知財で「最優秀賞」受賞、アシックスに訊く
知財部門と事業部門
日常的コミュニケーションの真価
「知財・無形資産ガバナンス表彰」※の第2回(2025年度)で最優秀賞に輝いたアシックス。同社の知財部門は、まさに戦略決定の「最強パートナー」と言えよう。多くの日本企業が、知財部門と経営層、事業部門が密に連携し企業価値を高める重要性を認識していても、実行に移せていない。アシックスは何が違うのか?
※知財・無形資産ガバナンス推進協会(IPIAGPA)の主催による。知財・無形資産の投資・活用を促進することを目的に、2024年10月に創設。審査委員長を東京科学大学副学長(東京大学名誉教授)渡部俊也氏が務める。

下村幸治氏
アシックス 知的財産部 部長
2018年9月、アシックス入社。同社法務・知財統括部 知的財産部 特許・意匠チーム マネジャーを経て、2023年1月より現職。2019年11月、社長(現会長)直轄組織「C-PROJECT」発足時のメンバーとなる。創業時から知財にこだわる同社の理念を土台に、経営判断に直結した知財戦略の推進を担う。
知財や無形資産を生かし、自社の価値を高めた企業を表彰する「知財・無形資産ガバナンス表彰」。その第2回でアシックスは、社長直轄の「知財戦略委員会」に全執行役員が参加し、形骸化せず機能していることで高い評価を得た。なぜそれが可能なのか。「委員会自体は年1回ですが、“その日”を目指して日々継続的に活動し続けている点にあります」と同社の知的財産部 部長 下村幸治氏は語る。
同社の組織体制には知財が深く入り込む。カテゴリー(事業部)は、おのおのの事業課題に対し自ら責任を負うが、知財に関する課題も例外ではない。各カテゴリーのトップが集まる月1回の統括部長会には、知的財産部と法務部の部長も参加。さらには、経営層と日常的に情報交換を行う。全社朝礼では下村氏が知的財産部の取り組みを説明する機会も与えられ、定期的に知財戦略の意義を社内に啓発している。
知的財産部の充実も図る。下村氏が入社した2018年には13人だった部員が、現在は25人に増加。同部からはカテゴリー向けにIPランドスケープ®を活用した戦略提案を直接実施する。部員は問題の有無にかかわらず、日常的にカテゴリーに出向き会話する機会を設け、事業部門と積極的に丁寧な交流を重ねている。下村氏は「時にはカテゴリーからの要望にNOと言わなければならないこともあります。その際は必ず直接会いに行き、納得してもらえるまで対面で話をします。事務的に処理せず、知財部門は敵ではないと理解してもらえるよう努力します」と語る。
「IPランドスケープ」は、弁理士法人正林国際特許商標事務所の登録商標です。
常識が根底から覆った衝撃
シェア回復のカギは知財に
充実した体制を整え、知財経営に積極的に取り組むアシックス。しかし以前は違った。スポーツシューズは特許・意匠で競うより、商標で模倣品対策を図るケースが多かったのだ。17年、転機が訪れる。競合他社が多数の特許で固めた厚底ランニングシューズを発売。これを用いたアスリートが好記録を連発し、業界に激震が走る。「それまでのランニングシューズは軽く、薄く、が常識。それが根底から覆り、一気にシェアを奪われた。競合品を出そうにも膨大な特許を回避しなければなりませんでした」(下村氏)
危機を受けて同社は、社長(現会長)直轄の“頂上”奪還プロジェクト「C-PROJECT」をスタート。各カテゴリーから精鋭が集められる中、知的財産部から下村氏も加わった。開発の段階から知財面で開発者やデザイナーと密に協力し、「METASPEED」シリーズを開発。同作を着用したアスリートの活躍も手伝い、シェアを少しずつ回復していく。
社内にも影響を与えた。C-PROJECTに集まったメンバーが所属元に帰還すると、知財の重要性を各カテゴリー内に伝える役割を果たしたのである。経営層だけでなく、現場でも知財部門と事業部門の交流が深まっていった。
この成功が大きかった。今は全社で知財の重要性に理解が進む。21年から始まった社長直轄の「知財戦略委員会」では各カテゴリーが自ら説明資料を作成し、知的財産部は必要なデータを提供するのみ。「当初はこちらで資料を作成することもありましたが、今ではカテゴリーごとの色が出てきました。同じシューズでもランニング用は軽量で疲れにくいもの、テニス用は俊敏な動きがしやすいもの、一方で『オニツカタイガー』やスポーツスタイルはデザインが優れたものなど、目指す方向性が異なります。それぞれの目的に合わせて、特許で保護するのか、意匠で保護するのかなど、カテゴリー自ら知財戦略を練るようになってきました」(下村氏)
■図 アシックスの知財戦略と売上推移の関係同社が保有する特許ポートフォリオ全体の競争力の評価指標*は、下村氏も知財部門の代表として参加した社長(現会長)直轄組織「C-PROJECT」の発足以降、順調に推移。これと歩を同じくして、同社の売上も伸長していった
*企業及び技術分野全体のイノベーション競争力の指標として、LexisNexis社が提供するPatent Asset Index™(PAI)を利用
特許は従来、研究所からのみの出願だったが、全社意識の高まりによってカテゴリー主導の特許が増えているという。特許及び意匠の出願数・保有数増、ポートフォリオの質向上と連動するように売上も伸びている(上図)。
必要なのは専門知識より
コミュニケーション能力
アシックスの知財戦略に課題はあるか。外的要因による最大の課題が、模倣品問題。商標などによる保護は当然行うが、それだけでは抑止にならない。模倣品を扱う店舗を一つずつ摘発するのは限度がある。同社が叩こうとしているのは、模倣品のサプライチェーン上流にある海外工場だ。現地の行政や警察にも支援を仰ぐ。「JETRO(日本貿易振興機構)や競合他社とも協力し、東南アジアを中心に当局と連携しています。今後新たな地域に進出する際は、模倣品が出回る前に、先んじて当局と関係を築いていきます」(下村氏)。知財部門の役割はここまで広がっている。
知財人材の育成にも注力する。知的財産部は特許、商標、ブランドと3つのチームがあり、別々に動いてきた。隣のチームのことは、互いに分からない。しかし、どの国で何の権利を保有すべきか、戦略的に判断すべき今、チームが内に閉じていると大局が見えない。そこで23年からチームにグローバルで横串を刺すワーキンググループ活動を始めた。「知的財産部は中途採用が多く、年齢も経験もバラバラ。遠慮しあう雰囲気もありました。グループでは将来のリーダー候補に運営を任せ、チームの垣根を越えて相互に学び合う仕組みづくりを促しました」(下村氏)
下村氏が知財部員に求めるイメージは明確だ。それは、かゆいところに手が届くコミュニケーター。下村氏は「知財の専門知識は頑張れば後でも獲得できます。それだけなら外注でもいい。しかし事業と密接に関わる知財部員は、コミュニケーターでなければ務まりません」と断言する。まさに凡事徹底。知財部門の存在意義は特許の取得ではなく、経営に資すること――そう考える下村氏にとって、事業部門との密な連携は必然だ。
そしてこの“当たり前”が、アシックス全体の企業文化にもなりつつある。さらなるグローバル化を目指す同社にとって、下村氏率いる知財部門は、より一層強力なパートナーとして機能するに違いない。








