日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2021.09.09 《腕時計》僕の履歴書

松山 猛の時計物語
第13回 アントワーヌ・プレジウソの“シエナ”

常に自分に寄り添う存在である腕時計は、小さな記憶装置でもある。記憶の裏蓋をそっと開ければ、そこに思い出の数々を見ることができる。本連載では、日本の時計ジャーナリストの草分けであり、雑誌編集者、作詞家、作家として数々の伝説を生み出してきた松山猛さんの人生を、愛用の腕時計を通じて振り返る。


第13回
アントワーヌの息子のフローリアも時計学校を優秀な成績で卒業した後、教える側となり、今は父親と共に複雑な、トウールビヨンなどの制作にいそしんでいる。

アントワーヌ・プレジウソを紹介してくれたのはフランク・ミュラーだった。

彼らはジュネーブ時計学校の級友であり、ともに優秀な成績を収めて卒業した仲で、二人とも同じ時代のフォード・マスタングに乗って、遊び歩いたという話を、彼から聞いたことがあった。

時計学校で二人を教えた先生の一人が、ロジェー・デュブイというから、時計の世界は想像以上に狭く、密な人間関係なのだ。

時計学校の卒業作品は、ロレックスのオイスターに複雑機構を組み込んだものであった。

卒業後はパテック・フィリップ社に入社し、時計制作技術を極めていき、その後より複雑な時計に接したいと、時計専門のオークション会社“アンティコルム”のアトリエで、歴史的な複雑腕時計の修復作業の道を選んだのだった。

その後独立時計師として、次々と素晴らしい時計を発表し、フアンを獲得していく。

第13回 第13回
シエナの時計塔をモチーフにしたこのモデルの文字盤には極薄にスライスした大理石が用いられ、その上でルイ15世スタイルの長短針が時を告げるのだ。

ある年のバーゼル会場で、今度シンプルな時計を計画しているから、あなたにも一つ作るよといい、その翌年に贈ってもらったのがこのシエナの時計塔をモチーフにした時計だ。

そのシエナの教会の塔時計は、昔ながらの一本針だが、腕時計にするにあたって、一本針のモデルと、より時刻を把握しやすい、時針と分針を持つ時計となり、大理石の文字盤の上を、クラッシックなルイ15世スタイルの、デコラティブな針が時を刻む、とてもシックなデザインの時計となったのだ。

そして嬉しいことに、自動巻きムーブメントのローターに、MATSUYAMA TAKESHIと、僕の名前が刻まれた時計が届けられたのだった。

18Kゴールドのケース径は34.5㎜という小ぶりなもので今、身に着けるとそのデリケートな小ぶりさが良い。

ケースの厚みも6mmくらいなので、シャツの袖口にすっきりと収まってくれるから、ちょっとドレッシーに装う日には、この時計を腕に、楽しむようにしている。

近年は息子さんのフローリアンがアントワーヌとともに、とても複雑な時計の制作をするようになり、中でも三つのトウールビヨン装置が、文字盤とともに回転するという、トリプル・トウールビヨンという超絶時計までをも二人で完成させたというから凄いことだ。

このような親子相伝の、時計技術の伝承の姿を目にすると、時計世界の伝統が守られていくだろうという、期待が持てるから嬉しいことではないか。

松山 猛(まつやま・たけし)

松山 猛(まつやま・たけし)

1946年京都生まれ。ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』で作詞家デビュー。その後もサディスティック・ミカ・バンドの『タイムマシンにおねがい』など、数々のヒット作を世に送り出した。一方、編集者としては『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』で活躍。70年代からスイス時計産業を取材しており、まさに日本の時計ジャーナリストの草分け的存在でもある。著書に『僕的京都案内』『贅沢の勉強』『少年Mのイムジン河』『松山猛の時計王』など。

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