日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2020.05.12

《腕時計》僕の履歴書 - 時計ジャーナリスト 広田 雅将

第2回 時計は匂いだと気づいた高校時代

世の中には二通りの人間が存在する。腕時計を愛する人と、そうでない人だ。どちらが優れているとか、どちらが正しいとか、そういうことは断言できないけれど、前者に関していえば、多くの場合、腕時計との幸福な出会いがあり、長い時間をともに過ごすことによってその愛を育んできたのだと思う。この連載では、そうした腕時計を愛する人にご登場いただき、その腕時計遍歴とともに人生をふりかえる。まず最初の「履歴書」は、日本を代表する時計ジャーナリストのひとりで、現在、高級時計専門誌『クロノス日本版』の編集長を務める広田雅将さん。腕時計に魅入られたその数奇な人生とは。


高校受験で多少上手くいった筆者は、お祝いとして親から金をせしめることに成功した。その大金を握りしめて、意気揚々と向かったのは、当時青山のキラー通り近くにあった、文明洞という店だった。ハナエモリビルのシェルマンやクロエに行かなかったのは、“子供”にとっては、敷居が高すぎたため。文明洞も入りにくかったが、青山の外れにあったのでまだしも顔は出しやすかった。店主のHさんは、当時まだ中学生だった僕にもよくしてくれて、細かく時計の説明をしてくれた。ロレックスのバブルバックが欲しいと言ったところ、あんまりいいのはないよ、と言われたのをよく覚えている。それが刷り込みになったのか、筆者はいまだに、一度もバブルバックを手にしていない。

高校受験に成功し、お祝いのお金で買った1950年代初頭のオメガ「コンステレーション」。
高校受験に成功し、お祝いのお金で買った1950年代初頭のオメガ「コンステレーション」。

お祝いのお金で買ったのは、1950年代初頭のオメガ「コンステレーション」だった。いわゆる12角の文字盤で、ベゼルとリュウズが金張り、そして文字盤がブラックのモデルである。当時の価格は確か8万5000円。が1万円まけてくれて、確か7万5000円を払ったと記憶している。当時の文明洞は、時計をビロードの時計ケースに入れて渡していた。ケースには独特に匂いがあり、あの正体をどうしても知りたかったが、その機会は逃してしまった。記憶というのは、匂いと密接に結びついているらしい。鮮明に覚えている記憶は、例外なく匂いが伴っている。僕にとって、時計というのは匂いだ。

高校受験に成功し、お祝いのお金で買った1950年代初頭のオメガ「コンステレーション」。
高校受験に成功し、お祝いのお金で買った1950年代初頭のオメガ「コンステレーション」。

で、浮いた1万円を筆者はどうしたのか。池袋のサンシャインプリンスホテルに寄り、ステーキを食べたのである。おそらく、初めてステーキを食べたのがその時だ。小学校の時、梅田の阪急百貨店で食事をすることを夢見た少年は、池袋の高層ホテルで、恭しくステーキを給仕されるに至ったのである。大いばりでステーキを食べていたのは、何しろ子供だったのだ。店員がいぶかしがったのは当然だろう。

この時計には続きがある。ベゼルのメッキがはがれたため、大学時代に、吉祥寺にあった北斗星時計店で修理と再メッキ、文字盤の書き換えを依頼した。確か3万円かかったと記憶している。その後、故あって手放していたが、先日ヤフオクで見つけてしまった。大騒ぎしていたところ、知人のコレクターが買っていいかと聞く。クロノスの忘年会で彼に会い、まさにその時計を見せてもらった。30年前に買った時計に、まさか会えるとは思ってもみなかった。

高校に入学して、時計趣味はいっそう加速した。中学時代はせいぜい都内までしか出なかったが、行動範囲が広がったのである。横須賀に戦艦三笠を見に行ったついでに、有名なアンティークウォッチ屋の太安堂に寄り、そこで、ルクルトのメモボックスを見つけた。箱入り、新品の個体で、ベルトまでオリジナルだった。しかも、ケースはちゃんとしたねじ込みの裏蓋をもつ防水ケースだった。今思えば笑ってしまうが、子供時代の筆者は、防水ケースはエラいと思いこんでいた。もっとも人の嗜好なんて数十年経ってもあまり変わらないのであって、今なお筆者は、よくできた防水ケースを見ると嬉しくなってしまう。高校時代は頑張って色々買ったが、あのメモボックスほど鮮やかな記憶が伴った時計は他にない。

高校時代。腕に巻いているのはクオーツのダイバーズウォッチ。メーカーは確かフランスのDodaneで、東急ハンズで買ったと記憶している。これは気に入って長らく使った。
高校時代。腕に巻いているのはクオーツのダイバーズウォッチ。メーカーは確かフランスのDodaneで、東急ハンズで買ったと記憶している。これは気に入って長らく使った。

高校時代の筆者は、パンパンに太り、やることもないので、家で本を読むか、隠れ趣味だった、鉄道旅行に興じていた。時計が好きで、本を読み、鉄道に乗る。同級生が女の子とドーナツ屋に行ったり、部活に精を出したりしていたことを思えば、まったく冴えない高校時代だった。

当時の東北には、電気機関車で引っ張る客車列車がまだ走っていた。夜行急行の「八甲田」で青森まで行き、帰りは東北本線の50系客車に乗って帰ろうと思った。野辺地の駅を降りて散策していたら、古い時計屋さんがある。店主に時計はありませんかと尋ねると、壊れたやつならあるという。彼が段ボールを見せてくれた。ごちゃっと時計が突っ込まれている中に、手巻きのロレックスがあるのを筆者は見逃さなかった。型番などは分からなかったが、今考えると、Ref.6694だろう。金がないので、財布に入っている持ち金全部をはたいて、小さな段ボールごと時計を買った。1万円もしなかったと記憶している。買ったはいいものの、手持ちの金は全部使ってしまった。切符はあるからどうにか帰れるが、食事する金がない。野辺地から赤い客車に乗り、網棚の上に残されたせんべいを食って、ほうほうの体で埼玉に帰った。

手巻きのロレックスを手にした筆者は大喜びだったが、修理代がない。そこで、青森で買った段ボールごと文明洞に持ち込み、店主のHさんに、これを修理費に充ててくれないかと頼んだ。彼は苦笑いして、修理を引き受けてくれた。修理費にはまだ足りないということで、親戚であるオサフネのオッサンからもらった、壊れたキングセイコーも足して渡した。ちなみにこのロレックスは、後にトーマスというあだ名の男に譲った。トーマスはバリトンでクイーンを歌う男で、顔がきかんしゃトーマスに似ていたので、そういうあだ名が付いていた。大学時代、筆者は彼に義理があったので、格安で売り飛ばしたのである。その後トーマスはこの時計を壊し、直してくれと頼まれたが、なぜか断った。その際、北朝鮮のビデオも貸してくれたが、それはいまだに返していない。

高校時代は実に面白くなかった。成績が良いわけでもなく、運動ができるわけでもなく、家と学校を行き来し、週に数回、塾に顔を出して、同級生とぼそぼそ話をする。時計や鉄道趣味の理解者がいるはずもなかったので、基本的にはひとりだった。唯一救いだったのは、世界史が面白かったぐらいだろう。あの時代、暇さえあれば世界史の本を読んでいて、確かどこかの模擬試験で、世界史だけはまあまあの順位を取ったのは記憶している。そんなのはまったく役に立たないと思っていたが、時計の仕事をするようになって、世界史の知識は役に立った。一般教養というのは、決して無駄にはならないようだ。

(第3回へと続く)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

1974年、大阪生まれ。時計ジャーナリスト。大学卒業後、外資系メーカーなどでサラリーマンとして働くが、時計ジャーナリズムを生業にすることを目指し退社。キャバクラの客引きなどをしながら糊口を凌ぎつつ、執筆を始める。2017年より高級時計専門誌『クロノス日本版』編集長。ドイツの時計賞「ウォッチスターズ」審査員でもある。趣味は温泉。

イラスト=榎本直哉

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