日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2021.05.20 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第7回 ロンジンのポケット・クロノグラフ

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第7回
20世紀初頭のロンジン・ポケット・クロノグラフ。ニッケル製のケースの裏蓋を開けると、素晴らしい仕上げのムーブメントが顔を見せてくれる。

古い時計探しを始めたころには、様々なスタイルの時計に出会うようになった。

例えば、どこどこの国から支給されたという来歴を持つミリタリー・ウオッチや、レイルロード・ウオッチと呼ばれる、鉄道の運行で使われた高精度の時計などだ。

アメリカの大陸横断鉄道などでは、多くの区間が単線で、上り下りの列車の衝突事故も起きていたので、それを回避するために精度の高い時計が求められたのだそうだ。

ミリタリー・ウオッチはスイス製が多く見つけられたが、それには理由があり、スイスという国は永世中立国だったため、第二次世界大戦の時も、どこの国にも時計を供給することができたからだ。

工業生産に優れていた当時の、アメリカもまた、数多くのミリタリー・ウオッチを生産していて、それらを専門的に蒐集するコレクターもたくさんいるらしい。

僕の手元にもハミルトン社製のミリタリーと思われる腕時計や、24時間表示のポケットウオッチがある。1940年代のハミルトンは、それ以前の鉄道時計時代から、高性能な時計を作ってきたから、軍用としての信頼性も高かったのだろう。

第7回
1981年にスイスに初訪問した時、ジュネーブの繁華街で見かけたロンジンの広告塔。昔のジュネーブ風景の立体的なパノラマが素敵だ。

もう一つ1970年代の半ばに手に入れた時計に、ロンジン社のポケット・クロノグラフがある。昔の時計屋さんたちは、こうしたストップウォッチ機能を持つ時計を、カラフと呼んでいたものだ。

僕が手に入れたこの時計は、ニッケル製のケースを纏っているから、おそらくはムーブメントや文字盤、針などが輸入され、ケースは日本で作られたものに違いがないだろう。

しかしそのムーブメントの美しさは、圧倒的で、今から百年近く前に、はるばる日本にやってきた時計なのに、いまだに輝きを失ってはいないのだ。

そして日本製のケースも、その作りはスイスのものと比べても全く遜色がない。

明治の終わりごろには、スイスから時計製造の様々な機械が輸入されるようになり、日本人持ち前の器用さと、懸命な努力がこのような精密なケース製造に結び付いたようだ。

時折このロンジンを取り出しては、曇りやすいニッケルケースを磨き、二重になった裏蓋を開いて、クロノグラフを作動させ、その滑らかで美しい時計装置の動きを堪能する。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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