池上彰と歩く日本ができる「イラク復興」

クルド人迫害と虐殺の歴史をハラブジャで振り返る イラン・イラク戦争の末期におきた「ハラブジャの悲劇」

私たちがスレイマニアを訪れたのには、もうひとつ目的があります。近隣のハラブジャの取材です。

ハラブジャでは、多くのクルド人が虐殺されました。1988年、イラン・イラク戦争の末期に、化学兵器が同地で使用され、5000人前後のクルド人が殺されました。いわゆる「ハラブジャの悲劇」です。

誰がこの大量虐殺を行ったのか?

国内のクルド人が敵国のイランと通じていると疑ったフセインが、イラク軍に化学兵器の使用を命じた、というのが最も有力な説です。クルド人たちもそう信じています。ただし、イラクとイランの戦闘のさなかに、イランが使用した化学兵器がもたらした虐殺という説も残っています。

いずれにせよ5000人のクルド人が化学兵器によって殺害されました。ところが、この大虐殺は、クルド人自身が訴えるまで、国際社会で注目されませんでした。80年代のイラン・イラク戦争当時、欧米はイラク側を支持していたために、イラク国内でのクルド人虐殺が問題視されにくかったからです。このため、虐殺の検証が遅れ、今にいたるまでそのプロセスに諸説ある、という不自然な状況が解消されていないのです。

ハラブジャには現在、虐殺の歴史を忘れないためにつくられた、ハラブジャ博物館があります。こちらを訪れました。

大勢の子どもたちが荷台で命を落としたピックアップトラックも、実際に投下されたナパーム弾の残骸も、生々しい姿で博物館に置かれていました。

博物館の様子を、ご覧ください。

取材当日は金曜日で、現地の休日だったのにもかかわらず、ハラブジャ市長が私たちをスレイマニアのホテルにまで迎えに来てくれました。

市長は、イラク軍の化学攻撃の責任者であったマジド元国防相(通称「ケミアル・アリ」、サダム・フセインの従弟)の裁判で、クルド人側の弁護士を務めた人です。

ハラブジャ市長とお話しして、びっくりしたのが、クルド人の親日意識の高さでした。イラク全体がもともと日本と親しかった、というのとは別に、クルド人は日本人に対して、深い共感を覚えている、というのです。

さて、それはなぜでしょうか?

イラクに暮らすクルド人が、日本に親しみを覚えるのはなぜ?

答えは【A1】、広島と長崎に、原爆を投下されているからです。

敵の一方的な攻撃で、多くの市民の命が奪われた――。広島、長崎の原爆投下とハラブジャの化学兵器使用は、その意味で同様の経験であり、気持ちを共有できる、とクルドの人々は考えているのです。

「だから私は、ハラブジャをぜひヒロシマもしくはナガサキの姉妹都市にしたい、と思っているのです」

そう力説するハラブジャ市長は、「こちらをお持ち帰りください」と大量のDVDを私たちに渡しました。ハラブジャの悲劇に関するあらゆる映像が収められているそうです。

「著作権などを気にせずに、どんどん使ってください。クルドの悲劇を正確に世界に、日本に伝えてください」

ハラブジャ市長の意気込みには鬼気迫るものがありました。

私たちはハラブジャ博物館で、急遽、クルド人系テレビ局の取材を受けました。理由は、私たちが日本人だから。関心の高さが伺えます。

何をしに来たのかと聞かれたので、「クルドの悲劇を日本の人たちに伝えるために来ました」と答えました。こうして読者の皆様にクルドの悲劇をお伝えでき、彼らとの約束を守れたと、少しほっとしています。

スレイマニアがイラクの星となるとき 豊かな自然を活かした農業が出来るとき