Vol.20DX
知られざる「異業種からの転身」
グローバル企業に成長したベトナムFPTが
たどった成功の軌跡とは
ベトナムICTのリーディングカンパニーのFPTコーポレーション。いまや売上高10億ドルを超える企業に成長した同社だが、1988年の創業からここまでに至る道のりは平たんなものではなかった。かつて最貧国の1つだったベトナムにおいて、多くの困難を乗り越えて成長を遂げたFPTの歴史をひもとく。
会長
チュオン・ザー・ビン 氏
1975年のベトナム戦争の終結後、ベトナム経済は危機的な状況に陥った。当時のベトナムは世界最貧国の1つで、食料や衣服の不足、水道をはじめとしたインフラの不備など、多くの問題があった。
そうした状況において、若き日のチュオン・ザー・ビンFPTコーポレーション会長はロシアに渡った。「留学生としてロシアに行き、博士号を取得した後に、ロシア科学アカデミーで働いた」(ビン会長)。ビン会長と同じように、多くの若者が留学生として国外に出たという。
当時のベトナムの首都ハノイとロシアの首都モスクワでは、「平均所得が1000倍違った」(ビン会長)。モスクワには十分な食料や電気があり、トラムやバスといった公共交通機関も整っていた。ビン会長はベトナムとの大きな違いを感じたという。
社会主義国であるベトナムは当時、個人の事業を禁止していた。しかし経済が困難な状況に陥るなかで、国民の間に起業家精神が広がり、商売を始める人が増え始めた。そうした動きが国の経済発展につながったため、ベトナム政府も市場経済の導入を決める。1986年の「ドイモイ政策」だ。これ以降規制が解除され、人々が広く商売を展開するようになった。
市場経済はスタートしたものの、すぐに国民の生活が豊かになる訳ではなく、生活に困窮する人がまだまだ多かった。ビン会長がFPTの設立を決めたのはそんな時だった。「友人から、『この国の経済は悲惨だ、何とかして家族を救ってもらえないか』と助けを求められたのです」(ビン会長)。
ビン会長は事業を始めることを決意し、国立科学研究所に会社設立の許可を求めた。しかし、その時は使命感にかられて動いていただけであり、どのような事業を始めるかは全く考えていなかったという。ビン会長は、「どんな製品を作るのかと聞かれ、未定だと答えた」と振り返る。
すると、食品加工業への参入を提案された。もちろん食品加工に対する知見は全くなかったが、「会社設立は生活のために必要だったので、提案に同意した」(ビン会長)。
IBMのパートナーになり、事業が急成長
1990年代に入るとドイモイ政策の効果が表れ、ベトナム経済が急激な成長を始めた。国民の所得は急増し、GDP(国民総生産)も数倍に伸びた。
1994年に米国が貿易禁輸を解除すると、貿易と投資も大きく増えた。観光客がベトナムを訪れるようになり、多くの技術系企業がベトナムに進出した。ビン会長は「海外から多くの調査団が事業の機会を探りにきた」と振り返る。
そのうちの1社が米IBMだ。ビン会長は「IBMはFPTの命運を左右する存在となった」と語る。当時のFPTは食品加工業から業態を転換し、科学技術ビジネスを開始していた。しかしまだ知識やノウハウが乏しく、手探りの状況だったという。
IBMはベトナムで事業を始めるに当たり、パートナーとなる企業を探し、複数の企業にコンタクトを取っていた。IBMがコンタクトした相手企業にたずねていたのが、「壊れたIBMのプリンターを修理できるかということだった」(ビン会長)。
ほかのベトナム企業が「難しい」と返答する中、FPTのある社員は「10分待ってくれ」と答え、作業に取り掛かったという。その社員はプリンターに関する知識などは全く持っていなかったものの、何とか修理に成功した。これがきっかけとなり、FPTはIBMのパートナーになった。
このパートナーシップをきっかけに、FPTは急成長を果たす。その後、他の米IT大手との取引も拡大した。
米国進出果たすもITバブル崩壊により撤退
FPTは1998年、北部最大の港湾都市であるハイフォンで会議を開き、ビン会長が世界進出を決めた。
その当時、FPTはベトナムのIT業界でトップに立ったところだった。しかし、1997年のアジア通貨危機の影響で通貨安が起き、FPTのような製品の輸入を手掛けていた企業の業績に悪影響を及ぼしていた。そこで世界に打って出ることを決めたのだ。
FPTがまず進出したのは米国だった。FPTが進出を決めた1999年当時の米国はITバブルの真っただ中であり、市場においてIT関連株が高い比重を占めていた。そのため、極めて良いタイミングの米国進出に思われた。
しかし、すぐに状況が変わる。米連邦準備理事会(FRB)が利上げした影響で、2000年秋にITバブルが崩壊する。FPTコーポレーションの子会社FPTソフトウェアのファム・ミン・トゥアン代表取締役社長(CEO)は、「事業をスタートしたばかりで提携先を獲得できず、資金もすぐに底をついた。米国で事業を続けることは困難と判断した」と打ち明ける。
こうして、FPTとして初めての海外進出は、すぐに終わりを迎えてしまった。
海外展開成功の基盤となった日立との提携
代表取締役社長(CEO)
ファム・ミン・トゥアン 氏
しかしFPTは海外進出を諦めなかった。次にFPTが目を向けたのが日本だ。FPTソフトウェアのグエン・カイ・ホアン最高財務責任者(CFO)兼最高執行責任者(COO)は「ベトナム人と日本人は、顔つきや振る舞い、宗教も似ている」とし、「日本人は忍耐強いので、世界戦略は日本から進めるべきだと考えた」と続ける。
FPTは日本進出を見据え、日本語とビジネスマナーの習得に注力した。そして2001年から、日本での提携先探しをスタートした。しかし、これもスムーズには進まなかったという。
なかなか成果が得られない中で、「いちかばちかで大企業へのプレゼンテーションも試みた」(トゥアンCEO)。そのうちの1社が日立製作所だった。日立へのプレゼンではベトナムやFPTの紹介に加え、今後の日本市場における戦略を説明した。
プレゼンが終わった後、日立担当者からは「特に質問もなく、薄い反応だったと感じた。これは難しいと諦めの気持ちが湧いた」(トゥアンCEO)。しかし、夕方の懇親会で採用を伝えられ「本当に驚いた」(同)。
トゥアンCEOはそれから10年後、当時の日立の担当者と再会した際、なぜ採用を決めてくれたのかをたずねた。それに対し、「FPTのスピリットや若いメンバーのチームワークに感銘を受けたからだと答えてくれた」(トゥアンCEO)という。
FPTは日立との提携後も、日本IBMやニッセンなど、日本進出から3年間で多くの大手日本企業との提携に成功した。日立とはその後も良好な関係が続いており、2011年にパートナーシップを強化し、ITサービス分野での提携に加えて研究開発、製品やソリューション開発に共同で取り組むようになった。
こうして東アジアでの市場拡大の基盤を構築したFPTは海外進出を強化し、30以上の国でビジネスを成長させることに成功した。
コロナ禍の苦境も成長の糧に
海外進出の成功によって順調にビジネスを拡大していったFPTだったが、それに伴ってIT人材の不足が課題になった。FPTソフトウェアのチュー・ティ・タン・ハ取締役会長は「新人の採用が困難だったため、人材の確保と研修のための新たな取り組みが必要な状況だった」と話す。
そこでFPTが実行したのが大学の設立だった。ベトナムや東南アジア諸国連合(ASEAN)の学生へのIT教育を目的に、2006年にFPT大学を設立した。ハ会長は「成績上位3割の優秀な学生にFPTソフトウェアでインターンさせている。この経験により、国外でもすぐに活躍できる人材が育っている」と胸を張る。
取締役会長
チュー・ティ・タン・ハ 氏
人材の育成策が機能し、FPTはその後も順調な成長を遂げる。これまで様々な困難が立ちはだかったものの、一つひとつ乗り越えてきた。
2011年に日本で起きた東日本大震災もその1つだ。震災後の混乱の中、FPTは顧客の日本企業の業務が中断しないよう、すぐにオンサイトサポートを提供した。
近年は新型コロナウイルスの流行の影響で苦境に立ったが、その経験すら成長の糧にした。
ハ会長は「世界中の多くの企業から生産システムの変更要求があり、対応に苦慮したが、何とかリソースを整え、対応を成功させることができた」と語る。その成功が評判を呼び、新たに多くのプロジェクトを獲得することにつながったという。
コロナ禍において事業継続のために、一時は1300人の有志の社員がFPTの施設に泊まり込んだという。FPT側もその頑張りに応えるため、食事やシャワーなど、日常生活に必要な環境を整えて提供した。平常時は100席以上が並ぶ大型の会議室を、寝室として利用するなどした。
FPTは、コロナ禍において新たな社会貢献の取り組みもスタートした。新型コロナウイルスによって親を失った子どものため、ハノイに「ホープスクール(希望の学校)」を開校したのだ。
FPTコーポレーションのビン会長は「テレビ番組を見ていて、新型コロナウイルスによって親を失った1700人の孤児がいることを知り、彼らを助けたいと思ってホープスクールを作った」と語り、「私の希望は、ホープスクールの卒業生がFPTの会長になることだ」と続ける。
コロナ禍では日本においても様々な対応を採った。例えば、日本国内にいる従業員とその家族、顧客、パートナーのために移動のための飛行機を用意したり、従業員とその家族にコロナワクチンを提供したりした。
AIや半導体に投資し、
さらなる成長を目指す
現在のベトナムは経済が大きく成長し、1988年のFPTの設立時に比べ、GDPは1910%増加した。
FPTはさらなる成長を求め、新分野への投資を続けている。FPTソフトウェアのハ会長は、「今後はAI(人工知能)、半導体、自動車関連事業に重点的に投資する」と展望を語る。
ベトナムには現在100万人のIT技術者がおり、そのうちの50万人はソフト開発者だという。FPTコーポレーションのビン会長は「ベトナムのソフト開発者は、今後重要性が増すAIや半導体の分野でも活躍してくれるはずだ。多くのリソースを武器に、国外にもどんどんサービスを提供したい」と意気込む。
日本においては米NVIDIA(エヌビディア)と協業し、AI処理に特化したHPC(ハイ・パフォーマンス・コンピューティング)サービスを開始した。エヌビディアのGPU「H200」やAIソフトウエア群「AI Enterprise」といった製品を日本国内のデータセンターに導入し、生成AIを活用したソフトや、大量データを扱うソフトを効率よく開発できるようにした。
このほか日本市場ではレガシーモダナイゼーションやITベンダーのM&Aなどに力を注ぐ計画だ。日本語ができるIT人材の育成や雇用を強化し、日本市場向けのリソースもさらに拡大していく方針だ。
DXアクセラレート2024、
デジタル活用の勘所

