高学歴女子が東京の市街地で農業を始める理由

生産緑地の貸借が可能となり、新時代を迎えた「都市農業」

市街化区域内の都市農地(生産緑地)の貸借による新規就農者第1号が都内で誕生した。東京大学卒の27歳の女性、川名桂さんだ。昨年9月1日から新法「都市農地貸借円滑化法」が施行されたことにより、市街化地域にある生産緑地を借りて新規就農することが可能になったことが背景にある。新法は都市部における農業への新規参入を後押しする効果を期待されているが、川名さんはどのような理由で農業生産者となることを決意し、どのような農業を目指すのか? 話を聞いた。

生産緑地を借りて農業を営む「第1号」

川名桂(かわな・けい)さん
1991年生まれ。生まれてすぐに米ニューヨークに引っ越し、7歳からはオランダのアムステルダム郊外で育つ。小学校高学年で帰国、埼玉県所沢市で暮らした後、15歳から父親の故郷である東京都日野市に住む。2014年に東京大学農学部を卒業した後、農業法人などに勤務。その後、一般社団法人・東京都農業会議のサポートを得て、自ら農地を借りて営農する道を試行錯誤する。2019年3月、日野市在住の農家と30年にわたる農地の貸借契約を結び、生産緑地を借りて農業を営む全国初の新規就農者となった。

 まず川名桂さんの話を紹介する前に、川名さんが生産緑地を借りて新規就農者となった背景である「都市農地」をめぐる近年の動きを整理しておこう。

 これまでは農地の制度上、新規就農希望者が市街地の中にある生産緑地を借りて新たな農業の担い手になることは事実上できなかった。だが昨年、新法が施行されたことにより、新規に就農する意欲を持つ人が都市農地を借りて農業を始められる道が開けた。

「生産緑地」と「都市農地貸借円滑化法」について

 生産緑地制度は、1974年、都市部に農地を残す目的で導入された(現行制度による生産緑地の指定は1992年から)。農地の所有者が30年にわたり営農継続することと引き換えに、農地並みの固定資産税や、相続税の納税猶予などの措置を認めた。だが、生産緑地を他者に貸すと納税猶予の措置が使えないほか、農地法の規定により借り手が営農継続を希望すると農地が返却されないおそれがあった。このため都市農地を他者に貸すことは事実上困難だった。

 こうした状況を背景に「都市農地貸借円滑化法」が制定され、昨年9月に施行された。この法律により、農家が生産緑地を他者に貸してもこれまで通り税猶予を引き続き適用することが可能となったほか、契約による期限が到来すれば農地が返却されることが担保された。同法の施行により、農家が生産緑地を貸し出すことが始まり、農地の宅地化が抑制されたり、新規就農希望者の参入による都市農業の活性化につながったりすることが期待されている。

 この新法(都市農地貸借円滑化法)を活用して、東京都日野市の生産緑地を借りて新規就農したのが、同市在住の川名桂さんだ。生産緑地制度が始まって以来、農家の世帯員以外が生産緑地を借りて新規就農するのは全国でも初めてだという。

 川名さんは東京大学農学部を卒業後、約3年間農業法人に勤務し、トマトの大規模ハウス栽培に携わったり、野菜の流通を担当したりするなど農業関連の幅広い業務を経験した。その後、「大切な農産物を、お客さんとの距離が近いところで売りたい」という思いを抱き、農業法人を退職。できるだけ消費地に近い市街地で農業をしたいと考え、そのための道を模索してきた。では、川名さん自らの言葉で、これまでの経緯や就農への思いを語ってもらおう。


川名さんの畑の最寄り駅近くで話を聞いた(写真:都築雅人)

「こんなおいしいトマトはないから食べてみて」

川名さんは、東大農学部を卒業してから農業法人に勤務されていたのですよね。

川名:大学時代に農学部の国際開発農学専修というコースを選択し、発展途上国を環境にも配慮した開発手段によって支援したり、農業に最先端のICT(情報通信技術)を取り込んだりといった手法を学んでいました。実際に大学のプログラムの一環で、途上国の農村地帯にホームステイする機会もあり、そうした体験を踏まえて「農業こそが人間が生きて行く上での基本なんだ」という思いと、「農業を通じて社会を少しでも良くしたい」という思いが膨らんでいきました。

 このため、実際に農業に携わる道に進むことを決め、2014年に新卒で農業法人に就職。その農業法人は多様な農業ビジネスを手掛けており、そこで様々な業務に携わらせていただきました。その一環で、福井県でトマトをハウスで生産する事業の立ち上げに携わり、徹底してトマト栽培の基本を学んだことが、今の自分につながっています。

 手塩にかけたトマトがお客さんやお店の人が喜んでくれるのが本当にうれしかった。小売店のポップに「こんなにおいしいトマトはないから食べてみて」などと書いてもらったことが強く心に残っています。自分の作ったものをおいしいと言われることがやはり、一番の励みでした。