• なぜ、物流インフラがアフリカの 発展にとって最大の必要条件なのか?
  • アフリカの物流インフラづくりに 日本が協力できること
  • モザンビーク・ナカラ回廊をつくる!
  • ケニアのモンバサ港が東アフリカの 「シンガポール」になるとき
  • 日本の知恵と技術と金が、 アフリカの物流を変える!
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倉科

人材育成です。道路工事を進めるにあたっても同じことが言えます。たとえば、日本人の現場監督者が、オフィスで椅子に座っているのではなく、現場で立ったまま指示を出している姿や、安全第一で工事を進める様子は、現地の方の印象に強く残るようで、その後、日本企業が引き揚げた後でも、日本流の工事現場のやり方が引き継がれているそうです。

池上

日本流が功を奏し始めているわけですね。2009年にスーダンの首都ハルツームの総合病院を取材したとき、80年代に日本の国際協力で教わった医療機器のメンテナンスを今でも毎週律儀に繰り返しているため、古い機材が立派に機能していたのにびっくりしました。日本の技術やノウハウの伝承力はたいしたものですね。

倉科

その通りです。いくらいいハードを備えても、使い方やメンテナンスの仕方を伝えておかないと、結局宝の持ち腐れになる。国際協力の現場ではしばしば起こることです。日本の国際協力の強みは、継続して使われるためのノウハウの伝承にあるわけですから、アフリカでもその強みをもっともっと活かしていくべきでしょう。

池上

物流インフラと言えば、鉄道はどうでしょう?

倉科

アフリカに鉄道が敷かれたのは20世紀初頭。イギリスが進出した植民地初期の時代です。当時は、まだ自動車が普及していませんから、当然物流も人の大量移動も鉄道が頼りでした。

けれども20世紀半ば以降、アフリカ各国が独立し始めると、状況が変化しました。鉄道の運営が宗主国のイギリスやフランスなどからアフリカ各国にまかされ、そのうちいくつかは民営化されたのですが、鉄道のような巨大単一インフラは運営にものすごいノウハウとコストと組織力が必要となるので、大半が機能しなくなったのです。

その頃から自動車の存在が大きくなり、鉄道は後退するように利用頻度が減ってしまったのです。

池上

スーダンでもケニアでもモザンビークでも、鉄道はあったものの、存在感を感じませんでしたね。

倉科

はい。ただ、アフリカのような面積の広い地域では、鉄道の輸送力は潜在的に見て今でも魅力的です。このため、政情が安定し、経済が成長し始めた国では、改めて鉄道に挑戦しようという動きが始まっていています。たとえば、南アフリカでは、600台近くの電気機関車を調達しようという動きがあります。

池上

アフリカの物流の話を聞くと、アフリカという土地のかたちをもう一度見直そう、というところに行き着くような気がします。今のアフリカの国境は、ヨーロッパの植民地時代に引かれた国境がそのまま受け継がれていますね。

倉科

その通りです。アフリカでは国境線が直線、という国がとても多いんですね。場合によっては、ひとつの町のど真ん中に国境線があることもある。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、ポルトガルといった旧宗主国が植民地時代に自分たちの都合で勝手に引いた国境線だからです。

皮肉にも宗主国がつくった「国」のかたちを引き継いで、今のアフリカ諸国は独立しました。ですから、もともとあったアフリカ独自の地理や文化や民族の動きと、必ずしも国境が一致していなかったりするわけです。

池上

スーダンやルワンダ、ケニアがその典型ですが、独立後に起きた内戦や暴動の原因の多くも、民族紛争の色合いが強いですよね。

倉科

もともと、19世紀にヨーロッパ勢がアフリカ大陸へ本格進出するまで、アフリカの多くの地域では、民族ごとの集団で生活していることが多く、今のような近代国家の概念がさして意識されなかった地域が少なくありませんでした。それを無理矢理、近代国家のサイズに押し込めたという点にアフリカの悲劇の一端があったのは否めません。

池上

いまでも国より民族への帰属意識が強い地域がけっこうある、と聞きました。

倉科

20年近く前のケニアで親しい人に「あなたは何人ですか」と尋ねると、「ルオー人です」「キクユ人です」と答える人が多かった。つまり、どこの国に属しているかではなく、どの部族なのかを答えていたわけです。ケニアでは2007年の大統領選後に暴動が起きましたが、このときの暴動の原因もキクユ族対ルオー族の民族の争いが根底にありました。

池上

今はどうですか?

倉科

前回の暴動後、最近では「ケニア人です」と答える人が増えている。これはどういうことかというと、ケニアの人々の心の中にようやく「国」ができあがってきたということです。2013年3月4日には大統領選が実施されましたが、各候補は個々の民族の枠に囚われることなく選挙に参加するよう国民に呼びかけ、平和裏に投票が行われました。

池上

ケニア人の意識も変わってきたわけですね。ただ、いま日本が協力してやろうとしている、複数の国をつないだ物流網の整備をはじめとする「回廊」プロジェクトは、国単位どころかいくつもの国を巻き込んだ多国籍事業になります。アフリカの人々の意識はこの変化に対応できるしょうか?

倉科

おっしゃる通り、これからは、アフリカ諸国がいわばユーロ経済圏のような経済圏を複数の国でつくり、物流から通関までがスムーズに行われるような時代が到来します。それがアフリカの発展の必要条件です。

ただし、回廊プロジェクトの実現のためには、やはりアフリカの人々が過去の恩讐を超えて、一緒に経済圏をつくっていくよう、心構えや態度を変えていく必要があります。アフリカの人々同士の、そしてアフリカと外部の人々とのコミュニケーションがますます重要になっていくでしょうね。

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