





ひとつは日本が得意とするコメの生産を定着させる、という取り組みです。2008年、穀物危機があった年に日本で第4回アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)が開催されました。
このときにキックオフしたのが、JICAを中心に11の国際協力機関が手を組んで立ち上げた「アフリカ稲作振興のための共同体」通称CARD=Coalition for African Rice Development)です。
目標は2018年までにアフリカの米生産を2007年時点の1400万トンから2800万トンまで倍増すること。アフリカのCARD参加国は23。各国の国家稲作振興戦略づくりを支援し、それぞれの環境を活かしながら、持続可能なコメの増産にむけた支援を続けています。
なぜ、さまざまな穀物の中で、コメが選ばれたのですか?
まず、アフリカ域内で、コメの需給ギャップが拡大し続けていたからです。需要がどんどん伸びているのに、アフリカでの生産が追いついていない。結果、アフリカ域外からの輸入依存が著しい、という状況になっていました。
つまりコメに対する具体的なニーズがアフリカにあったわけですね。
その通りです。アフリカにコメ市場が存在しているわけですから、コメの自給率を上げることは、政府にもメリットがありますし、なにより生産者である農民にメリットがあるわけです。また、技術的に見ても、コメの増産が可能な国がけっこうあることが決め手となりました。
また、稲作を通じて培われる人材や組織の強化が他の作物の生産性の向上にも使える、という点も見逃せません。稲作開発をアフリカ農業の再活性化の入り口にしよう、という提案に、CARDに参加するアフリカ諸国もドナーも賛成してくれました。
私が2009年にウガンダで取材した、アフリカの土地にあった品種ネリカ米の普及事業もCARDの取り組みの一環でしたね。
その通りです。ウガンダでは、陸稲であるネリカ米の普及に尽力すると同時に、低地では小規模で簡易な灌漑技術の普及も行っています。同国では、この2つの事業をあわせて国産米振興計画と呼んでいます。ネリカ米普及事業は、近隣国の同様の栽培環境の地域にも移転され、コメが新たな作物の選択肢となることで、農業の多様化の面でも大きな成果をもたらしました。ウガンダ産のコメは、国境を越えて南スーダンにも供給されたと聞いています。

今回、ケニアで取材したケニア最大の米作地帯、ムエアの灌漑整備事業や、インディカ米とネリカ米の二毛作体制の確立もCARDの一環ですね。
はい。
ケニアの米作のルポルタージュは、このあと章を改めて、たっぷり紹介いたします。読者のみなさん、楽しみにしていてください(笑)
私も楽しみです(笑)
実際にCARDの取り組みはアフリカ全体でのコメの増産につながっているんですか? 私の二度に渡る取材の実感としては、確実にアフリカの各地に稲作が浸透しつつあるなあ、という感じを受けたのですが。庶民がアフリカ伝統の主食である、でんぷん質を練ってつくった「ウガリ」だけじゃなくて、お米を炊いて料理を作っている場にも何度が居合わせましたし。
ええ。実際にCARD第一グループである12カ国(ケニア、ウガンダ、モザンビーク、マリ、タンザニア、シエラレオネ、マリ、マダガスカル、ナイジェリア、セネガル、ギニア、ガーナ)では、基準年である1196万トンから3年後の2010年には1564万トンと30%の増産を達成しています。
CARDは稲作、米にターゲットを絞った活動ですね。アフリカの穀物増産について、日本の国際協力は、他にはどんなものがありますか?

たとえばケニアでは、商業作物、園芸作物をよりマーケティング志向でつくって行くための活動支援を小規模園芸農民組織強化計画プロジェクト(SHEP)という枠組みで行っています。
商業作物といえば、ケニアは紅茶が世界一の輸出量を誇っていますね。園芸作物といえば切り花です。なんといってもバラは隠れた有力輸出産品ですね。ヨーロッパへの輸出が大半ですが、日本の花屋さんで見かけるバラの切り花も、実は相当数がケニア産。私も今回の取材で、ショッピングモールや市場でたくさんのバラの切り花を見かけました。

コメなどの穀類の生産はアフリカにとって自らの生命線になりますが、外貨獲得手段として、つまり産業として注目すべきは、紅茶や切り花などの商業作物、園芸作物の増産なんですね。農民が現金収入を得ることができ、また世界的に見ても、競争力のある商品ですから。そこで、JICAを中心に、ケニアの農家により市場に対応した作物づくりの指導や、女性たちの就業支援などを行っている最中です。
コメ以外の主食となる穀類の生産支援は、どのように展開されているのでしょうか?
モザンビークで進められている、日本とブラジルの共同事業「プロサバンナ事業」が代表事例ですね。モザンビークでは、農業の社会的位置づけが大きく変わろうとしており、穀物の自給体制確立のための対応策として、この事業がスタートしました。
こちらも、今回モザンビークの現地でたっぷり取材してきました。道なき道を9時間車で走り続けたため、体中が痛くなりましたが(笑)。
そもそも1970年代に、ブラジルに対して日本が351億円の海外投融資をはじめ、無償資金協力及び技術協力を通じ、熱帯のセラード地方という荒地を、トウモロコシや大豆の大穀倉地帯に変える転機となった、30年近く続けられた農業開発プロジェクトがありました。その結果、ブラジルは、大豆の輸出量が世界一、トウモロコシが第3位という、一大穀物王国に変身しました。
そこで今度は、一時は世界最貧国のひとつだったモザンビークの農業開発に、日本とブラジルがタッグを組んで協力していこう、というのが「プロサバンナ事業」です。
ブラジルで行った国際協力が、今度は当のブラジルを巻き込んで、モザンビークで花開く、というわけですね。
なぜ日本がブラジルを巻き込んだのか。理由はいくつかあります。
まず、ブラジル自身が2000年代に入りアフリカの開発への支援を考え始めていた、ということがあります。
また、日本とブラジルがセラードで実現した農業開発の経験がある程度活かせるのではないか、という発想も、もちろんありました。
ブラジルと21世紀のモザンビークとでは政治状況や社会状況が異なるため、何もかもそっくりそのまま同じやり方が通じるわけはありませんが、モザンビークの北部地域とブラジルのセラードは農業をとりまく環境に共通点がありました。緯度がほぼ同じで、気候も雨期と乾期がある熱帯サバンナ気候でよく似ています。ということは、大豆やトウモロコシなど同じような作物を育てた時に、生産性が見込めるだろう、と考えたわけです。
何より、日本とブラジルの双方に、困難だったセラードの開発を成功させた、という自信と信頼関係があったことが大きいですね。ブラジルとモザンビークはお互い公用語がポルトガル語ですから、意志の疎通も滞る心配がないだろう、ということも念頭にありました。
モザンビークのプロサバンナ事業についても、章を改めて詳細にルポルタージュいたします。ご期待下さい。