総論
時代の転換点に立つ企業経営者へ
渋沢翁の思想に学び
「攻め」に転じよ!
渋沢栄一翁は明治維新という時代の転換点に立ち、まず「民の繁栄」から「国の繁栄」を形づくろうとした。官から民の立場に転じ、ビジネス上の判断で大事にしたのは「道理」。後年それは、「論語」に収れんする。東京商工会議所の会頭時代、創立者である渋沢翁の人と思想を学んだ三村明夫氏は、そんな渋沢翁を「実践の人」と評し、言葉の重みを訴える。社会・経済環境の大きな転換点に立つ今、企業経営者には何が求められるのか。三村氏が語り尽くす。

三村 明夫氏
東京商工会議所 名誉会頭 (日本製鉄 名誉会長)
1940年群馬県出身。63年東京大学経済学部卒業後、富士製鉄(現日本製鉄)に入社。72年米ハーバードビジネススクール卒業(MBA)。新日本製鉄社長、会長を経て、2013年11月から新日鐵住金(現日本製鉄)名誉会長。2013年11月に日本商工会議所、東京商工会議所会頭に就任し、3期を務める。これまでに総合資源エネルギー調査会会長、中央教育審議会会長、中小企業政策審議会会長、人口戦略会議議長などを歴任
渋沢栄一翁は実践の人です。
渋沢翁といえば講演を基にした口述録の「論語と算盤」が非常に有名ですが、70歳の時に、「論語」と「算盤」を合一させる着想を得ています。
彼は民の立場で国を豊かにしようと、481※の企業と600の団体に関わってきました。ただ「論語と算盤」の思想はその頃から振りかざしていたわけではなく、晩年になって、経営実践の集大成として行き着いたものです。あくまで実践ありきです。
※東京商工会議所調べ
70歳を過ぎると、教育や福祉といった社会貢献事業に専念するようになります。「論語と算盤」で説いた私益と公益の両立を、生涯をかけて実践してみせたのです。そこがやはり、渋沢翁に好感を持てるところです。
似たような考え方を表す言葉に「SDGs経営」「ステークホルダー経営」「パーパス経営」などがあります。経営者なら誰でも、これらの言葉を使ってはいます。しかし、腹落ちしません。言うのは簡単だけれど、行動によって示すことは非常に難しいのです。
「論語と算盤」はどうでしょうか。経営者として物事を判断する時にはまず、それが倫理、つまり人の道にかなうものかを考え、次に国家・社会のためになるかを考える。自分のためになるかどうかを考えるのは、最後。それが、自分の生き方だといいます。
ほかの人が言えば空虚に聞こえるでしょうが、渋沢翁が言うと、すとんと腹落ちします。実践ありきだから、非常に説得力があります。
経営者に求められるモラル
「私益と公益の両立」を
この「私益と公益の両立」の実践が今、経営者には必要です。
資本主義は、価格メカニズムを通じて資源の最適配分を実現するという効率性追求の観点からは、非常に優れたシステムです。しかし、重大な欠陥があります。一つは、所得格差が必ず発生するという点です。経済が成長すると、格差が必ず拡大します。もう一つは、民主主義の欠陥ともいえますが、自分の今の幸せを一番に考えるという点です。社会全体の将来の幸せも同時に考える必要がありますが、それがなかなか難しい。
人口問題への対応を一つ取っても、人口減少を抑えるために、みんなで今、コストを負担しましょうと、政治は本来そう言うべきです。しかし選挙のことを考えると、なかなかそこまで言えません。
欠陥には是正が必要です。もちろん、まず国の努力が欠かせません。所得の再分配や福祉の制度化など、やれることはあります。ただ同時に求められるのが、経営者のモラルだと思います。それが、「私益と公益の両立」です。
言うまでもなく、企業は利益を上げる必要があります。そうでないとサステナブルな存在ではなくなります。ただ利益を追求するにしても、長期的には国家や社会のためになるような追求の仕方が本物ではないかと思います。
どの経営者も、そう考えてはいると思います。だからこそ、企業の社是や理念では「社会のため」とうたいます。みんなを幸せにし、社会を豊かにしよう、と努めます。そういう公益に通じる利益の上げ方を追求するのが、企業のあるべき姿であり、そういう企業こそが長寿企業として生き延びるのではないでしょうか。
金利、物価、賃金が上がる
30年間の経済停滞から脱出を
ではなぜ今、経営者のモラルに期待する必要があるのか。それは過去30年を振り返ってみればよく分かります。
この30年、日本は異常な国でした。物価も賃金も上がらず、GDP(国内総生産)は伸びない。デフレマインドに支配されて、待ちの姿勢がはびこっていました。ぬるま湯につかっているようなものです。過去の成長による遺産を食いつぶすことで、30年もの間、現状維持を続けられはしました。
一方で、物価も賃金も上がり、経済が成長する国もありました。GDPはドイツに抜かれ、インドにも追い上げられています。国民の幸福度合いに直結する1人当たりGDPは34位。さすがにこれ以上遺産を食いつぶし続けるわけにはいきません。
この間、企業は何をしていたのでしょうか。マクロのデータを見れば、企業は収益を相当上げています。その収益を株主への配当に充て、内部留保を積み上げました。ところが、設備投資には充てず、賃金も上げていません。さらに、取引価格を上げるどころか下げているケースもあります。個別に見れば、例外的な企業はたくさんあります。あくまで全体として見れば、という話です。
渋沢翁はこう言っています。「民が頑張らないと、国は発展しない」。だからこそ、渋沢翁は大蔵省を退任してから、民として活躍するのが自分の役割だと考え、自ら481の企業経営に関わったのです。その渋沢翁にこの状況を見られたら、叱責されそうです。
経営者には今、立ち上がってほしい。新しい時代が来ていますから。
まず、金利の上昇です。それに、物価も上がり始めました。海外から物価高の波が押し寄せ、それを国内でも転嫁していかないと企業は生き残れません。賃金もそうです。人口減で人手不足が指摘されてはいましたが、高齢者や女性の労働参加で影響は限られました。しかしここにきて、それは限界に達しています。人手不足が牙をむけば、賃上げは避けられず、事業を維持できなくなります。今までは企業が人を選ぶ時代でしたが、これからは、企業が人に選ばれることになります。
30年間の経済停滞から今こそ抜け出さないと、国際社会で今後、存在感を発揮できなくなります。米中対立の中で、日本も一定の役割を果たさなくてはなりません。本来は、国がイニシアチブを握ってやるべきですが、解決すべき社会保障問題や人口問題など、多くの政策課題を認識していながら、「財源」を理由に先延ばしにしてしまい、政治が動きません。そうなると、やはり企業です。企業がもう一度元気を出して、イニシアチブを握るべきです。
できるだけ早く意識を改め、経済の停滞から抜け出す必要があります。金利が上がり、物価も賃金も上昇する時代になれば、生産性の向上も欠かせません。経営者が、変革の時代に向けて意識を切り替えられるかどうか、守りから攻めの姿勢に転じて変革を実践できるかどうかにかかっています。
渋沢翁が生きていたら、経営者よ、頑張れ、と大きな声で励ますと思います。新1万円札の肖像ですから、毎日、経営者の頑張りを見ているはずです。(談)






