池上彰と知る ウクライナと世界の未来と私たち powered by JICA

ロシアによるウクライナ侵攻は、国際社会に突きつけられた新たな課題です。今、私たちには何ができるのでしょうか。

池上彰
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「被災地のありのままを見せる」支援

「被災地のありのままを見せる」支援

あぐりあ』は福島さくら農業協同組合(JA福島さくら)が運営する直売所です。2021年にオープンした明るい店内には、この日の朝に採れたばかりの野菜や旬の果物の他、お米やお酒、さらには海産物まで並んでいます。

視察団が訪れた福島県のJA福島さくら管轄エリア

JA福島さくらは、2016年に県内の5つのJAが統合されて誕生した組織で、西は郡山から、東は浜通りと呼ばれる太平洋沿岸地域までをカバーしています。震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響で住民が長期間の避難を余儀なくされた浪江町、双葉町、大熊町もエリアに含まれています。

JA(農業協同組合)は、組合員である農家に対し、日々の営農のための技術指導をしたり資材の共同購入を取りまとめたり、機材購入の際に必要な資金融資を行ったりする組織です。また、農家が育てた作物を集めて管理し出荷したり、はたまた、この『あぐりあ』のような直売所を運営したりと、販売面での支援も行っています。

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JA福島さくらが運営する直売所『あぐりあ』を訪れた視察団。初めて見る直売所に興味津々(写真:窪徳健作)

JAのような組織はウクライナにはありませんから、こうしたJAの役割は言葉だけで説明してもなかなか理解してもらえないでしょう。視察をしてもらったのはそれが理由です。

視察団は、ウクライナでは短いきゅうりがこちらでは長いことに驚いています。また、じゃがいもやトマトが小分けされ、袋詰めされているのが不思議なようです。過剰包装だと感じるのかもしれません。しかし、こうして小分けにし、生産者別に管理・販売することで、利益が確実に生産者に入る、それが励みになるという仕組みの説明を受け、納得したようでした。

JA福島さくら代表理事専務の栁沼智さん、復興専任理事の高野順さんに話を聞きました。


栁沼さんと高野さん
JA福島さくら代表理事専務の栁沼智さん(左、復興専任理事の高野順さん(右)(写真:窪徳健作)
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野菜に生産者の名前を付けたり、有機栽培であることをPOPで示したりするなど、販売力を高める工夫が視察団には新鮮だった(写真:窪徳健作)

池上:視察でどんなことを見て、知ってほしいですか。

栁沼理事:原発事故からの復興という点では、ウクライナの方が取り組みが進んでいますし、農業の能力も技術も、ウクライナの方が高いと感じています。ですから視察では、今回の戦争からどう復興するかの参考にしてもらえればと思いました。私たちがウクライナに直接、人的、経済的な支援をするのは難しいのですが、情熱を持って復興に取り組んできた姿勢と気持ちを伝えたいです。

池上:東日本大震災後、最大の困難は何でしたか。

栁沼理事:郡山地区は放射能被害はなく、風評被害だけでしたが、当たり前が当たり前でなくなったことが一番つらかったです。野菜の売り上げは比較的早く例年並みに戻りましたが、米や牛肉の回復にはまだ時間がかかっています。

高野理事:(JA福島さくらの管轄地域内でもある)私の地元の浪江町は、今も放射能で汚染された土地が残っています。避難者の多くは避難先で家を建て、そこで仕事も得ています。継続が必要な農業が途切れてしまい、水稲の作付面積はかつての5000haから1200haにまで減ってしまいました。しかし私たちは協同の組織ですから、地域で心を通じあわせて、若い人が魅力を感じるような営農をつくりあげていきたいです。


郡山市産業観光部次長の箭内(やない)勝則さんにも伺います。箭内さんは以前、農林部農業振興課で農業復興に向き合っていました。


箭内さん
郡山市産業観光部次長の箭内勝則さんと(写真:窪徳健作)

池上:郡山の何を見てほしいですか。

箭内次長:ありのままを見てほしいと思います。当時は先が見えないまま復興に向けた取り組みを続け、まさか10年ほどでここまで戻れるとは思っていませんでした。質問もたくさんしていただいていますし、ウクライナも必ず復興すると思います。郡山市の現状を参考にしてもらえることは、私たちにとっても励みになります。

池上:郡山市としてはどのような支援ができそうですか。

箭内次長:まずは応援したいです。そして、放射性物質検査など、緊急時にどのようなことをしたらいいか、市民に直結する体制の構築を示せると思います。ぜひ、私たちの取り組みを参考に、ウクライナバージョンの復興計画を作っていただきたいです。


箭内さんが言うように、ありのままを見てもらうことで、私たちには当たり前になっている、日本の設備や技術、仕組みのよさ・強みを視察団の皆さんから改めて教えてもらったような気がします。

そして、視察団を受け入れた福島で農業に携わる人たちが口にした、情熱、心、励み、応援。こうした言葉からは、テクノロジーやシステムの枠には収まらないものを感じました。日本とウクライナとでは土壌が違います。気候も違います。しかし、困難の中にあっても農業をやめたくないという思いは同じなのです。

視察団団長のオルハ・パジニッチ農業政策省農業資源管理部長も、視察の先々で復興にかける人たちの胆力に感銘を受けたようです。灌漑や農地の管理・改良をミッションとするパジニッチさんは、郡山市での視察を終えたところでインタビューに応じてくれました。


池上:国土の30%が地雷などに汚染されていると聞いています。農地はどのような状態でしょうか。

パジニッチ農業資源管理部長:農地も汚染されています。農作物も傷めつけられ、農機具も多くが破壊されました。被害は日を追って拡大しています。小麦の作付けは、侵攻前より35%減少しています。

池上:ロシア軍によって南部にあるカホウカ水力発電所のダムが破壊されました。農地にも大きな影響がありますね。

パジニッチ農業資源管理部長:農業用水、作物や種子を失いました。被害状況は把握しきれていませんが、金額的には20億ドルほどと見込まれます。水路を通して、地雷が農地に流されてきていることも懸念しています。

池上:旧ソ連時代にはコルホーズ、ソホーズ、つまり国営農場や集団農場といった集団農業が実践されていました。名残はありますか。

パジニッチさん
視察団団長のオルハ・パジニッチ農業政策省農業資源管理部長(写真:窪徳健作)

パジニッチ農業資源管理部長:農地は当時の従業員に分配されました。居住地によって異なりますが、おおよそ1人あたり2~5haほどです。ただ、農地を手に入れても農機具がそろっていなかったので、新たに農業組織を立ち上げる人、また、自分では農業をせずに農地を貸し出す農家もいました。このときに多くの土地を借りることができた農家は、現在、大規模な営農をしています。
最近、ウクライナ人による農地の売買が自由化されました。水の利用に関する法律も新たに制定されました。日本では農業に関する法律はどのようにつくられ、施行されるのかといった農政に関心を持っています。小規模な農家を束ねる組織についてもです。今のところウクライナでは、小規模農家はビジネス化されていないからです。

池上:日本にどのような支援を期待していますか。

パジニッチ農業資源管理部長:災害を乗り越えようとする力に感銘を受けました。日本がこれまでどのような復興を遂げてきたのかを学び、ウクライナでの施策に反映させたいと思っています。
今日は灌漑施設を視察しましたが、スマートフォンで水路の状況が把握できるシステムに感心しました。私たちも新しい技術を導入しながら復興していきたいと考えています。日本は技術立国です。私も子供の頃から日本製に憧れていました。日本のどのような技術に対しても興味を持っています。
日本の皆さんの親切な対応に感謝しています。ウクライナも原発事故を経験しており、日本の皆さんの気持ちを理解しているつもりです。今も帰るべき場所に帰れずにいらっしゃる人たちのことを思うと心が痛みます。


この戦争はまだ続きそうです。戦後もまた、長く続くでしょう。息の長い支援が必要です。長い支援は、付け焼き刃ではできません。すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなると言われます。
長く役立つ支援は、これまで積み重ねてきた支援の歴史、そして、私たち自身の復興の経験の上にこそ成り立つのです。

次回公開の第3章では、ロシアによるウクライナ侵攻が世界に与えた影響と、国際社会で存在感を増してきたいわゆる“グローバル・サウス“を取り上げます。