日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2021.04.01 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第4回 かをるさんのロレックス

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第4回
1920年代後半製のロレックスには、シンプルな手巻きムーブメントが用いられていて、まだ耐震装置も使われていなかった。

アートディレクターの渡邉かをるさんは、僕のあこがれの先輩だった人だ。

VANの宣伝部でデザイナーとして活躍したのちに独立し、アートディレクターとして様々な大企業の広告を作り続けた。

彼とは、僕がPOPEYE編集部で雑誌作りを始めたころに知り合い、その趣味の世界の素敵さに圧倒されたものだった。

骨董全般の鑑識眼もすごい人だったが、まず僕が影響を受けたのが、彼の時計趣味の世界だった。

かをるさんは、ロレックスやカルティエを好んでいて、いくつもの時計をコレクションしていたが、その選び方が素敵なのだった。

例えばニューヨークで手に入れたという、ケースが反転する、レベルソ的なカルティエなどは、とてもレアなアイテムとして有名な時計だ。

まだ今日のようにロレックスが爆発的人気を得るよりはるか前の、1970年代の初めに、すでにそれを蒐集し始めていた。

その影響を受けて、僕はロレックス社の歴史を調べ始め、雑誌の記事にし、また自著にもその魅力を書いたものだった。

だが現行品ではなく、いわゆるヴィンテージと呼ばれる時代のロレックスは、その頃日本ではめったに手に入るものではなく、いつか手に入れたいと思うばかりだった。

第4回
この時計をプレゼントしていただいた日の渡邉かをるさん。

そんな僕にある日かをるさんが、「松山君が結婚でもしたら、コレクションから古いロレックスを、一本プレゼントするよ」と言った。

彼は独身主義者というのか、もの凄くモテる男だったからか、生涯独身を貫いた人で、同じような生き方をしているような僕も、結婚することは無かろうと思っていたのかもしれない。

それから半年後くらいに、縁あって僕は結婚をすることになり、かをるさんにそのことを報告すると、ほどなく僕の家を訪ねてきて、ポケットの中から無造作に一本のヴィンテージ・ロレックスを取り出し「約束の時計だよ」と、プレゼントしてくれたのだった。

そのかをるさんもいまや鬼籍に入り、いただいた時計は形見の品となってしまったが、時折それを腕にして、彼のことを懐かしく思い出すのだ。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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