日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2020.09.01

《腕時計》僕の履歴書 - 時計ジャーナリスト 広田 雅将

第7回 いい料理を作りたかったら、常におなかをすかせておくこと

世の中には二通りの人間が存在する。腕時計を愛する人と、そうでない人だ。どちらが優れているとか、どちらが正しいとか、そういうことは断言できないけれど、前者に関していえば、多くの場合、腕時計との幸福な出会いがあり、長い時間をともに過ごすことによってその愛を育んできたのだと思う。この連載では、そうした腕時計を愛する人にご登場いただき、その腕時計遍歴とともに人生をふりかえる。まず最初の「履歴書」は、日本を代表する時計ジャーナリストのひとりで、現在、高級時計専門誌『クロノス日本版』の編集長を務める広田雅将さん。腕時計に魅入られたその数奇な人生とは。


客引きを辞めたが、相変わらず仕事はなかった。ただ、『TIME SCENE』で副編集長だったFさんが、『クロノス日本版』の編集長になる際に専属ライターとして引っ張られて、多少はまともになった。

ライターという職業は、基本的に出版社や編集プロダクションに勤めていた人がやるものだと思っている。まったく関係ないジャンルから飛び込んだ筆者のような人間は、当時はほぼいなかった。しかも筆者は元々引きこもりのオタクだ。ラグジュアリーとは真逆の世界から来たのだから、当初は面食らったし、今もって慣れていない。

まず指摘されたのは、服装である。元々無一文だったから、着る服なんて持っていない。ネルシャツばかり着ていたら、いくつかのメーカーに「出禁にすんぞ!」と言われた。やむなく最低限の服装は整えるようになったが、次第にネルシャツが黙認されるようになったので、ネルシャツはやめようと腹を決めた。ちなみに、今はジャケットを着ているが、理由は、ネルシャツがトレードマーク扱いされるようになったためである。いつもジャケットを着ていて偉いですねと褒められるが、もはやもう変えるのは面倒くさい。

セイコー台湾でのイベントにて。
写真右が筆者。セイコー台湾でのイベントにて。101でグランドセイコーの魅力を話した。アジアで認知度の高かったグランドセイコーは、今や世界的なブランドに成長を遂げた。

もうひとつは、取材ソースは何だというツッコミだった。原則、メーカーの人より調べるから仕事になるのであって、彼ら、彼女らのほうが情報を持っていたら、筆者の存在意義はないだろう。この件についてはあちこちでやりあったので、一部の人たちはどうも諦めたらしい。最近は言われなくなった。

出版の世界から来たわけではないから、メディアの世界の常識はもちろん、取材のやり方、記事の書き方も分からない。結局、見よう見まねで話を聞き、書くほかなかった。人の取材に同行して、メモの取り方だの、質問の仕方だのを学ぶのである。ただ、一応、心がけてきたことはある。その時計を買いたい人の気持ちに近づくこと、である。

ラグジュアリーの世界にいると、いくら以下の時計は時計じゃない、みたいな物言いをする人に出会う。趣味なら構わないが、仕事としては続かなくなる、と思っている。3000万円の時計に慣れたら、300万円の時計は普通に見えるし、30万円の時計は悪く見えるだろう。逆に、3万円の時計しか持っていない人ならば、30万円、300万円の時計はとてもよく見えるに違いない。モノや経験から得られる印象は、目線をどこに合わせるかで大きく変わってくる。仕事として大切なのは、それを自覚的に調整することだと思っている。

調整に必要なのは、見たもの、買ったものに引きずられないこと、になる。そのため、筆者はあまり時計を買わなくなった。買うべきという意見もあるが、持っている時計で見方が左右されるなら、今のところは、いっそ持たない方が良いと思っている。それに、見たいと思えば、基本的にはどんな時計だって見られるのだ。ただし、良い意味での欲は持ち続けていないと、見方は甘くなる。欲しいというパッションがないと、細部まで見なくなるのだ。ある料理人がこう語っていたのを思い出す。「いい料理を作りたかったら、常におなかをすかせておくこと」。時計が仕事になり、買う買わないで自問自答した筆者はこういう結論に至った。好きで始めた仕事なのだから、居続ける努力をしようと。

結果、買わなくなったのは、いわゆる“いい時計”だった。例えばロレックスである。このメーカーの作る時計は新旧問わず傑出しており、筆者は高く評価してきた。ただ、いい時計を持っても、時計がいっそう好きになるとは限らない。というわけで、ロレックスは手放してしまった。一番ひどい時は、買って3週間ぐらいで売りに行ったと記憶している。「なんで手放したんですか?」と聞かれたら、その答えは「時計として良すぎるから」だ。

好きで居続けることと決めて以降、基本的には好きな時計しか買っていない。結局昔と同じことをやっているだけだが、最近は歯止めが効かなくなったのか、変なモノばかりが増えてきた。1970年代の後半に作られたある時計は、その日のバイオリズムが分かる、というものだった。文字盤にビジネス、ラック、ラブの表示があり、調子が良くなると表示が赤くなる。買ったはいいものの、まったく使い道がない。人にあげようと思ったが、筆者が買った水瓶座に該当する人はあまりいない。結局、引き出しで眠ったままだ。

それと、時計を直して使うようになった結果、時計の部品だけが増えるようになった。筆者は1940年代に作られた、アガシというメーカーの腕時計を持っている。今までにいくつか買い、マトモなのは手放して、残っているのは動かない個体である。完全に直せば素晴らしい価値を持つに違いないが、何しろ部品が集まらない。それに、そもそも何がオリジナルだかさっぱり分からないのである。資料や部品を集めているが、修理するには後10年はかかるだろう。さっさと売れと言われるが、売ったら直す楽しみは半減する。我ながら、何屋を目指しているのかさっぱり分からないが、面白いからいいだろう。

グランドセイコーヒストリカルコレクション「44GS」限定モデル
2013年に発表されたグランドセイコーヒストリカルコレクション「44GS」限定モデル。グランドセイコーが到達したひとつの極北である。現行品はあまり買わないが、これは数少ない例外だった。

もちろん、仕事としてはいい時計を見るようにしている。仕事にして感銘を受けたのは、ロレックスとパテック フィリップ、そしてグランドセイコーだった。前者ふたつは、現行品ならばほぼ無欠であり、後者は年々質を高めている。筆者は、特にグランドセイコーに感銘を受け、そこから日本の時計メーカーにも目を向けるようになった。以前、スイスにグランドセイコーを着けていったところ、何だセイコーかという反応をされたが、最近はちょっと見せてくれと言われるようになった。そういうメーカーが増えると、日本から取材に行っても、良くしてくれるようになる。これが、仕事を始めた15年前と、今との大きな違いだろう。日本バンザイなんて言うつもりはないが、良い物を作り、きちんと発信し続ければ、物は確実に認知されるのである。なぜ良いのかを、丁寧に説明していくことが大事なのだ。

日本の時計産業がラグジュアリーにシフトし、徐々に成功を収めつつある様子を見て、筆者は日本という国自体も、ブランドになれると思うようになった。バブル期に日本はそうなる機会を得たが、しかしお金の使いどころを間違って、今や傾きつつある。しかし、時計メーカーの踏ん張りを見ていると、まだまだやれるのではないか、と思っている。仮に筆者が、今後何かできるとしたら、日本の時計メーカーがラグジュアリーの分野で成功を収めるよう陰ながら手助けしていくこと、だろうか。元引きこもりのオタクにだって、できることはあるのである。

(最終回へと続く)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

1974年、大阪生まれ。時計ジャーナリスト。大学卒業後、外資系メーカーなどでサラリーマンとして働くが、時計ジャーナリズムを生業にすることを目指し退社。キャバクラの客引きなどをしながら糊口を凌ぎつつ、執筆を始める。2017年より高級時計専門誌『クロノス日本版』編集長。ドイツの時計賞「ウォッチスターズ」審査員でもある。趣味は温泉。

イラスト=榎本直哉

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