日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2021.12.16 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第17回 フランスの粋、ルロワ

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第17回 第17回 第17回
ルロワの初期のものと思われるレクタングラー型の腕時計の裏蓋には、細やかなギヨシェ彫が掘られていた。そして竜頭の赤いルビーがチャームポイント。
第17回
ルロワ社がポルトガルの豪商のために制作したポケットウオッチ“01”は今、フランスの時計の街ブザンソンの時計博物館に展示されている。

ルロワはフランス海軍御用達の時計を製造した、フランスきっての時計メゾンであった。

またポルトガルの富豪のために作られた、超絶に複雑な機能を持つ“ルロワ01”のような、歴史的名品を送り出したフランスきっての時計工房として知られている。

ある時ボローニアの市民劇場のオペラの取材で、ボローニア市に滞在していた時、ネプチューン像のある広場近くの時計店で、1920年代くらいと思われる”ルロワ”の腕時計を発見し、それを手に入れた。

この時計のムーブメントは、それほどのものではなかったのだが、ゴールドのケースの裏に細やかなギヨシェ模様が彫り込まれているのと、竜頭に深紅のルビーがあしらわれているのが気に入ったのだった。

ケースサイドにフランスで製造された金製品であることを証明する、鷲の横顔の刻印が入っている。

だが残念なことに手に入れたのちに、スイスのある時計ブランドの知り合いに手入れしていただいたのだが、その時に文字盤をリダンしてくれたのは良いが、ルロワのロゴが消えてしまったのだった。

まあ名無しになっても素敵な時計だからと、今もそれを愛用している。

“ルロワ”の歴史を知るために、スイスから国境を越えたブザンソンの町の、時計博物館にも出かけた。

第17回
ルロワ社がポルトガルの豪商のために制作したポケットウオッチ“01”は今、フランスの時計の街ブザンソンの時計博物館に展示されている。

複雑機構も素晴らしいが、そのケースに施されたエナメルによる絵付けや彫金、竜頭にあしらわれた真珠など、ほれぼれする逸品なのだった。

この時計はパテック・フィリップの回で書いたアンリ・ダニエル・ピゲの親戚が製作に関わったもので、この時計が博物館の収蔵品になった時には、アンリさんが修復を手伝ったという話を聞いた事があった。

そしてもう一つ、ルロワ銘の腕時計が僕の手元にある。

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ジェラルド・ジェンタのオクタゴナル・デザインのケースを纏う1070年代のルロワ。

これはルロワという会社がひとたび消滅したあと、スイスの時計ブランドがその名義を取得して作っていた時計で、なんとケースや尾錠が、かのカリスマ時計デザイナーの、ジェラルド・ジェンタ工房の作なのだ。

そしてムーブメントはエベル社の素晴らしい仕上げのそれで、かなりの薄型。

ケースデザインは、今日のブルガリの“オクト”の原型のような、オクタゴン=八角形なのがお気に入りのポイントなのだ。

時計の世界には様々な歴史がある。栄華を極めたかと思うと、時代の波に押しつぶされて表舞台から消えるブランドもあるのだが、時代時代に精魂込めて作られた時計たちは、いつまでもその輝きを失うことがないと僕は思う。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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