日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2020.04.21

《腕時計》僕の履歴書 - 時計ジャーナリスト 広田 雅将

第1回 三つ子の魂百まで。中学生ヒロタの“芽生え”

世の中には二通りの人間が存在する。腕時計を愛する人と、そうでない人だ。どちらが優れているとか、どちらが正しいとか、そういうことは断言できないけれど、前者に関していえば、多くの場合、腕時計との幸福な出会いがあり、長い時間をともに過ごすことによってその愛を育んできたのだと思う。この連載では、そうした腕時計を愛する人にご登場いただき、その腕時計遍歴とともに人生をふりかえる。まず最初の「履歴書」は、日本を代表する時計ジャーナリストのひとりで、現在、高級時計専門誌『クロノス日本版』の編集長を務める広田雅将さん。腕時計に魅入られたその数奇な人生とは。


中学時代。同級生はファミコンに熱中していたが、暗い学生時代を過ごした。父親の持っていた文庫本『腕時計』をきっかけに時計好きになった。
中学時代。同級生はファミコンに熱中していたが、暗い学生時代を過ごした。父親の持っていた文庫本『腕時計』をきっかけに時計好きになった。

筆者は時計メディアで働いている。もともとは時計コレクターのはしくれで、それが長じて時計を生業にするようになった。時計に金を使ったのだから、時計でお金を取り戻そうという魂胆からだ。であれば、過去手にした時計を記事にすれば、いっそう“回収率”は上がるに違いない。というわけで、今までに手元を通り過ぎた時計と共に、自分の歩みを振り返ってみたい。筆者が時計好きだからだろうが、時計を思い浮かべると、不思議とそれに伴う思い出が、鮮明に蘇ってくるのだ。世間に趣味モノは数多いが、こういう存在は少ないように思う。

時計が好きになったのは、確か12才の時だったと思う。父親の持っていた『腕時計』(光文社刊)という小さな文庫本に魅せられて、以降時計を探すようになった。この本はいまだに持っていて、時々ページを開く。パテック フィリップのRef.96や、ユニバーサル・ジュネーブの「トリコンパックス」、IWCの「Mark 11」、ジンの「156」など、素晴らしい時計が多く載っていて、いつかはこういう時計を買いたいと思った。

ちなみに中学生の筆者は、運動能力はゼロで、成績も並、仕方なく所属した理科部に籍を置き、アルコールランプでモノを燃やしたり、何かを破裂させるのが好きな、我ながらよく分からない子供だった。趣味なんてあるわけもなく、自転車で遠出するのが唯一の気晴らしで、世界は実に狭かった。時計に出会っていなければ、早々にグレていただろう。

中学時代。同級生はファミコンに熱中していたが、暗い学生時代を過ごした。父親の持っていた文庫本『腕時計』をきっかけに時計好きになった。
中学時代。同級生はファミコンに熱中していたが、暗い学生時代を過ごした。父親の持っていた文庫本『腕時計』をきっかけに時計好きになった。

初めて買ったのは、確かシーマの手巻きだった。青山学院大学のそばにあったホームラン商会という店で見つけた個体で、確か1万2000円だったと記憶している。中学生が埼玉からわざわざ表参道まで出かけることは、当時の子供にとっては大冒険だった時代である。

初めて購入したシーマの手巻き時計。青山学院大学のそばにあったホームラン商会という店で見つけた。
初めて購入したシーマの手巻き時計。青山学院大学のそばにあったホームラン商会という店で見つけた。

当時は雑誌しか情報源がなく、古本屋で探した『TimeSpec』という雑誌を片手に、店を探し、一番安い時計を買ったのだった。本当に買いたかったのは、ロレックス「バブルバック」のユニークダイヤル。しかし、20万円という金額は、中学生には到底払えるものではなかった。パテック フィリップの「Ref.96」は『腕時計』を見て以降の憧れだったが、これは最低でも100万円した。ハナエモリビルの地下にあった、シェルマン、クロエ、ソウルトリップなどのアンティークショップで実物を見て、ため息をつくしかなかった。

あの時代、現行新品で売られている機械式時計と言えば、オリスのポインターデイトか、オメガのスピードマスター、IWCのダ・ヴィンチしかなかったように思う。今をときめくブレゲでさえも、ようやく復活し、日本に輸入が始まった時期だ。手の届く価格帯で、しっかりした時計を探したければ、アンティークから選ぶほかなかったのである。確かに、80年代には優れたクォーツが多くあった。しかし、まったく欲しいと思わなかったのは、針が細くて短く、時計らしく見えなかったからである。

シーマの手巻きを手に入れた後、小遣いを貯めて、たぶん1940年代頃に作られた、モバードの手巻きも買った。黒文字盤で、スクリューバック、アラビア数字のモデルだ。買ったのは、やはりホームラン商会である。父親に見せたところ、おまえはいい時計を持っているな、と褒められたのを覚えている。

続いて無名の3レジスタークロノを奮発して買った。当時、2レジスターのクロノは安かったが、どうしても12時間積算計付きが欲しかったのである。中学2年のクリスマス時期に、ホームラン商会で一番安い3レジスターを見つけ、持ち金を全部はたいて購入した。防水ケース入りのしっかりした時計で、値段は確か3万5000円だった。今思うと、中身は“廉価版”のヴィーナスの188か、バルジューの7733だったように思う。

筆者は当時ブームになりつつあった、ファミリーコンピュータに興味がなかった。ゲームソフトを買うよりも、時計に興味があったからだ。それにゲームをやるときは、お金持ちだった坂本君や昆君の家に遊びに行けばいい。というわけで、中学生だった筆者は、誰と話をするわけでもなく、ひっそり時計を集めるようになった。

ちなみにこの3レジスタークロノは、アルフレッドS・コセンティーノの書いた『アバルト・ガイド』という豪華本を買うため、当時青山にあったディレクティーズの委託販売で、6万円で売ってしまった。中学生の筆者は、昔のアバルトという車にも熱を上げていて、池袋の東急ハンズで見かけたこの豪華本は、どうしても手に入れたいと思ったのである。金がなければ、時計を売るしかない。

本代を捻出するため、店に持っていったところ、「これはコラムホイールじゃないから高く売れない」と言われ、10万円から値下げされたのを覚えている。機械に興味を持ったのはそれからだ。今思えば当たり前だが、中身で値段が変わってしまうことを、中学生は分からなかったのである。筆者が機械オタクになった原体験には、間違いなく、あの3レジスタークロノの一件がある。あれが、仮にバルジューの72入りで、15万円で売れていたら、筆者はひょっとして、時計ジャーナリストにならなかったんじゃないか。

三つ子の魂百まで、という言葉がある。中学生の時に買った時計と、今買っている時計のテイストは、基本的に変わっていない。その多くは、手巻きで、アラビア数字で、針が太いモデルばかりだ。自動巻きを買わなかったのは、高くて手が出なかったから。そしてアラビア数字で針が太いのは、いかにも時計らしい見た目を持っていたためだ。最近買った時計を見ると、いずれもそんなモデルばかりである。幼年期の刷り込みは、年を取っても、あるいは年を取ればこそ、影響力を持つらしい。

(第2回へと続く)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

1974年、大阪生まれ。時計ジャーナリスト。大学卒業後、外資系メーカーなどでサラリーマンとして働くが、時計ジャーナリズムを生業にすることを目指し退社。キャバクラの客引きなどをしながら糊口を凌ぎつつ、執筆を始める。2017年より高級時計専門誌『クロノス日本版』編集長。ドイツの時計賞「ウォッチスターズ」審査員でもある。趣味は温泉。

(注)ホームラン商会:かつて渋谷の宮益坂上に存在した伝説的ヴインテージウォッチショップ。当時誰も評価していなかった古いデジタル時計などにも価値を与え、多くのファンを獲得していた。
モリハナエビルの地下:表参道にあった丹下健三設計のファッションビル「モリハナエビル」の地下には多くのアンティークショップが軒を連ねていた。

イラスト=榎本直哉

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