日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2022.01.24 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第19回 ブレゲ・ラトラパント

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第19回
家族でバーゼルやヴェネツイアに旅した日の一枚の写真。空港から水上タクシーに乗って本島に渡るのだった。

ラトラパントとは、二つの時の経過を計測する機構を持った、クロノグラフのフランス語であり、英語ではスプリットセコンドと呼ばれる高度な機能のクロノグラフだ。

日本にもたらされた時、わが国の時計師たちは、この機構を持つ時計を『割剣カラフ』と呼んだが、なるほど重なり合わされていたクロノ針が分かれるさまを、よく言いえていると思う。

僕が20代の半ばくらいの時に、三重県の伊賀上野の骨董店で、この割剣カラフを見せてもらったことがあったが、なにぶんその時代の僕には、店主が言う百万円という値段は高価すぎて手が出せなかった。

あの時計はその後、誰かの手に渡ったのだろうかと、よく思い出してしまう美しい時計だった。

第19回 第19回
ケースやフォールディングバックルまですべてがプラチナ素材のこのモデルは、かなりなレアものだそうだ。

このシステムを発明したのは、かの時計の歴史を2世紀も進めたと言われる、天才時計師アブラアム・ルイ・ブレゲである。

彼は1820年に、同時に動く2者間の秒差を計測できる『二重秒針時計』を発明したのだった。これは同時にスタートした走者や車が、やがてその速度に優劣ができ、一着と二着になるのを、一つの時計で計測できるという優れた機構なのである。

ポケットウオッチ時代にも、高品質なラトラパンテは、高級時計メゾンによってつくられてきたし、機械式腕時計の時代にも数々の名品が生まれた。

クロノグラフの機能を、実際の生活で使って、計測することなどめったにない僕だが、その複雑なメカニズムに、ずっとあこがれを抱いてきた。

そのラトラパンテ機構を持つ、ブレゲのクロノグラフを手に入れる機会があり、しかもそれはケースやデプロワイアント・バックルまでもがプラチナ素材という贅沢な物だった。

そのムーブメントは、レマニア社の定評のあるクロノグラフ・ムーブメントをベースに、第二のクロノ針を制御し、また解放して作動させるクラッチの部分を、二階建てにした素晴らしく複雑なムーブメントで、これが発表されたときは、多くの時計好きの人々が感嘆の声を上げたのだった。

このムーブメントはRef.3947と呼ばれるもので、クロノ針をスプリットさせるプッシュピースが、ケースの左上10時位置にあったが、後にこのプッシュピースを竜頭の部分に貫通させたRef.5947に改良される。

この時計を腕につけると、ずっしりとした重みがあり、その存在感が伝わってくる。

ときどきそのラトラパント機能の素晴らしさを味わうのだが、重ね合わせた二本の秒針のデリケートな工作に改めて感動する。

一般的なクロノグラフの組み立てに比べ、この二重秒針の組立には、さぞかし時計師たちも緊張する作業をしているに違いないと思うのだ。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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