富士通株式会社
産業ビジネス本部オートモーティブ事業推進統括部グローバルビジネス部
市來南海子さん

富士通に勤務する市來南海子さんは、国際協力の仕事がしたいと思って、APUの門をたたきました。世界中の国から留学生が集まるAPUのネットワークは、すぐにリアルな国際協力の舞台を与えてくれました。ミッションは、タイの貧しい村で住民主体による学校教育の機会創出・教育環境向上をサポートすること。NGO活動にまい進した彼女は、しかし就職するにあたって、あえて民間企業を選びます。なぜ、NGOや国際機関ではなく、企業で働く道を選んだのか?市來さんならではの、リアルな「国際協力」観がありました。
2013年に入社して、現在は新興国の自動車ビジネスに携わっています。担当はASEAN。ASEAN地域の海外拠点での自動車関連ビジネスのための市場調査を行ったり、現地のスタッフと連携して、ビジネスの計画を立て、営業活動をしています。
富士通がなぜ自動車、と思われるかもしれませんが、自動車関連のお客様の業務(設計/開発、生産、販売、サービス等)を支えるシステムをグローバルに最適化することは各社の大きな課題ですし、現在、自動車関連へのIT(情報技術)活用は急速に進んでおり、自動運転やつながる車(車のインターネット化)は注目の的です。私たちICT分野の企業の出番が実はとても多いんです。
実は、もともと国際協力の世界で働こうと思っていたんです。
いつからかというと高校時代から。出身は東京で、中高一貫の学校に通っていました。とっても自由な校風で、平和学習に力を入れていて、授業で世界の貧困問題や児童買春の実態を教わりました。自分でもアフリカの紛争地区でのダイヤモンドビジネスの実態を暴いた映画『ブラッド・ダイヤモンド』などを見て、「生まれた場所や育った場所が違うだけで、人権が保障されなかったり、教育が受けられないなんておかしい!」と思ったんです。
だったら、社会問題を解決できる国際協力の仕事を将来やろう。国連やNGOやそういうところで働きたい。どこで学べば近道だろう、と探して見付けたのが、APUでした。クラスの友人がAPUに行きたい、と言っていたのを偶然聞き付けて「どんな学校?」と聞いてホームページを調べたら「わ、なんだか国連みたいなところじゃない!」と盛り上がって、高校3年の夏休みのオープンキャンパスにすぐに参加しました。
九州別府の山の中に行くのはもちろん初めてだったんですが、いろいろな国の人がいっぱいいて、机上だけでない学びができると確信し、いっぺんで気に入ってしまい、APU一本に絞って受験しました。
家は東京なので、首都圏の大学でいいんじゃないの?と周囲から言われたけれど、APUには発展途上国からの留学生もたくさんいらしている。国際協力の仕事を将来するんだったら、あの人たちと一緒に交わるのが一番だと思ったんです。
学部はアジア太平洋学部(APS)。授業で一番印象に残っているのは、清家久美先生の文化人類学です。先生の授業は、「他者・異文化」を理解するとはどのようなことかを考える機会をとことん与えてくれました。それまで開発援助の手法ばかりに捉えわれていた私は「途上国の人々」と抽象化せず、「個人対個人」として考えることの重要性に気付かされました。これが国際協力に向き合う私なりの基本姿勢となり、その後の活動のさまざまな場面で判断や決断の基準となっています。
というのも、私は大学に入ると同時に卒業するまで、タイの農村部の教育支援を行うNGO団体のメンバーとなり、現地に赴いて、教育支援や地域開発を実践したからです。
このNGOは2003年に当時の日本人の先輩が設立し、12年の歴史があります。日本人とタイ人を中心にアメリカ人から韓国人まで常時50人以上のメンバーが在籍し、タイの農村部の小学校に行って、識字率の向上と基礎学力の向上を目指したプロジェクトを続けています。
私は1回生から4回生までのあいだに、夏休みと冬休みを利用して6回現地に滞在しました。首都バンコクから南東に数百キロ下った海の近くの小さな村。
ここで行ったのは2つです。1つはまさに勉強の仕組みを根付かせること。学校の校長先生と教員たちとタッグを組んで、「百ます計算」で有名な陰山英男先生に2度現地にご同行いただき、百ます計算を学校に定着させたり……。もう1つは、一方で村が貧しくて教育もままならないということがあったので、大分県発祥の地域振興運動で世界中に拡大した「一村一品運動」を導入して、現地のお母さんにタイパンツを生産してもらい、日本で販売して教育費を捻出したり……。
タイ教育NGOの活動の写真です。児童が100マス計算に真剣に取り組む光景。
タイの現地NGOメンバーと一緒に
タイで活動中支援先の子供たち
正直、難しいプロジェクトでした。今も続いていますが、私たちが日本に帰国すると教育プロジェクトも途中で止まっちゃう。現地の人が継続しやすい仕組みづくりは至難の業。勉強になりました。
ただ、今までその村から大学に進学する人は1人もいなかったのが、プロジェクトを通じて、4人の子供たちが大学に進学するようになったので、多少なりとも貢献はできたのかもしれません。
タイの教育支援NGOでは途上国現場での学びがありました。一方、国際協力機関の現場も知りたい、と思い、4回生になる前には1年休学して、イスラエルの国際マネジメント機関にインターンシップで赴き、国連をはじめさまざまな国際協力機関との仕事もやりました。
イスラエルで仲良くなった友人たちと。
アメリカ、ドイツ、ロシア、ウクライナ、イスラエルと国籍は違うが皆ユダヤ人。
イスラエル、カルメル山から望むハイファ港をバックに撮った写真です。
バスが来ない時は行き先を書いた紙をもって道で待ちぼうけることもしばしば(笑)
写真は「ベツレヘムへ」の文字
5年間、私なりに国際協力の現場を経験させていただいて出た結論は、自分は力不足であるということ。そして、NGOの活動は、事業遂行のための安定的な財源確保と強い組織づくりが重要であるということ。自分自身が高い専門性、知識、経験を備え、足腰を鍛えないとダメなんだということです。
だったら民間企業で、世界に貢献しよう。そう思って、今の会社に就職したんです。
私はこれまで、APUにいたからこその道を歩んできました。ひよっこの1回生が国際協力の現場に飛び込めたのも、世界中に友人ができたのも、英語力を磨くことができたのも、多少のトラブルでは動じない胆力を鍛えられたのも、APU という「世界」が私を育ててくれたからです。
学生時代にAPUの友人達と
今後、海外の現地での仕事も増えていきます。APUで磨いたいろいろな力を現地で発揮してこよう。そう思っています。
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田舎で世界を学べば、 「和の心」を持った国際人になります |
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「アジア太平洋」を丸ごとキャンパスに そこから未来のリーダーを輩出していく |
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APUは日本の中の「世界」でした
だからイノベーションが生まれ続けるんです |
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ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ! APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ | |
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