COLUMN2021.11.18 《腕時計》僕の履歴書
常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。
ジャガー・ルクルト社のロングセラー時計の一つが、ケースを反転させて風防ガラスを護るという“レベルソ”だ。
レベルソとはリバース、つまり反転という意味のラテン語であり、この時計にまことにふさわしい名前といえるだろう。
1930年代に、ポロ競技中に身につけていても、風防ガラスが破損しない時計があれば、というある英国将校の願いから生まれたのだと聞く。それはケースを反転させるという、それまでにない機能的デザインを持つ、腕時計の誕生であった。
僕がこの時計を手に入れた1980年ごろには、日本への輸入もほとんどなく、めったに見かけることがない時計だったが、その当時住んでいた渋谷区神宮前にあった『文明堂』というヴィンテージウオッチの店で見つけてこれはと思い、購入したのだった。
最初にこの時計を注文した人のイニシャルが、流麗な文字で彫り込まれたケースは18Kイエローゴールドで、縦35mm幅22mmと小さなものだ。
文字盤は黒にゴールドのインデックス。そこにバートンハンドという、直線的な時、分針のみという、その佇まいがとてもシンプルで気に入っている。
そしてベルトはオリジナルの豚革のもので、これは腕時計初期のカルティエなどの革ベルトと共通するスタイルである。
そしてカルティエやパテック・フィリップでも同じ方式の反転ケースの時計を作っていて、このスタイルが人気だったことが分かるのだ。
製造年代はおそらく1970年代頃だと推測しているが、まだきちんとは調べきってはいないので、いずれケースナンバーなどから調べてみようと思っている。
レベルソはその後、2000年頃から再び注目される人気時計となり、ジャガー・ルクルト社も本腰を入れて、様々なタイプのものを創り出した。
たとえば両面を文字盤として、複雑機構を組み込んだものや、片面にダイアモンドを用いて、ドレスアップ用になどと、その変化ぶりがまた面白いものとなった。
またスポーツモデルも一時期作られ、それは新しい設計によるケースを採用したもので、これは機能的だと、娘の仕事始めのお祝いにプレゼントした。
そしてその究極にあるのが、ケースの四面を用いて、様々な複雑機構を組み込んだ、ハイブリス・メカニカと呼ばれるモデルだ。ハイブリスとは野心的なという言葉だが、まさに技術力のマニファクチュールと呼ばれる、ジャガー・ルクルト社にふさわしい究極の時計ではある。
松山 猛(まつやま・たけし)
1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。
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