日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2021.03.04 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第2回 お月様が棲む時計

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第2回
スイスの時計博物館に展示されていた、ボーム&メルシ社製トリプルカレンダー・ムーンフェイズ時計、おそらくは1950年代半ばのもの。

父との思い出の一つが、四条河原町で市街電車を待つ間に、父と一緒にウインドウショッピングをしていた、時計店で見た時計の一つに、笑顔のお月様を発見したことだ。

父はよく休みの日に、繁華街の映画館や、寄席に連れて行ってくれたもので、その帰り道に見た、お月様が文字盤に棲んでいる時計は、深く僕の記憶の中に宿ったのだった。

のちにそれが月相を表す、ムーンフェイズ表示だと知ることになるのだが、子供心には大好きな絵本に出てくる、お月様が棲んでいる時計というものがあるのだという、素敵な発見だったのである。

当時の輸入時計を調べていると、僕が見たのはオメガ社のものか、ゾディアック社のスリーポイント・カレンダー・ムーンフェイズと呼ばれるスタイルの時計だったに違いない。

しかし、僕が機械式の時計に興味を持ち始めた1970年代の初め頃、ムーンフェイズ表示のある時計はほとんど流通してはいなかった。そう、時代はクオーツ機構の実用化により、スイスの時計産業 が大打撃を受けた頃で、昔ながらの機械式時計は、そのまま衰退していくものだと思われていたのである。

第2回
僕のお宝、レコード社のトリプルカレンダー・ムーンフェイズ。これも1950年代半ばの製品で、新品のまま眠っていたのを発掘。タイトル横の写真はその裏側で、名作ムーブメントとして知られるバルジュー88の動きを見ることができる。

1981年に、初めてスイスに出かけた時、僕は時計の帝都と呼ばれるラ・ショー・ド・フォンの、時計博物館の門前にあったズーブヘンさんの時計店で、ようやくあこがれの『お月様が棲む』時計を手に入れた。

またその後もいくつかのムーンフェイズ時計を探し出したが、中でもお気に入りなのが“レコード”社製の一本だ。

これはデッドストックとして残っていたものを、やはり博物館門前の、ヴィンテージ時計専門に扱っていた、アイゼネッガーという時計師が、丹念に仕上げなおしたもので、そのムーブメントの美しさが際立っている。

こうして子供のころの夢の時計を身に着けることが、なんとも楽しくてならない。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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