帝京大学先端総合研究機構 訪問 Vol.5

脳科学から発展したAIが人類と共存する未来を考える

近年驚くべきスピードで進歩し続ける人工知能(AI)。さらに進歩するAIと人類はどのように付き合っていくべきか。機械学習に関わる重要な理論を提唱するなど、AI研究の世界的第一人者として知られる甘利俊一特任教授に話を聞いた。

(聞き手:大角浩豊 日経サイエンス発行人)

甘利俊一氏

帝京大学
先端総合研究機構
AI活用部門 特任教授
甘利俊一

 

――このたび日本発の国際賞である「京都賞(先端技術部門)」を受賞されました。この受賞は深層学習を含む機械学習の基礎となる多数の重要な理論を提唱したことによるものです。その代表である「確率的勾配降下法」はどのような発想から生まれたのでしょうか。

甘利 着想のきっかけとなったのは、米国の心理学者であるフランク・ローゼンブラットが人間の脳構造から考案した「パーセプトロン」という学習モデルです。これは脳の神経細胞(ニューロン)が結合する仕組みを模したニューラルネットワークで、入力層、隠れ層と呼ばれる中間層、出力層からなり、層構造の中で結合するニューロン同士は「重み」というパラメータでつながり、最終的な出力を生成します(図)。しかし、当時の人工ニューロンは0か1のデジタルニューロンで、学習をするのは最後の出力層だけでした。そこで、0.13や2.15といったアナログ量を処理できるアナログニューロンにすることで中間層の誤差も学習に反映させようと考えたのが「確率的勾配降下法」の出発点です。「確率的勾配降下法」は、正解に近づくよう誤差が小さくなる方向(勾配)を見つけてその方向にネットワークの重みを調整します。しかも学習データはランダム(確率的)に選んだもので、勾配が下がる方向に学習して最適な解を探索できるというものです。

――「確率的勾配降下法」は現在の機械学習の基盤となるモデルですが、発表後の反応はどうでしたか。

甘利 1960,70年代は「ニューラルネットワーク冬の時代」と呼ばれる時代で、あまり反響はありませんでした。欧米でも研究予算、研究者数共に激減していきましたが、日本ははじめから予算もなく、むしろ自由に研究できました。工学は世の中の役に立つことを研究する分野だと認識されていますが、私自身は数理という目線で工学的な様々な現象を見る数理工学を専攻していましたので、興味関心に従って伸び伸びと研究できたのが良かったと思っています。

――先生は1980年代に情報幾何学という学問分野も確立されています。これはどのような学問体系なのでしょうか。

甘利 情報を扱う学問としては確率論や代数、解析学など様々な数学分野がありますが、ここに幾何学が欠けていることが漠然と気になっていました。そこから統計学で使われる確率分布の空間を幾何学的に分析することを思い立ち、作り上げたのが情報幾何学です。情報幾何学は、確率分布の間の距離や空間の曲がり具合などを分析することで、情報への理解が深まることを目指した学問で、経済学や脳科学などへの応用も進んでいます。

パーセプトロンの模式図

パーセプトロンにおける中間層の重みを調節できる学習法

ローゼンブラットが考案したパーセプトロンにおける中間層は情報処理をするだけだったが、甘利特任教授はアナログニューロンを用いることで中間層の重みを調節できる学習法を提唱した。

――近年のAIの進歩の中で、関心を持っているものはありますか。

甘利 ChatGPTの進歩は驚くばかりで、まるで賢い人間と話しているようにも感じられます。1年ほど前に「あなたは意識を持っていますか?論理推論をしますか?」と聞いた時には「いいえ、私は意識を持っていません。与えられた様々な事物の関係を確率的に総合して答えを出しています」と答えました。今同じ質問をしても「意識は持たない」と答えますが、「論理推論に関していえば、ある種の推論を行います」と答えます。今のChatGPTは自分の出した答えが論理的に整合しているかどうかを考える論理推論の機能を持っているということで、それだけ進歩が速いということなのです。

――脳科学をベースとしてニューラルネットワークが発展しましたが、これからのAIは脳科学とどのように関わっていくでしょうか。

甘利 かつてのコンピュータの「記憶」は、受け取った事実を決められた場所にそのまま格納する「記録」でしかありませんでした。対して人間の記憶は、人との会話の中から意味を理解して内容を抽象化して捉えますが、翌日には細部はほとんど忘れてしまい、本質的なところだけを少しずつ蓄えていきます。そうやって蓄えた記憶の中から、抽象的なエッセンスを復元することで思い出す。それが人間の記憶の特殊性で、一種の連想によって記憶されています。ChatGPTでもこの仕組みを利用しており、深層学習の層を大幅に増やすことで高次な言語処理を可能にしています。最近では、自分の出した答えが論理的に整合しているのかどうか、少し元に戻って論理推論ができるようになってきました。このように脳科学をヒントに学習や記憶の機能が向上してきたことを考えると、意識や心といった事象も人工知能に取り入れようとするでしょう。

――それは可能なのでしょうか。

甘利 心や意識とは何かという問題ですから、簡単ではありません。今の人工知能は、人間が持つ共感性や好奇心、喜怒哀楽といったものを持っていませんが、論理的には可能だと考えています。ただし、人工知能である以上は学習データによるバイアスがかかりますから、人工知能が自らの正義や理想に基づいて判断をするようなことがあれば大変危険です。AIがそこまで進歩すると、そういった問題にも直面することになります。

――帝京大学先端総合研究機構での研究テーマやその目的についてお聞かせください。

甘利 現在はAI研究の現役を退いていますが、「人を幸福にするAI技術」というテーマで研究に関わっています。これまでは人工知能の仕組みや理論を考えてきましたが、予想をはるかに超えるスピードで進歩したAIが人間社会、特に日本文化や文明に対して与える影響や人間との関わりについて、サイエンティストとして考えるべきだと考えています。「文理融合」という言葉が使われるようになって数十年がたちますが、人工知能が心の問題に関わるようになった今こそ文理融合が重要になります。帝京大学先端総研は、数理工学や人工知能の専門家をはじめ、経済学者、哲学者、医学者など様々な分野の研究者がそろっていることの意義が大きく、彼らと一緒にAIが社会や文明に与える影響やあり方などを検討しようとしています。

――長年AI研究に関わってこられた中で、近年の進化をどのような「転換点」として捉えておられますか? ブレイクスルーの要因は何だとお考えですか?

甘利 深層学習の確立とGPUなどの大規模計算資源の進化が大きいですね。理論はあっても計算能力が追いつかなかった時代から一変し、モデルやデータのスケールが桁違いに拡大しました。神経を模倣したニューラルネットワークが、かつて構想した「脳に近い情報処理構造」に接近しているのは感慨深いです。