進んでいる。

APUでは開学当時から「学生の50%を留学生に、出身国を50ヵ国以上に、教員の50%を外国人に」という構想を打ち出した。それを聞いた日本中の大学関係者の多くが「そんな大学、うまくいくわけがない」と一笑に付したという。

それから15年。APUは確実に、日本一、アジア一のグローバル大学の地位を築きつつある。世界中の国から集まった留学生たちと4年間を過ごした日本人学生は、「世界を知る若者」として、各国の留学生は、「日本語」と「日本」を知る最強のパートナーとして、国際化を進める日本企業からはひっぱりだこだ。起業家になったり、NPOを立ち上げたりと独立心に富む卒業生も数多い。

なぜ、APUは、「絶対無理」という前評判をひっくり返し、真のグローバル大学として成長し続けているのか? 

そもそも、なぜ別府の温泉街にグローバル大学が生まれたのか?
留学生と日本人が入り交じる在校生たちの勉強ぶり、生活ぶりは?
日本人と留学生が一緒に育つユニークな授業の秘密は?
卒業生たちの活躍ぶりは?
採用した企業の反応は?
そして地元大分とAPUとの関わりは?

超グローバル大学、APUの謎を、この連載では探っていく。

56歳の今村正治副学長は、超エネルギッシュ。
別府を拠点に、全国を、世界中を飛び回る。

最初に登場するのは、副学長の今村正治さん。無謀とも言われた開学の準備に携わった生き証人である。

立命館大学を卒業し、そのまま学校法人立命館に就職した今村さんは、立命館勤務歴34年の生え抜き職員だ。1997年に新大学設置準備事務室の課長となり、APUの開学に奔走した。その後いったん京都の立命館大学に戻ったものの、2014年からまたAPUに舞い戻り、現在は副学長を務めている。

今村さんは、一般的に想起される大学の副学長のイメージとは全く違う。
フットワーク軽く「日本国中、世界中を飛び回っている人」だ。海外からたくさんの留学生を集めるAPUは、常に各国の現地高校や教育機関との接触を欠かさないでいる。大学のスタッフが、文字通り世界に散らばり、APUの魅力を伝えに行く。陣頭指揮をとり、いまも自ら海外に出向き、APUの「大使」役を務めるのが今村さんだ。

国内においても、今村さんは精力的に広報活動を行う。2015年2月21日には、コピーライターの糸井重里さんが主宰するウェブマガジン『ほぼ日刊イトイ新聞』とタッグを組んで「活きる場所のつくりかた」(http://www.1101.com/ikirubasho/event/)というイベントを共催。

イベントでは、今村さんは糸井さんと一緒に司会を務め、現在社会起業家として活躍する日本、在日韓国、ネパール、インドネシアのAPUの卒業生たちが登壇しその活動を発表した。

「新しい大学を創る、というのは、究極のベンチャーでもある、と思うんです。学校にとっても、学生にとっても、そして学生たちを受け入れる社会にとっても」と語る今村さん。今村さんに話を聞きながら、APUがどうやってつくられたのかをひもといていこう。