兵庫県篠山市「集落丸山」に見る農泊の成功法則

消滅寸前の集落を救った古民家宿泊ビジネス

景観地区指定を考えたことがきっかけに

金野幸雄さん
1955年生まれ。兵庫県職員、篠山副市長などを経て、現在は一般社団法人ノオトの代表理事。篠山市役所では、まちづくり、指定管理者制度の仕組みづくり、第三セクターの再編などに関わった。「古民家の宿 集落丸山」、「篠山城下町ホテルNIPPONIA」など、古民家等の歴史的建築物を活用した地域再生事業を進めている。この事業の今後については「最終的には集落で運営して、僕らノオトは一歩下がって協力するスタイルがいいと思っています」と語る(写真:高山和良)

 きっかけは、2008年(平成20年)のこと。当時、篠山市の副市長として景観まちづくりなどに関わっていた金野幸雄さん(一般社団法人ノオト代表理事)がこの丸山地区と出会ったことだった。日本の原風景を思わせる美しい里山の景色と古民家のある集落を景観地区に指定できないかと考えた金野さんは、その後、集落の自治会長だった佐古田直實さん(NPO法人集落丸山代表)と直接話をする。

 金野さんは当時をこう振り返る。「ここは限界集落ですなぁ、と佐古田さんに言ったんです。そしたら、『何を言うてはるんや。消滅集落や』と返された」

 佐古田さんも「あのままでは消滅するだけで、何のすべもなかった。水の流れのごときあきらめの境地で夢も希望も持てなかったんですよ」と頷く。

 佐古田さんから、全12戸のうち7戸が空き家であることと、集落の未来に強烈な危機感を抱いていることを聞かされた金野さんは、景観地区の指定やルールだけではこの地域を守れないと考え、この景観と集落を守るための具体的なプランづくりに向けて動き出した。

 金野さんが打った最初の一手は、集落の住民を巻き込んだワークショップだった。2008年の秋から半年の間に計14回ものワークショップと学習会を重ね、集落の住民たちと一緒に将来へのビジョンと明確な方向性を打ち出した。それは、この集落を、「今も残る日本の暮らしを体験できる場所にする」「空き家を宿泊施設やレストランとして活用する」というものだった。誰かから押し付けられたのではなく、集落の住民たちが自分たちのものとして打ち出したのだ。

佐古田直實さん
1943年生まれ。NPO法人集落丸山の代表を務める。住民側の代表としてこの事業を牽引してきた。「事業が始まった時に10年の期限を切ってもらった。10年という区切りがあったから自分にムチ打てたんですよ。とりあえず10年、後は次の世代に委ねると。無責任とおしかりを受けるかもしれないけれど、今後の発展とかについては私が思い描けないレベルの高い話になると思います。次の世代に委ねられる環境を作って、後は自由に絵を描ける人材が来てほしいというのが私の願望です」と語る(写真:高山和良)

 2009年4月、金野さんを代表理事とする一般社団法人ノオト(以下、ノオト)が設立され、この事業の支援をしていくことになる。同年9月には集落の住民で構成されるNPO法人集落丸山が設立される。この二つの団体でLLP(有限責任事業組合)を作り、「古民家の宿 集落丸山」の事業運営がスタートした。集落側がNPO法人丸山として予約受付や接客サービスなどの実務を受け持ち、ノオトは資金調達やリノベーション、事業戦略・運営などの面からサポートする。

 集落丸山が成功し、注目を集めた理由の一つに、こうした運営方式の妙がある。

 一般的に、集落の住民だけでこうした事業を運営することはきわめて難しい。誰の助けも借りず、ヒト、モノ、カネという事業成功の必要条件を自分たちだけで揃えられないからだ。ノオトと集落は、下の表にあるように、互いの役割を明確に分けて分担した。ノオト側が事業戦略と実務を中心に徹底的にサポートし、外部の専門家のネットワークなども利用し、こうした事業に必要なノウハウやスキルを投入する。集落側はこうした環境の中で、自分たちができる手づくりのサービスに全力で取り組むことができた。

LLPの中で役割分担を明確に分けた
NPO法人集落丸山、住民 一般社団法人ノオト
改修工事 土地建物の無償貸与 工事の委託契約
資金調達 市民ファンドへの出資 補助金の取得
市民ファンドの設立、運営
銀行融資
運営 予約受付、接客サービス イベント企画
顧客情報管理 デザイン管理
情報発信(インターネット等) 外国人観光客の誘致
収益配分 基金造成し、集落マネージメント事業に活用
NPO法人集落丸山と一般社団法人ノオトは有限責任事業組合(LLP)を組み、二人三脚で宿泊事業を運営している(公表されている資料から作成)

ここまでは「予想以上の成功」

 これまでの9年を振り返り、ノオトの金野さんも集落の佐古田さんも、口を揃えて「予想以上の成功」と自己評価する。

 住民のほとんどが宿の運営に参加・協力するようになり、集落に活気が戻った。美しい里山の風景やそこでの農業体験が観光資源になることも改めて証明した。佐古田さんは「始まる前は、集落の住人の中には逃げ出したいという気持ちがどこかにあったけれども、郷土愛を育んでもらえたというか、よそにはないものを自分たちで磨いていこうという気持ちになった。まさに意識改革です」と語る。

 収益面でも、現状では、年間で800人ほどの集客があり、年間の売り上げも2200万円ほどになる。今後は、さらに宿泊棟をもう一棟増やして3棟にして、インバウンドを増やし客単価を上げながら稼働率も上げる。このためにコールセンターの設置など受け入れ体制の整備を図っている。現在は、国内客中心の利用で、3割稼働に上限を設定しているが、今後は、5割稼働を上限として、欧米を中心にインバウンド誘客を進める考えだ。客単価の向上についても「インバウンド誘客と合わせて文化体験プログラムの充実を図り、これを機に客室単価も上げていく考え」(金野さん)と具体的な方策を描いている。当初の計画からは少し遅れているが、2020年には、現在の4倍の売上げ規模となる年間8800万円の売り上げにまで増やす計画だ。

 年間売り上げ実績:@10万円×2棟×365日×30%(稼働率)=2200万円
 2020年売り上げ計画:@16万円×3棟×365日×50%(稼働率)=8800万円

左上:「明かり」の寝室。左下:「ほの穂」の居間。右:ある日の朝食(写真提供:株式会社NOTE)

僥倖を成果へと成就させる要件

 「集落丸山」の成功は、強い危機感を抱いた集落のリーダーと、様々なノウハウとネットワークを持った支援者が出会ったことで生まれた。役割分担を明確に分けて運営するLLPという仕組みを上手に作ったことも大きな成功要件だ。しかし、それだけではない。

 何よりも重要だったのは、金野さんとノオトという外部の専門家が徹底的に地域に寄り添った視線を持っていたことと、集落側の代表でもある佐古田さんが、外部の意見やノウハウを取り入れた柔軟な姿勢を持っていたことだ。

 佐古田さんは金野さんを評して「もし、金野さんが机上論で来られていたのなら、丸山集落はついていってなかった。丸山の良いところも悪いところもよく知った上でご提案をいただいた」と振り返る。当時の金野さんは篠山市の副市長とは言え、集落にとっては部外者だ。しかし、この地域をどうやって守ればいいのか、どうすればエネルギーを注ぎ込めるのかをとことん突きつめて考える部外者、それが金野さんとノオトだった。

 佐古田さんはこうも言う。「大きな集落を見ると、立派なリーダーシップを取っている人がいますけれど、プライドが邪魔をしてか、わしらがやれるという奢りからかよそ者を受け入れません。私らは能がないと自分でわかっています。人に頼らなければいけないという下地がありました」

 佐古田さんの農地に関しての考え方も独特だ。「農地の維持管理というのは景観上の問題と思っています。農地がちゃんと活用されて集落と集落に関わる人が保全していることが何より大事です。集落で暮らすことは根源的には、農地と共にあり、里山と共にあるということなんです」と語る。

 金野さんは佐古田さんのはるか先の未来を見通す目を高く評価する。「佐古田さんは、自分の人生の幅で見ていない。集落の未来のことが頭にあるんです。そういう危機感を持っていたところがすごい」

 「集落丸山」の成功例は、言葉は悪いが、「地域への思いとノウハウを合わせ持った“よそ者”の存在」と、「遠い未来まで見通して、柔軟によそ者の意見をも自らの知恵として取り込む集落側の意思」、この二つがきわめて重要な役割を果たすことを示唆している。

 さらに、里山の景観やのどかな暮らしにとってこそ農地が必要なのだ、という“里山主義”とでも言うような視点を貫いていることもポイントだ。こうした考え方が集落外の人を惹きつけ、集落の活性化の原動力ともなっている。

 金野さんの向く方向も同じだ。「こういうユートピアの作り方があって、それを求めて人が来る。日本中がそうなったらいいというのは非現実的かもしれないけれど、ちゃんとビジネスになりますし、持続可能でもある。そういう社会を作らなくちゃいけないという確信を持っています」