日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2021.05.06. 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第6回 ナルダンを探せ

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第6回
クラッシックなデザインの、ワンプッシュ・クロノグラフだが、ムーブメントは21世紀の設計による、最新のものだ。

ヴィンテージ腕時計探しを始めた頃、何軒かの時計屋の親父さんたちから聞いたのが、スイスのナルダンという時計の名前だった。

「ナルダンは正確なんだよ、とても信頼性がある」また「高精度だから海軍の軍艦でもナルダンが使われている。だから錨のマークなんだよ」などと、何回かその名前を聞くうちに、これは是非とも探し出したいと思うようになったのだった。

正確には”ユリス・ナルダン”という時計会社で、スイスのル・ロクルという、フランスとの国境に近い町に本社工場があるらしい、ということが分かった。

第6回
ユリス・ナルダン社の中興の祖、ロルフ・シュニーダー氏は天文三部作や、シリコン部品などの開発に功績を残した人だった。

船舶の航行に必要な経度の測定に必要な、高精度のマリンクロノメーター造りに精通した会社で、その高精度というイメージもあって、腕時計時代になっても、時計店の主人たちから高い信頼を得ていたらしい。

戦前には我が国の精工舎も、ユリス・ナルダン社と提携を持ち、クローン的なセイコー・ナルダンと呼ばれるポケットウオッチを作っていたとも聞いた。

おそらく国産の船舶用クロノメーターも、ナルダンから学んだ物を製造したと想像する。

やがて青山のツインタワー・ビルの地下にあった時計店で、1960年代の製品と思われる、自動巻きのユリス・ナルダンを発見し購入した。それはブルーの文字盤でカレンダー表示があるモデルだった。

しかしクオーツの時代になって、多くのスイス時計ブランドと同様に、ひとたび機械式時計製造が衰退してしまったとき、この会社に救いの手を差し伸べたロルフ・シュニーダー氏によって、この会社は不死鳥のように甦ったのだ。

第6回
1960年代製の自動巻きと、1990年代製のワールドタイマーは僕のお気に入りのコレクション。

シュニーダー氏と天才時計師ルードウイッヒ・エクスリン氏によって、素晴らしい天文腕時計シリーズを世に送り出したのであった。

そのシュニーダー氏と銀座天賞堂が、戦艦三笠に搭載されていた、ナルダン社のクロノメーターを修復するプロジェクトをお手伝いできたのも、何かの縁だったのだろう。

僕の手元には、最初の60年代モデルのほか,GMT±、そして新しく設計されたワンプッシュ・クロノグラフがやってきたのだった。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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