日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2022.01.27 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第20回 プラチナのタンク・ノルマル

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第20回
ジュネーブにあるアンティーク時計の店”オウ・ビエイユ・ドロロジ”でのスナップ。この店でたくさんの時計と出会った。

たくさんの時計との出会いの中でも、最もドラマティックだったのが、このプラチナのカルティエ・タンク・ノルマルとのめぐり逢いだったのではないだろうか。

1980年代後半、デニムの歴史展の企画やテレビの取材などで度々訪れていた南フランス、ガール県のニーム市のアンティーク店で、その運命の時計と出会ってしまった。

カルティエ時計のデザインの粋というべき、このタンクウオッチには、長らくあこがれていたのだが、なかなかこれだと思うものに出会うことがなかった。その小さなアンティークの店のショウケースにあったタンクは、ホワイトゴールドともスティールとも異なる、不思議な輝きを放っていたのだった。

「お客さん、これは珍しくて貴重な、プラチナ素材のケースのタンクなんですよ。ほら、ケースに犬の横顔の刻印があるでしょう」と店主が言う。

第20回 第20回 第20回
元の持ち主も大切に使っただろうプラチナのタンク。直線の構成による美しさは比類ないものだ。あえて磨き上げずにオリジナルの形を残して使いたい。

ゴールドのものでも十分高価だろうから、ましてやプラチナだと、相当な価格に違いないと、なかばあきらめながら価格を聞いててみると。「パリあたりだと、おそらくこれくらいだろうと思いますよ」という価格は、邦貨にしておよそ三百万円。

「でもあなたにはこれくらいで譲りますよ」と提示されたのが、およそ相場の四分の一強という価格なのだった。

もちろんそんなたくさんの現金の持ち合わせは無いから、やはりあきらめるかと思ったら、あなたはクレジットカードを持っていないのですかという話になった。

なんとその旅には、生まれて初めて手に入れたカードがあり、店主が調べるとそれで決済できるという事になったのだ。

かくしてプラチナ・タンクは僕の素敵なコレクションの一つとなった。

帰路に立ち寄ったパリで、カルティエの本店を訪ね、ベルトを新調すると、ますます素敵な時計に変身してくれた。

この時計のムーブメントは、9リーニュというサイズの18石の機械が入っていて、まだ耐震装置が用いられる前のものなので、デリケートに使わなくてはならない。

だが様々なバリエーションがあるタンクのデザインの中でも、僕は1917年のオリジナルに近い、このノルマルが一番好きだ。

防水にも気を使う必要があるので、汗をかきそうな夏場には使わないようにしているから、これからの寒い季節には使うのを楽しむつもりだ。

一度ロンドンのサザビーズの鑑定士に見てもらったら、おそらくは1940年代後半から1950年代にかけての製品だろうという。

資料を調べてみると、その時代パリの本店で扱われたのは、タンク全体でわずか30ピースから40ピースということが分かった。

つまりプラチナは中でも希少らしく、近年の時計オークションや、カルティエによるヴィンテージピースの販売価格は、驚くべきものになっているようだ。

そして僕がこのタンクと巡り合った半年後の、1988年の10月3日、ニーム市は記録的な大洪水に襲われ、市街地の多くが水没してしまった。つまり僕がこの時計を手に入れなければ、泥の海に流されていたに違いないのだ。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

松山 猛の時計物語 BACK NUMBER

VIEW ALL

CLOSE UPPR