2018年の日本酒の総輸出額は222億円。9年連続で過去最高を更新したが、日本酒生産量の4%に過ぎない。日本酒造組合中央会で海外戦略委員長も務める仲野さんは、「フランスのワインは、全体の40%弱が海外に輸出されていることを考えると、日本酒の海外輸出はまだまだ伸びしろが大きい」という。今後、海外での消費を伸ばしていくためにも東京農業大学のネットワークの活用が期待されるところだ。
例えば、日本酒の品質を保持するために、業界では輸送時は5℃帯を推奨しているが、一企業で温度管理輸送するのは負担が大きく、コンテナに見合うロットを積み込めば輸送のサイクルも長くなってしまう。そこで、複数の蔵元で混載すれば、少数ロットで輸送サイクルが短い「いい状態」の出荷が可能になる。東京農業大学の日本全国に広がる醸造家たちのつながりは、そうしたことをまとめるためのキーにもなり得るのだ。
出羽桜酒造の仲野社長をはじめ、先輩や大学の同期に「日ごろから何かにつけて教えてもらい、助けられている」というのは南部美人の久慈浩介さんだ。
「新しく麹室を作るときには、「出羽桜」の仲野社長や「十四代」の高木社長などに見せてもらったり、瓶詰め蔵を建てる時には「天山」の七田社長に見せてもらったりしました。みなさんがご自身の経験から、使い勝手や改良点などを助言してくださるんです。大学で得た最大のものは、知識や技術よりも、同期の仲間や先輩・後輩のつながりです。卒業して数十年経っていながら、大学のネットワークで仕事ができる業界はそうはないでしょう」と胸を張る。

南部美人は、1997年から本格的に海外展開を始め、2017年度には農林水産省による「輸出に取り組む優良事業者表彰」を受けている。しかし 市場開拓を始めたばかりのころは、防腐剤が入っているのではないかと言われたり、余ったお酒を持ってくるなと門前払いされたり、海外で販売される日本酒はおいしくないと評する現地駐在の日本人の評価と向きあうことも少なくなかった。
「苦しい時期を切り抜けられたのは、「出羽鶴」「刈穂」の伊藤くんや「天山」の七田くん、「天吹」の木下くんや「雅山流」の新藤くんなど、大学の同期たち、一緒に取り組む仲間がいたからです。そうやって新市場を生み出すことは、実は先輩蔵元たちが僕たちを引っ張ってやって見せてくれたこと。今度は自分たちが次につないでいくだけだと思っています」(久慈さん)
戦後の1950年代ごろまでは地場の蔵元が作った酒は、地元だけで消費していた。大量消費時代には大手酒造メーカーに原酒のまま桶売りした時代があった。1970年代になると、酒造りにかかわる多くの先輩たちが、米の違いや酵母の違い、仕込みの違いを際立たせて自己銘柄を、地酒というジャンルの全国区に育てていった。今、久慈さんたち世代が取り組むのは、世界で飲まれる地酒にすることだ。