New King Co. LTD ディレクター
レ ティ ラム ハォさん

現在経営者としてベトナムで活躍しているレイさんは、なんと、もともとはお医者さんでした。ベトナムで医科大学を卒業し小児科医となったあと、第1期生としてAPUに入学し、ビジネスに目覚め、日本の貿易会社のベトナム工場のマネージャーを務めて、今ではベトナム一の刺しゅう工場を運営することに。波乱万丈を持ち前のバイタリティーでのりこえ、現在では母国ベトナムでビジネスを成功させ、ベトナムでたくさんの人にAPUを紹介しただけでなく、2人の息子も昨年からAPUに通わせています。APUにおけるベトナムの母、レイさんのお話をどうぞ。
私は、30歳を超えてからAPUに入学しました。もともとベトナムで医科大学を卒業し、2年間、小児科医として働いていたんです。
一方、以前から日本に、それも日本のビジネスに興味があったんです。ベトナムが経済成長を始めたばかりの時期だったこともあり、お手本はやはり日本だったんですね。なので、辞書を片手に日本語を独学で学んでいました。あるとき、意を決して、医者の職を辞しました。もっと日本語がうまくなりたい。そう思っていたとき、日本に新しい国際大学ができる、という情報を得ました。そう、APUが開学するニュースです。まだ、学生が1人もいない時点で、私は、えいやっと留学の出願手続きをして、首尾よくAPUの第一期生となったのです。すでに夫がいて子どももいたのですが、ワガママを聞いてもらいました。
私は2000年4月に入学した、1期生です。
実は、第一印象は最悪……とまではいきませんが、あまりよい印象ではありませんでした(笑)。とにかく寒かったんです。山の上にありますし、霧は深いし。
入学したとき、私にはすでに2人の息子がいました。当時、10歳と4歳。実家に預けていたので不安はありませんでしたが、初めのうちは離れ離れになったのが寂しくて、毎晩泣いていました。
でも、APUで学ぶことは、その寂しさ以上の価値がありました。数ヵ月後には、ここに来てよかったと心から思うようになりました。
私にとってAPUは、本当に賢くて、カッコよくて、お金持ちで、健康な、理想の男性のような存在です!というと夫に嫉妬されちゃうかな(笑)。熱心で知識が豊富な先生が集まっています。講義室も各設備もすっごくきれい。各国の留学生に奨学金を出す気前の良さもあります。勉学に最適で美しいキャンパス環境。私がAPUで過ごした期間は、まるで恋人と過ごしたラブストーリーのようだと思います。
APUを卒業して14年になりますが、今もAPUのことが愛しくなります。今の仕事も今の生活も、すべてAPUのおかげである、と感じるんです。APUの4年間で、友達が世界中にできました。世界のどこを訪れても、世界のどの国とビジネスをしようとも、必ず現地に友達がいます。ほんとうに心強い。
APUに行くまで、私がベトナム語以外に使える言語は英語だけでした。それが今では、日本語に加え、中国語も使えるようになりました。言語って、ひとつ習得すると、次の習得もすごく楽になるんです。いろいろな言語が飛び交うAPUの環境が、私の語学能力を高めてくれました。
APUでビジネスを学び、卒業した後は、ベトナムに戻って事業を始めました。政府から土地を買って工場を建設して外国の企業に貸すという事業です。そして、日本語力を生かせることが出来て、工場を日本の貿易関係の企業に貸すことができました。そして、私はベトナム現地法人のマネージャーとして採用されたのです。でも、けっして順風満帆だったわけではなく、実際は最初から、工場の経営資金も人件費も自身の収入さえも、すべて私が賄わなければなりませんでした。そうして3年後、その企業は工場も機械も何もかもを私に売却して撤退してしまいました。負債も工場も全てを一手に抱えることになり、それから、必死で働きました。
現在は8つの工場のオーナーであり、日本企業と韓国企業に2つずつ、台湾の企業に3つ貸しています。
そして残りの1つでは、自分でアパレルの刺しゅうの事業をやっています。90%はアメリカ向けの製品で、アメリカン・イーグル、アディダス、ナイキなど大手の製品の刺しゅうを請け負っています。ベトナムの刺しゅう企業のなかでは、私の会社が一番大きいのです。
私が通ったAPUのアジア太平洋マネジメント学部(現、国際経営学部(APM))では、日本企業の品質管理や、海外のマーケティング戦略など、さまざまなことを学びました。そのときの学びが、現在の事業に大きく生かされています。
例えば、日本企業の5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)。これは、私の持っている工場で必ず守るようにしています。工場内に5Sを書いた看板を掲げ、徹底しているのです。ベトナムの工場では、こうした規律を守らせるのがなかなか難しかったのですが、工場経営に規律は欠かせません。その重要性をAPUで学んだ通り、論理的に伝えてあげると、ベトナムの人たちもちゃんと日本の工場並みの規律を維持してくれるようになるのです。
一方、ベトナムの医科大学で学んだことも役立っています。
例えば、私は工場で問題が起こった時、医師のように考えるんです。医師は、熱があるときにまず「何が原因で発熱しているのか」を考えますよね。熱を下げるには、解熱剤を出せばいい。でも、根本の原因が分からないと病気は治りません。
それと同じで、工場で問題が起きた時も、問題を起こした人を大声で叱るだけでは、何も変わりません。それはただ解熱剤を出しているのと同じです。赤字になったら、赤字の原因は何か考えます。人なのか、機械なのか、原料なのか。この考え方は、医科大学で学んだ医療の考えがもとになっています。
私がAPUに入った時は、APUのことを知っているベトナム人はあまりいませんでした。私はベトナムで出会った留学を希望する人には、熱烈にAPUを紹介しました。だから入学して数年、APUに来るベトナム人は知り合いばかりだったんです。APUは春入学と秋入学がありますが、1回に入学する40~50人のベトナム人のうち、半分は私の知り合いだったんじゃないでしょうか(笑)。
今は、私が紹介してAPUに来た人が、また別のベトナム人に紹介してと、すごく広がっていきました。開学以来、1000人を超えるベトナム人が入学しているそうです。APUのことを知っている人がたくさん増えましたので、私の役目はもう済んだかな(笑)。
実は、息子たちは2人とも、去年(2014年)APUに入学しました。長男は、フランスの大学を卒業して、大学院でAPUに。次男は、学部の1回生です。
親子3人APUが大好きです。
私は本当にAPUが大好きなんです。こんな素晴らしい大学に、息子を通わせない理由がありません。
息子たちにはこの半年で、インドネシア、タイ、ウズベキスタン、中国、韓国、ナイジェリア、ラオス、カンボジアなど、さまざまな地域の友達ができたようです。また、寮に住んですっかり日本食が好きになったみたい。
卒業後は、日系企業に入って経験を積んでもらいたいですね。日本語ができるベトナム人はまだまだ少ない。ベトナムと日本の架け橋になれる人材になって欲しいと思います。
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田舎で世界を学べば、 「和の心」を持った国際人になります |
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「アジア太平洋」を丸ごとキャンパスに そこから未来のリーダーを輩出していく |
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APUは日本の中の「世界」でした
だからイノベーションが生まれ続けるんです |
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ため池にクヌギ林にシイタケにサンショウウオ! APUパワーで、大分・国東半島を世界農業遺産へ | |
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