日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2020.06.09

《腕時計》僕の履歴書 - 時計ジャーナリスト 広田 雅将

第4回 天井のシミを見ながら腹を決めた、ライターへの転身

世の中には二通りの人間が存在する。腕時計を愛する人と、そうでない人だ。どちらが優れているとか、どちらが正しいとか、そういうことは断言できないけれど、前者に関していえば、多くの場合、腕時計との幸福な出会いがあり、長い時間をともに過ごすことによってその愛を育んできたのだと思う。この連載では、そうした腕時計を愛する人にご登場いただき、その腕時計遍歴とともに人生をふりかえる。まず最初の「履歴書」は、日本を代表する時計ジャーナリストのひとりで、現在、高級時計専門誌『クロノス日本版』の編集長を務める広田雅将さん。腕時計に魅入られたその数奇な人生とは。


社会人となった筆者
社会人となった筆者。場所は温泉旅館である。タバコを持っているから、23歳以降の写真だ。給料のいい会社に勤めた筆者は有頂天だったが、以降急速に没落することとなる。

大学を卒業した筆者は、まぐれでドイツメーカーの日本法人に就職した。大学時代は遊びほうけすぎて1年留年したので、23歳のことである。就職の際、日本の会社をあまり受けなかったのは、ボーナスが少なかったから。対して当時のドイツの会社は、ダブルペイ、つまり年収分のボーナスが当たり前だった。そこまでしてボーナスにこだわった理由は、いわゆる高級時計を買いたかったからである。入社テストの際、日本国「けんぽう」を漢字で書けなかった時点で落ちたと思ったが、その後、合格通知の電話をもらった。今もって理由は謎である。

社会人となった筆者
社会人となった筆者。場所は温泉旅館である。タバコを持っているから、23歳以降の写真だ。給料のいい会社に勤めた筆者は有頂天だったが、以降急速に没落することとなる。

社会人になった筆者は、一転して、時計を買うようになった。どの時計も思い出深いが、記憶に残っているのはユリス・ナルダンの「サンマルコ・クロノメーター」だ。これは社会人になって、初めて買った時計ではなかったか。文字盤は本物のエナメルで、良くできた防水ケースを持ち、しかもクロノメーター付きだった。仮にIWCの「ポートフィノ」がクロノメーターだったら、そっちを選んでいたかもしれない。ちなみに中身は普通のETA2892A2だったが、当時、そんなことを気にする人はほとんどいなかった。というのも、市場に売っている新品は、ほとんどがETA入りだったのだから。妹に、この文字盤は七宝だと自慢したのを覚えている。

社会人になって初めて買った、ユリス・ナルダンの「サンマルコ・クロノメーター」
社会人になって初めて買った、ユリス・ナルダンの「サンマルコ・クロノメーター」。妹に、この文字盤は七宝だと自慢したのを覚えている。

この時計は気に入って愛用していたが、やがて日付の窓枠が外れてしまった。直すのも面倒だったので、そのまま売りに出すことに決めた。確か買取価格は、3万5000円だったはずだ。あまりにも安くてショックを受けたので、そのあとなぜか、ブライトリングの初代ナビタイマーを買った。Ref.806というヴィーナスのCal.178を載せたモデルで、とにかく格好が良かったのである。これは知り合いに頼まれて、後に手放した。

給料も良かったし、働く環境も素晴らしかったが、その会社は数年で辞めた。埼玉の奥地から都内に通うには、朝の5時半に起きなければならない。最寄りの駅まで自転車で通い、そこから電車に2時間揺られるのである。時計を買うのは大事だが、往復5時間の通勤時間は人生の無駄だと気づいた。それと、昼食でたべる「ゆで太郎」の蕎麦には飽きた。もっともその後、筆者は5時間どころではない人生の浪費をする。

辞めたあと、複数の編集プロダクションでバイトをすることに決めた。大学時代にミニコミ誌や大学新聞を作っていたので、まねごと程度のノウハウは持っていたのである。ただしお金はなくなり、時計を買うという夢は潰えてしまった。もっとも、暇があって良かったのかもしれない。やることのない筆者は、夜な夜なインターネットを見るようになり、やがて2ちゃんねる(現5ちゃんねる)にも書き込むようになった。インターネットがなければ、筆者は時計趣味を深掘りできなかっただろうし、これほど多くの知人・友人にも会えなかっただろう。インターネットには功罪あるが、筆者にとっては大いにプラスだった。

あまりにも懐が寂しくなったので、意を決してIT企業に転職した。確か27歳の時である。これは経営コンサルタントが興したユニークなベンチャーで、ドットコムバブルの時代は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。入社したら、いきなり『考える技術・書く技術』(バーバラ・ミント)を読めと言われ、読み終わったら他の難しい本を薦められ、仕事ではそれはMECE(ミーシー)的にどうなのと詰められ、筆者は一生分の知性を使い果たした。今でも、それっぽい話をするのは、ITベンチャー時代の残滓だ。

もっとも給料は思った以上に良く、筆者はこの時代に時計を色々買った。揃えたのは主に昔のIWCで、とりわけ好きだったのは、手巻きのCal.89を防水ケースに収めたRef.810という時計だった。日付無し、防水ケース、しかも値段は手頃で、維持費も安い。この時計に魅せられた筆者は、今までに、十数本は買った。一番熱狂したころは、同じ個体が3つ同時にあったぐらいである。そんなに好きなら手放さなければいいじゃないと言われるが、もう一度買ってみるところに“味”があるのではないか。IWCのインヂュニア(Ref.3521)、ジンの244Ti、ロレックスのエクスプローラーIなども、やはり何度も買い直した時計だ。カメラも同様で、ライカのIIIaというモデルは、今までに10台は買ったと記憶している。

この時代は色々時計を買ったが、一番記憶に残っているのは、ITベンチャー時代の上司である、某さんのくれたセイコー5だ。彼は山一証券の出身で、会社がなくなる最後まで“殿軍”を務めた人である。ヒロちゃん、時計好きなんだろうと言って、彼は山一時代に使っていたその時計をくれたのである。この時計は、いまだに手元に残っており、男性誌のエッセイでも書いたと記憶している。

ITベンチャーでは働き過ぎで鬱になったので休業し、そのあと父親の会社に移った。家業を継ぐというと聞こえはいいが、他にやる人がいなかったから仕方ない。もっとも父親との反りがまったく合わなくなり、結局辞めてしまった。

辞めたあとは、また引きこもりである。その間にやっていたのは、本を読むこととインターネットである。大学1年の時も本を読んでいたが、その時代はもっと読んだ。暇があったので、この時代に時計に対する知識はかなり増えた。今、多少なりとも時計の話が出来る一因は、あの時代に、時計の資料ばかり読んでいたおかげだろう。引きこもりをあれこれ言う人はいるが、勉強時間と思えば、決して悪くはない。

家業を離れたことで、お金を儲けるという可能性はなくなった。それに今さら転職しても、偉くなる見込みはない。30歳の無職に、何の将来性があるのだ。筆者は一年ほどベッドに転がり、実家の天井に広がる薄ぼんやりしたシミを見て過ごし、やがて、今鬱々としているのは自分が自分に忠実でないためと思った。

であれば、今後は好きなことだけを追求すべきだろう。今まで続いているのは、時計しかない。一念発起して、時計に関わる仕事を探そうと思った。消去法で考えると、ライターしかなさそうだ。ちなみに今も昔も、ライターという仕事はお金にはならない。書くのは好きでないが、伝えるにはそれ以外の手段はない。腹は決まった。

(第5回へと続く)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

1974年、大阪生まれ。時計ジャーナリスト。大学卒業後、外資系メーカーなどでサラリーマンとして働くが、時計ジャーナリズムを生業にすることを目指し退社。キャバクラの客引きなどをしながら糊口を凌ぎつつ、執筆を始める。2017年より高級時計専門誌『クロノス日本版』編集長。ドイツの時計賞「ウォッチスターズ」審査員でもある。趣味は温泉。

イラスト=榎本直哉

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