もはや切っても切れない、知財戦略と経済安全保障
米中対立で、分断される
知財サプライチェーンを再建せよ!
米中対立は日本企業に知財戦略の見直しを迫る。製品開発のアーキテクチャー段階から、経済安全保障の観点を組み込まなければビジネスにならない。目に見えない知財をいかに安心・安全に流通させ、分断を超えていくか。政府の知財戦略、技術経営※1に詳しい東京科学大学副学長(東京大学客員教授)の渡部俊也氏に見解を聞いた。
※1 技術経営(MOT=Management of Technology)…企業が保有する技術を生かし持続的成長を追求する経営手法。

渡部 俊也氏
東京科学大学
研究イノベーション本部 副学長
東京大学 客員教授
日本知財学会会長
1959年生まれ。2001年、東京大学先端科学技術研究センター教授。2012年、同未来ビジョン研究センター教授。2024年から現職。イノベーション政策や技術経営の分野で研究論文など多数。政府の知的財産戦略本部構想委員会座長、経済安全保障分野におけるセキュリティ・クリアランス制度等に関する有識者会議座長などを兼務している。
―米中対立のもと、日本企業が考えるべき知財戦略のポイントは何ですか。
グローバルの知財戦略では、自社優位の市場構造をつくるオープン&クローズ戦略が主流。自社技術を標準化し公開するオープン戦略と、自社の強みとなるコア技術や周辺技術を秘匿化するクローズ戦略を合わせたものです。
同戦略の前提条件は、世界中のどこでも同じ技術を使って製品を開発できること。その前提が、米中対立で崩れました。
技術流出防止、国益を守るため、経済安全保障の観点から知財戦略も見直しを迫られています。日中企業の機微な分野でも共同研究開発は現状、難しくなっている。また中国が技術覇権を握る標準化に日本が参画する場合、高いリスクを伴います。回避するには周辺技術を含め、中国に一方的に依存しない国際標準をつくること。しかし日本では官民共に、国際標準と経済安全保障の関係を捉えた議論は道半ばです(図1)。
●図1 「新たな国際標準戦略(新戦略)」の全体像政府は2025年6月に「新戦略」を策定。推進においては国際的な仲間づくりや、経済安全保障の観点が必要となる。この認識が企業側にも広まることは、新戦略の実効化には不可欠
(出所:内閣府知的財産戦略本部「新たな国際標準戦略」の資料を基に作成)
米中対立で、知財流通に変化
日本企業には大きなチャンスも
―知財と経済安全保障の関係は、いかにビジネスへ影響しますか。
中国で開発した技術がアーキテクチャーに組み込まれたシステムや製品は、海外では売りにくくなります。開発時からどの技術を使うか、これまで以上に精査が必要です。
米中対立による分断をいかに超えるか。例えばOSS(オープンソースソフトウエア)の活用は一つの可能性のある方策です。ソースコードが公開され、誰でも自由に利用・改変・再配布が行える。不正侵入口となるバックドアを仕込むこともできません。OSSを使った日本の自動運転スタートアップは米中双方に展開できる可能性があります。
この例のように、アーキテクチャーに経済安全保障の観点を加えることが、今後のビジネスの常識になると思います。急速に拡大する生成AIでは、さらに深刻な問題です。
―生成AIにおける、米中対立の具体的な影響は何ですか。
米国の一部のAI企業は、中国のAI新興企業DeepSeek(ディープシーク)が「蒸留」という手法で米国のAI先行技術を不正に利用した可能性があると、警鐘を鳴らしました。蒸留(distillation)とは、大規模なAIモデルが出力する結果(予測や確率分布)を用いて、小規模なモデルが効率的に学習する手法です。高度なノウハウを小型モデルに「移植」するプロセスとも言えます。
学習済みAIモデル自体には、原則として特許権が認められにくいため、米国企業は利用許諾契約において、蒸留による学習を明示的に禁止する条項を設け、契約ベースでの技術保護を図っています。これに関連した法的紛争も起こっています。
―中国を除いた知財世界において、日本のポジションは変化しますか。
中国が国際市場や知財流通から外れることは、日本企業の市場を失うことにつながりますが、他方で日本にチャンスをもたらす可能性があります。2024年の世界における国際特許出願数(全分野)は、1位の中国が7万件、2位の米国が5万件、3位が日本で5万件弱でした。米国や他の国にとって、中国はパートナーとして考えにくい場合に、事実上2位と言える日本に、投資が集まる基礎はあるわけです(図2)。
●図2 世界の上位五庁※2における特許出願件数・特許出願比率の推移日本の特許出願件数は中国・米国に次ぎ3番手だが、海外からの出願比率は上昇傾向ながら欧米に比して低い。国際特許の受け皿として、日本が存在感を発揮できる素地は十分にある
(出所:特許庁「特許行政年次報告書2024年版」の資料を基に作成)
※2 五庁…中国、米国、日本、韓国、欧州の知的財産庁を指す。 「IPランドスケープ」は、正林国際特許商標事務所所長正林真之弁理士の登録商標です。
収益を生む源泉として、IP(知的財産)を認識する投資家や経営者も増えています。ただ、IPを特許だけで捉えると広がりに欠ける。経営戦略に知財情報を生かすIPランドスケープ®において、生成AIやデータを包含する視点が重要です。内閣府が策定する「知的財産推進計画」では、特にAIとの関係からデータは知財(新たな情報財)として重要であるとしています。
国境を越えて、知財は流れる
知財サプライチェーンの最適化を
―知財戦略において、現状の分断状況は打開できるのでしょうか。
10年ほど前、「知財サプライチェーン」という考え方を提唱したことがあります。特許を取得した現地法人が、仮に本社と関係が悪化すると、特許をライバル会社に持っていく事態が起こり得ました。それを防ぐために委託開発の形で本社がすべて特許を管理するスタイルに変えないと、知財サプライチェーンに綻びが生じると考えたのです。実際に懸念した動きは起きました。
モノのサプライチェーンも米中対立、貿易摩擦などにより一部分断されつつあります。目に見えるモノと、目に見えない知財とで違いはありますが、ポイントは知財も「開発→ライセンス→利用」というプロセスで、国境を越えて流れているという点。知財サプライチェーンに中国で開発されたアーキテクチャーが入ると、影響範囲が拡大します。経済安全保障を組み込んだオープン&クローズ戦略の再構築が必要です。知財サプライチェーンも経営課題として捉え、最適化を図ることが持続的成長につながります。
―最後に渡部先生が現在、注力している日本のスタートアップについて動向をお聞かせください。
日本において時価総額でスタートアップの占める比率は数%程度です。日本は大学発スタートアップが主流ですが、米国ではより多くが企業発でその場合の知財の扱いに大きな差異があると見ています。
日本企業は投資コストを盾に、スピンオフに対する知財供与に消極的なケースも見られます。スピンオフ施策も政府の知的財産推進計画の中に入りました。知財を外に出すスピンオフの促進と、知財サプライチェーンの最適化が日本企業を活性化する源泉になると思います。







