――先生のご専門である哲学の観点から見て、AIはどのような意味を持つ存在なのでしょうか。
羽入 産業革命や科学革命など、生活のツールや考え方を変えた過去の革命と、今回のAI革命が決定的に違うのは「考える主体」が人間だけではなくなるかもしれないという点です。人間はこれまで「考える存在」であることを最大の特徴としてきましたが、その立場を明け渡しかねません。この事態は脅威であると同時に、「人であるとはどういうことか」を改めて問うているように感じます。


急速に進化する人工知能(AI)は、人間が得意としてきた「考える存在」という立場をも奪う可能性が示唆されている。帝京大学先端総合研究機構ヒューマニティーズ研究部門の羽入佐和子特任教授に、AI時代における人間の本質と研究者の在り方を聞いた。
(聞き手:西村 絵 日経サイエンス発行人)
帝京大学
先端総合研究機構
学術顧問 特任教授
羽入佐和子氏
――先生のご専門である哲学の観点から見て、AIはどのような意味を持つ存在なのでしょうか。
羽入 産業革命や科学革命など、生活のツールや考え方を変えた過去の革命と、今回のAI革命が決定的に違うのは「考える主体」が人間だけではなくなるかもしれないという点です。人間はこれまで「考える存在」であることを最大の特徴としてきましたが、その立場を明け渡しかねません。この事態は脅威であると同時に、「人であるとはどういうことか」を改めて問うているように感じます。
――ご著書『AI時代に問う人間の存在』は、帝京大学先端総合研究機構に所属する先生方へのインタビューを通じて、その問いに迫っています。
羽入 それぞれの分野の第一線に立つ先生方に、私自身の疑問を投げかけて、率直に答えていただきました。
科学の研究は、疑問点を明らかにし、その先をさらに問うていくもので、自分の限界を知り、さらにその先に進もうとします。余白を埋めていくのがサイエンスだとすると、哲学は余白を残して知り得ないものがあると自覚しながら全体を考えようとします。
この本の執筆の過程では「ヒューマニティ」を手掛かりにすることで、異なる分野の先生方と語り合えることを実感しました。それは文理融合を掲げるこの機構の意義だと思います。
書籍『AI時代に問う人間の存在』
第二部での座談会
写真左から、安西祐一郎慶応大学名誉教授・慶応義塾学事顧問、冲永佳史 帝京大学理事長・学長、浅島誠 帝京大学先端総合研究機構 機構長、手前、羽入佐和子特任教授
帝京大学先端総合研究機構の組織図
「ヒューマニティーズ」と「AI活用」が、各専門分野を貫く構造
――その「ヒューマニティ」という言葉について、先生ご自身はどう捉えていらっしゃいますか。
羽入 実は、あえて定義を明確にはしないようにしています。「これがヒューマニティだ」と言ってしまうと、AIの研究はそれをAIで実装しようとするでしょう。「人とは何か」と問い、そこに何か共通するもの、しかもアーティフィシャル(人工的)ではない知性を持たなければ考えられないものがあるとすれば、それを仮に「ヒューマニティ」と呼びたい。それはおそらく生きることを大前提に、探求し続けること、人を尊重すること、問い続けることなど、そうした営みの根幹にあるものだと考えています。
――人の生活はバーチャル空間にも広がっています。
羽入 例えばバーチャル空間で活動するライバーと、生身をさらして生きている人と何が違うのかを考えると、その線引きは意外に難しいものです。バーチャル空間にもリアルな人間が関わっていることに魅力があり、それは単なる仮想ではないように思います。
バーチャルとリアルの関係は、「本当のものはあるか」「そのものとは何か」を問うたギリシャ哲学とも地続きで、私の中では連続性のある問いです。
――「実存」という言葉もキーワードとして使われていますね。
羽入 医療に携わっている先生が「患者さんに実存を感じる」とおっしゃったことがとても印象的でした。
人間は限りある「生」を生きています。そしてただ時間を過ごしているのではなく、一見空虚に思えたとしても、その人はその人の歴史を生きている。それが人としての在り方であり、実存なのだと思います。このことはヤスパース※1の言う「歴史性」にも通じる考え方で、他者との関わりの中で時間を生きることこそが、人間のかけがえのなさなのだと思います。
※1 ヤスパース = Karl Jaspers(1883年~1969年) ドイツの哲学者。精神病理学者でもある
――知性と理性の違いについての議論も興味深いものでした。
羽入 知性はAIにも代替できる能力かもしれません。ですが、その先に向かうのが「理性」で、無限なものや尊いもの、永遠といったものにまで思いを巡らせる能力は、簡単にはAIに代替できないのではないかと考えています。ヤスパースが参考にしたカント※2の哲学では、人間の自由や神の存在など、経験を超えたものを推測する思考を特に「理性」と捉えています。
※2 カント = Immanuel Kant(1724年~1804年) プロイセン王国の哲学者
――AIの時代に研究者に求められる責任について、どうお考えですか。
羽入 責任は自ら考えることと密接に関係しているように思います。
米国に亡命したドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは、ナチス体制下で重要な役割を果たしたアドルフ・アイヒマンの裁判の後、「悪の凡庸さ」という表現で、考えないことは意図せずに悪を為してしまうと指摘しました。それが一つの解釈に過ぎないとしても、命令や指示にただ従うのではなく、考えようと心がけることが倫理的な判断を育むことになるのではないでしょうか。この考え方はAI時代にこそ響く気がします。AIに問えば答えは返ってきますが、その答えには責任を課せません。人が考えて判断することで責任を引き受けることになります。人間にとって「考えること」とそのプロセスがとても重要だと思うのです。
AIは研究を進歩させることはできても、AIが研究者になることはないでしょう。人が限りある生を生き、時間の中で歴史を紡いでいく存在だからこそ研究者の「者」に意味があると考えています。誰がその研究をしたのか、研究する主体の存在が責任の点からもますます大きな意味を持つはずです。
――学部の講義で、学生さんに哲学の考え方を伝える機会もあるそうですね。
羽入 機構では、主に医療系の学生を対象にしたオムニバス形式の講義を1コマ担当しています。みなさんが真剣に哲学の話を聞いてくださって、「難しいけど楽しい」という感想が寄せられ、それが「考える」ということではないかと感じました。その点で先端的な研究と同時に、多様な分野の話を聞く機会が用意されているのは、この機構ならではの特徴だと思います。
――最後に、これから研究者を志す若い世代へメッセージをお願いします。
羽入 AIが今後計り知れない能力を備えたとしても、みなさんには自分が一人の人間であり研究「者」だということをどこまでも大切にしてほしいです。今までになく困難な時代になっても、考え続ける人でいることを願っています。
先端総合研究機構の1階ホールでは、終戦直後の学問の先駆けを示す貴重な資料の展示を行っている