
井上 哲浩慶應義塾大学ビジネス・スクール 教授
日経BP Marketing Awards 2025
マーケティング意思決定における
「時」の役割を豊かに示唆した作品群
「時」を、感じた審査会であった。人生100年時代、といわれている。仮に、健康寿命を75歳とし、現在50歳とすると25年、現在40歳とすると35年、これから何らかの活動を行うのであろう。今、2025年の日々の意思決定において、これからの25年や35年を、どれぐらい考えているのだろうか。逆に、社会経済活動の開始を25歳とし、現在50歳とすると25年、現在40歳とすると15年、これまで何らかの活動を行ってきた。今、2025年の日々の意思決定において、これまでの25年や15年を、どれぐらい振り返っているのだろうか。過去数年のみ振り返り、今後数年のみ考え、意思決定している感をぬぐうことができない、そんな「時」の役割に、はたと気づいた審査会であった。
「哲学でこそ飯を食え」でグランプリを受賞された大七酒造は、270年以上の歴史を有している。この作品の核は、その長年の歴史が醸した、揺るがぬ「哲学」である。酒をたしなんでやまない小生にとって、そして多くの方にとって、「生酛造り」~「大七」という連想は頑健なものとなっている。300年前に、生酛造りは確立された、と聞く。生成されるものの容易さと、ある意味、照らし合わせつつ、過去もこれからも揺るがない「哲学」、直近数年を見ず焦らない「哲学」、その醸成される重厚さの重要性と肝要さを、改めて認識した。

金賞の東京商工会議所、東洋紡、日本取引所グループ、みずほフィナンシャルグループ「渋沢栄一の企業DNA」は、企画作品である。「新1万円紙幣」に渋沢栄一が採用されたタイミングの広告特集企画である。近代日本経済の父と称される渋沢栄一の功績を小生が述べるのははばかれるが、長期的な視点を常に有し、大局的見地を常に有し、個々を見つつも網羅的な観点を常に有していた、のが渋沢栄一であろう。渋沢縁故の企業が、近代日本経済の礎という過去に触れつつ、これからを語る企画は、2025年の企画広告を超えて、これから長年にわたって日本経済を考えるものであった。
同じく金賞の日本アキュライドのシリーズ広告「違和感なく溶け込む、確かな存在。」は、その便利さを実感しつつも、スライドレールそのものに気づくことは少ない実態を、擬態生物を用いて表現した作品である。擬態生物を探し気づく楽しみは当然のことながら、擬態生物の進化の歴史にも感慨深いものがあった。ハラビロカマキリ、クロコノマチョウなど、どれだけの年を経て進化したのか、そのDNAの歴史の長さはいかほどか、奇跡なのか、突然なのか連続なのか、今、われわれが目にしているものの過去そしてこれからを考えずにはいられない制作である。

「時」の長さを感じつつ、今「時」である「“推し活”応援広告」という広告形態や「人気YouTuberイチケン氏の活用」も、刺さった作品である。これまで関係性構築において用いられてきた、川上や川下、垂直性や水平性といった、次元ではない、融合化や親和化やフラット化という非構造化された関係性に気づいた作品であった。
「時」を論じた理論概念の一つに「時間的距離」の研究がある。諸側面が時間的距離に関して研究されているが、その一つとして、意思決定焦点が長期的であれば、促進的な抽象的な大局的な意思決定が行われ、短期的であれば、予防的な具体的な局所的な意思決定が行われる傾向にある、とされている。これからのマーケティング意思決定における「時」の役割を考慮する大切さを確認し、豊かな示唆が示された素晴らしい日経BP Marketing Awards審査会であった。
井上 哲浩(いのうえ・あきひろ)
慶應義塾大学ビジネス・スクール 教授
1987年関西学院大学商学部卒業。89年同大学大学院商学研究科博士課程前期課程修了。92年同後期課程単位取得中退後、96年米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で経営学博士号取得。関西学院大学商学部専任講師、助教授、教授を経て2006年から現職。専門はマーケティング・マネジメント、マーケティング・サイエンス、マーケティング・コミュニケーション・マネジメント ◇主な著書『小売マーケティング研究のニューフロンティア』(共編著、関西学院大学出版会)2015、『マーケティング』(共著、有斐閣)2010、『戦略的データマイニング-アスクルの事例で学ぶ』(共著、日経BP)2008 他