日経ビジネスオンラインスペシャル

COLUMN2020.07.14

《腕時計》僕の履歴書 - 時計ジャーナリスト 広田 雅将

第6回 “黒文字盤”はアウト。
夜の世界の腕時計事情を知った客引き時代

世の中には二通りの人間が存在する。腕時計を愛する人と、そうでない人だ。どちらが優れているとか、どちらが正しいとか、そういうことは断言できないけれど、前者に関していえば、多くの場合、腕時計との幸福な出会いがあり、長い時間をともに過ごすことによってその愛を育んできたのだと思う。この連載では、そうした腕時計を愛する人にご登場いただき、その腕時計遍歴とともに人生をふりかえる。まず最初の「履歴書」は、日本を代表する時計ジャーナリストのひとりで、現在、高級時計専門誌『クロノス日本版』の編集長を務める広田雅将さん。腕時計に魅入られたその数奇な人生とは。


1位を取って辞めると決めた筆者は、どうやれば客を引けるかを真面目に考えた。役に立ったのは、ITベンチャー時代に覚えさせられたMECE(注:ミーシー。ロジカルシンキングの手法の一つで「漏れなく、ダブりなく」の意)である。数日間試しに客を引き、MECEに従って、引けないボトルネックを細かく分析した。あんなに真面目に考えたのは、後にも先にもなさそうだ。決めた方針は次の通りである。出来るだけお金持ちを引くこと、概算金額をはっきり伝えること、そして「スカ」は引かないこと、である。

いくら3000円で客を呼んでも、延長もしない、指名もしない、女の子にお酒も飲ませない「スカ」では売り上げにならない。1位になるには、お金を落とす客を連れてくるしかないだろう。判断の基準は靴と時計を見るしかない。そしてよれよれの服では誰も話を聞いてくれないから、スーツはちゃんとしたものを着ようと考えた。

そう決めて、上野を歩くオッサンたちを真面目に見るようになった。時計と靴を見れば、その人の懐具合は大体推測できる。お金を持っていそうな客には、安く飲めるとは言わずに、一時間にこれくらい使えば楽しめます、女の子にお酒を飲ませると喜ばれます、税金とサービス料はいくらです、と率直に話をした。ぼられるという不安を解消すれば、お客さんは店に来てくれるのである。ちなみに客引きの出来る場所は店ごとに決まっていて、筆者の働いていたキャバクラでは、そこの電柱からここのマンホールまでだった。この範囲内なら、当時は止まって勧誘してもよかったのである。

筆者とり者―ル・ミル氏
客引き当時の写真がないので、その少しあとの写真を掲載する。インタビューの相手はリシャール・ミル氏。客引きの出身で彼に話を聞いた者は、多分他にいないだろう。

夜の世界で、本当にお金を持っているのは、個性的な遊び時計をしている人たちだった。ものすごく飲むジイサンは、外商に薦められて買ったというブレスレットまで金の、「クレドール」を着けていた。銀座からはけたある客はオーデマピゲの「ロイヤル オーク」を着けていて、これまたものすごくお金を使ってくれた。たまたまITベンチャー時代のお偉いさんを見かけて声をかけたとき、彼はなんとミザーニを着けていた。

一方、そこそこいい時計を自慢する人たちは、総じてお金がなかったと記憶する。それが一張羅なので、飲み代に割けなかったのだろう。会計の際に、そういう人たちを何人も大通りの“金融機関”まで連れて行ったことを覚えている。「チャップリン(当時そういうあだ名だった)、もうちょっとマシな客を捕まえてきて」
店の女の子にはそう怒られた。

客引きの時代には、いろんな人に会った。身なりのいいおじさまに声をかけたところ、後ろにいたふたりの男に制止された。そのおじさまは有名なヤクザだったらしく、彼には声をかけない、というのが暗黙のルールだった。あなたは知らないだけでしょうけど勇気がありますね、と言われたのを覚えている。

一方、半グレは礼儀も知らず、お金も使わない。会計の時にごねて、筆者はシャツを破られたり、殴られたことがある。シャツを破られたときに相手の喜平ネックレスが目に入ったが、これは18Kではなく、ただのメッキだった。残念ながら、どんな時計を着けていたのかは覚えていない。

ちなみにキャバクラの社長は、いつもダイヤ入りで、ブレスレットまで金の時計を着けていた。その店の売れっ子も、やはりダイヤモンド入りの金時計だった。理由を聞いたところ「ゲン担ぎのため、光り物を着けるのだ」とのことだった。そして、黒文字盤の時計は絶対に着けなかった。社長は「水商売の世界では、黒文字盤は金が貯まらないと言われている」と語った。

もっとも、黒文字盤がアウトなのは、水商売の世界だけだったらしい。客引きにも丁寧だった客のひとりに、謎の人物がいた。彼は豪快に飲み、払いになるとクロコダイルのクラッチバッグをおもむろに開けて、無造作に札束を取り出していた。彼がいつも着けていたのは、18KWGケースで黒文字盤の時計だった。黒文字盤ですね、と尋ねたところ、その人物は「あんたねえ、稼げんやつだけが文字盤の色をあれこれ言うのよ」と答えた。

店にはノルマがあり、1日10人引いて、彼らがそこそこお金を落とせば、あとはサボってもお目こぼしをされた。それに、筆者は早い時間に客を引かないようになっていた。夕方の客は割引で来るから、無理に連れて行っても、売り上げにはなりにくい。客引きの効率をいっそう上げるため、筆者は夕方働くのやめ、飲み直しに銀座や六本木から流れてくる客を引くようになったのである。見る基準はいっそう時計と靴だった。あの界隈で、パテック フィリップだの、ロジェ・デュブイだの、フランク・ミュラーだのが分かる客引きは、僕しかいなかったと思う。

ジン「656」
ジン「656」。約8万A/mの耐磁性能と優れた視認性を持つ実用時計。サイズが小ぶりなため普段使いに適していた。

夕方はぶらぶらしていたので、アメ横の時計屋に寄り、ジンの「656」という時計を買った。せめても好きな時計で時間を確認したかったからだ。客引きの時代、いつも腕に巻いていたのはこの時計である。酔った客に蹴られるのは当たり前、しかも、台風が来ても客引きをさせられたのだから、時計は丈夫な方がいい。ミリタリーウォッチの656はぴったりの選択だった。タコ部屋の冷えた布団にこもり、小さな日付表示を眺めつつ、あと何日で辞めるのとカウントするのが、ささやかな楽しみだった。

夜の世界には、どうしようもない人もいるが、立派な人もいる。隣にあったキャバクラの店長は「チャップリン、いっそ店を移って店長代理をやらんか」と言ってくれた。彼はまともなロレックスを腕に巻いていた。もし彼が上司だったら、筆者は夜の世界に留まり、今頃はパテック・フィリップの「グランドコンプリケーション」を自慢していたかもしれぬ。社長も引き留めてくれたが、副店長に使い古したボロボロのコルム「アドミラルズカップ」(この時計自体は素晴らしいのだが何せコンディションがひどい)しかくれない人の下では、一生このままだと思った。「社長、筋は通したから辞めさせてください」と頭を下げ、僕は客引きから足を洗った。最終日に呼んだのは、友人のSである。辞めたあと、店の隣にあった「薄利多賣半兵ヱ」でビールを飲み、絶対この世界には戻ってこないと決めた。

後日談がある。多少食えるようになった後、筆者は上野の飲み屋街を訪れた。隣のキャバクラはまだ営業しており、そこで少しお酒を飲んだ。ダイヤ入りの時計を自慢していたナンバーワンの女の子はアドミラルズカップをもらった副店長と飛び、店もなくなり、社長も消息不明になった、とのことだった。

※現在、客引行為は条例により禁止されています。

(第7回へと続く)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

広田 雅将(ひろた・まさゆき)

1974年、大阪生まれ。時計ジャーナリスト。大学卒業後、外資系メーカーなどでサラリーマンとして働くが、時計ジャーナリズムを生業にすることを目指し退社。キャバクラの客引きなどをしながら糊口を凌ぎつつ、執筆を始める。2017年より高級時計専門誌『クロノス日本版』編集長。ドイツの時計賞「ウォッチスターズ」審査員でもある。趣味は温泉。

イラスト=榎本直哉

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