ニッポンの「酒」を支える東京農業大学のチカラ

蔵元の5割以上に卒業生が活躍

同じ業界で刺激し合い、教え合う文化が蔵元杜氏ブームを生んだ

 戦後の高度経済成長期は生活にゆとりも生まれ、酒類の消費量も上がっていった。ビールも急速に伸びた。70年代には国鉄が個人旅行拡大を図った“ディスカバー・ジャパン”キャンペーンとともに地方の地酒が注目され、「越乃寒梅」などの地酒ブームが起き、バブルに向かっていく80年代後半には、米を60%以下に削り低温長期発酵させた吟醸酒が人気となった。

 とはいえ、ワインや焼酎などし好品の幅は広がり、昭和48年度(1973)をピークに清酒の製造数量は減少を続けた。そこに追い打ちをかけたのが、杜氏の高齢化だ。

 かつて大きな農業地域に杜氏集団が多かったのは、冬に仕込む酒蔵は、農閑期の仕事場だったから。しかし、日本全体が豊かになるにつれ、家を半年開ける仕事への抵抗や働き方の変化で杜氏は減少していった。

 「当時、トップレベルの杜氏は一流プレーヤー並みの報酬になっていましたが、さらに杜氏が減れば奪い合いになり、引き留めるための人件費は経営がひっ迫することもあり得る状況だったのです」(穂坂さん)。

 東京農業大学が醸造を知る蔵元を育ててきたことが、ここで生きる。蔵元杜氏、いわばCEO兼CTOの誕生だ。火付け役となったのが、「十四代」の高木酒造。「杜氏が高齢で引退することになり、現場の経験はなかった現・社長の髙木顕統くんが、先代から任され試行錯誤しながら生み出したのが芳醇旨口という新風です」。

 若くても情熱があれば作れるという髙木さんの姿は、若手蔵元たちの勇気や刺激になった。「うちの卒業生を中心に、自分の蔵ならではの酒造りへの動きが高まりました。もともと東京農業大学醸造科学科は、新しい商品ができると意見を求めに行ったり、つくり方で疑問がわけば問い合わせたり、知り合いの知り合いを紹介してもらったり、その橋渡しに我々教員を使ったりね。そういったことが当たり前に行われていましたから」(穂坂さん)

実学を通じたネットワークで、一代おきの恩返しをつないでいく

 そのつながりの強さはどこから生まれるのか。

 答えの1つが、東京農業大学の「実学主義」にある。東京農業大学には、現在6学部、23学科あるが、全学を通じて伝統的に実学を重んじ、講義での学びだけでなく、身を持って体験する実験実習を行ってきた。醸造科学科でも、醸造科として発足した初年度から、蔵元での現地実習が行われてきている。製造現場に出向いて寝泊まりし、醸造技術だけでなく社会生活そのものを学ぶ。実学を通して生まれた様々な人との“顔がわかる人間関係”が縦横に広がり、知り合いの知り合いをたどれるネットワークをつくっているのだ。

麹用の蒸米を冷却。醸造科学科でも「実学主義」に基づいた実習風景が行われている(写真提供:東京農業大学)

 しかし、同じ業界内、言わばライバル間で躊躇なく聞き合えるのはなぜか。その答えを教えてくれたのは出羽桜酒造四代目にして社長の仲野益美さんだ。益美さんの父、三代目の清次郎さんも東京農業大学で醸造学を学んだ。