日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2021.07.08 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第11回 時計の帝都の、時計博物館へ

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第11回
1981年ブルータス編集部時代の僕の写真。まだ髪も髭も黒々としていて、様々な国の面白い話を追っていた時代でした。

スイスとフランスが国境を接する、ジュラ地方の都市、ラ・ショー・ド・フォンの町は、『時計の帝都』という別名を持つ町として知られている。 

この地方に時計産業が根付いたのは、宗教闘争により、カソリック勢力に追われた、ユグノーと呼ばれる新教徒が、森林地帯の国境を越えて生活拠点を求め、住み着いたからだと言われる。

ユグノーの人の多くには宝飾製作の技術や、錠前、鍛冶技術などにたけたものが多くいたことや、隣町のル・ロクルで、初めてスイスにおける時計制作をしたと言われる、ダニエル・ジャン・リシャールの影響もあり、長い冬の時期の手仕事として、時計製造をする職人を多く輩出した歴史がある。

第11回
19世紀末の木製懐中時計は、固い木をくりぬき、ケースや歯車を作っている。シリンダー脱進機ーを備え、それなりに正確だろう。

この町にある、世界一のコレクションを誇る時計博物館を初めて訪ねることができたのは1981年の春のことだった。

機械式時計の歴史を知り、その資料を集めたいと思っていた僕だったが、その圧倒的なコレクションの凄さに驚き、そしてこの博物館の掲げる『人間と時間』というテーマに巡り合ったのだった。

日時計や水時計、香時計に始まり、やがて人類は歯車を用いた機械式時計を発明するに至る。コレクションの中には16世紀に早くも天体の周期を表示するジョバンニ・ドンディの時計のレプリカもあり、その時計は現代のグレゴリオ暦以前の暦に従っているので、今では使えないものであることなどを知った。

第11回
アミ・ルクールト・ピゲが製作した、超複雑な機能をもつマスターピース。

また材料が乏しかったためか、昔のロシアでは堅い木を材料にして作られた、木製の懐中時計があったことや、19世紀の初頭には機械式のプラネタリウム装置が作られていたことなどを、この博物館で学んだものだった。

最初の訪問以来、何回かこの博物館を訪れたが、いつも魅了されるのは、エーム・ルクルト・ピゲという時計師が、4年以上の月日をかけ、1878年超複雑に完成させた、ポケットウオッチだ。文字盤には17もの機能の表示があり、もちろん永久カレンダーや、グラン・ソヌリ、ミニッツ・リピーターなどのシステムが手のひらに乗るちいさな空間に集約されているものである。

第11回
ブレゲ №2395クオーター・リピーターを備えた永久カレンダーポケットウオッチ。ムーンフェイズが素敵な感じ。

この時計より、さらに複雑な時計も存在するけれど、それらはもっと大型なものだから、あまり比較にはならないと思う。

1981年のスイスの旅では、ジュネーブの時計とエナメル画の博物館にも行ったが、残念なことにこちらの博物館は、その後大掛かりな盗難にあい、現在も再開されてはいない。今僕の本棚には、そこで手に入れた収蔵品の本があるので、そこから蒐集品について知るほかはない。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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